「息子たちと走り回る、元気なお母さんに戻りたい」。千葉県の女性(44)は2011年4月、急性骨髄性白血病の治療のため、慶応大病院(東京都新宿区)で骨髄移植を受けた。
2週間ほどたつと、移植された骨髄がつくる白血球が増え、個室から2人部屋の無菌室へ移った。移植後の拒絶反応はなく、移植された細胞が患者の体を攻撃する「移植片対宿主病(いしょくへんたいしゅくしゅびょう)」も、湿疹など軽症ですんだ。
2人部屋の廊下には、大きな自転車型マシンやランニングマシンがある。個室と違い、これらの機械を、ほかの患者と順番で使えるようになった。ペダルの重さや、走る台の傾斜を変え、少しずつ運動量を増やしていける自分がうれしかった。
5月末に「移植病棟」を出てリハビリ室まで行けるようになり、6月には理学療法士の上迫道代さん(46)と一緒に、リハ室から初めて屋外へ出た。ほんの10分間程度の散歩だったが、降り注ぐ日差しに、「ここまで来た」と回復の実感がわいた。
数日後には、退院の準備を兼ねて自宅に「外泊」。リハビリテーション科の担当医、石川愛子さん(37)は「病室とは違う環境で、どんなことが大変で、疲れるか、みてきてください」と伝えた。
階段は、上るときは問題ないが、下りるときが怖かった。「うっかり洗濯をすると一気に疲れる。近所の人との立ち話が5分でつらくなる」など、「発見」もいくつかあった。
病院へ戻って話すと、上迫さんから「退院してもがんばりすぎないで。翌日に疲れを残さないことが目安」とさとされた。
退院は6月11日。しばらくは、家事を一つするたびに、横になって休憩していた。それが、8月には一人で買い物に行き、9月には車を運転して、次男を幼稚園に送り迎えできるようになった。
その間、家族や友人たちが助けてくれた。思い切って病気を打ち明けた4人のママ友は、送り迎えを代わったり、お祝いの食事会を開いたりしてくれた。
血液内科には、まだ定期的に通うが、再発の不安は「無視」しようと決めた。息子たちのためにがんばり、みんなに支えられて病気を乗り越えたことが、強い自信になっている。