近畿地方に住む20歳代の男性マサキさん(仮名)は、児童養護施設を出て年月がたった今も、睡眠障害に苦しんでいる。
施設に入ったのは小学4年の時。母親の虐待が原因だった。母親は普段は優しいのに、怒ると豹変した。「このままではこの子を殺してしまう」と、母親が自ら、マサキさんの入所を決めた。
1年後、母親のもとに戻ったが、再び虐待が始まり、小学6年から高校卒業まで、マサキさんは施設で過ごした。母親は後日、自ら命を絶った。
施設では、陰湿ないじめを受けた。逃げ場はなく、耐えるしかなかった。中学の時、頭にもやがかかったような状態になり、眠れなくなった。長くても1日2時間ほどの睡眠が半年続き、体も悲鳴を上げた。
施設の職員に相談し、嘱託の精神科医の診察を受けた。「眠れないんか。何かあったの? 落ち込むこととか」。落ち込むことはあまりにも多過ぎて、言いよどんでいると、「じゃあ、薬出しとくね」。2分とかからなかった。
処方されたのは、抗不安薬。常用量でも、長期間飲み続けると依存状態になり、服薬中止が困難になる恐れがあるベンゾジアゼピン系の薬だった。
この薬を飲むと、確かに寝られた。だが同時に、吐き気やめまいに襲われた。「これは副作用なのだろうか」。2度目の受診で精神科医に症状を伝えたが、聞き流された。床につく直前に薬を飲むことでしのごうとしたが、やがて、夜中に目覚めてしまうようになった。
高校生になると、自分の判断で別の精神科に行った。しかし、やはり診察時間は短く、抗不安薬や睡眠薬が出るだけだった。薬を飲んでも「モヤモヤとしたもの」は晴れず、肩こり、吐き気、そしてひどい不眠が続いた。
「気力だけで高校に行く毎日」だったが、成績は優秀だった。早く自立するため、高校を卒業して就職した。だれもが知る大企業で、うらやましがられたが、睡眠障害はさらにひどくなり、仕事中、うっかりミスが相次いだ。ほとんど寝ていないため、日中、倒れそうになることも度々あった。人の命にかかわる業務を担当していたため、集中力の低下は致命的だった。就職して1年、自ら退職届を出した。
マサキさんは現在、生活保護を受け、福祉関係の作業所で軽作業をしている。こじれてしまった睡眠障害さえなければ、もっと社会で活躍できるにもかかわらず。
児童養護施設の子どもたちは、さまざまなトラウマを抱えている。施設の職員は、児童心理など様々な勉強をし、日常的に支援を続けているが、それでも専門家の力が必要になるケースがある。しかし、頼った先が、抗不安薬などを出すしか能のない精神科医だと、子どもの心に深く刺さったトラウマのトゲは抜けず、薬の副作用や依存などで未来が暗転する恐れすらある。
マサキさんは振り返る。「モヤモヤした気分がひどくなった中学の時、一番求めていたのは、施設外のだれかに話を聞いてもらうことだった。でも、そんな機会は全くなかった」