【1 ほろ酔いの夜、襲う激痛】
あの日は、かなり酒を飲んでいた。
愛知県岡崎市の印刷会社会長の太田登(おおた・のぼる)さん(80)は、2007年6月、長野県であった会合で焼酎の水割りを数杯飲んだ。帰りのバスの中でも3杯飲み、上機嫌で帰宅した。夜中にトイレに入ったとき、背中がガラスで引き裂かれるような痛みに襲われた。妻の和子(かずこ)さん(78)に救急車を呼んでもらい、岡崎市民病院に運ばれた。
病院に着くと、あれほど激しかった痛みがなぜか消えた。
だが、体を動かそうとすると、看護師に「動いてはいけない」と抑えられた。CT検査を受けたものの結果は知らされず、何が起きているのかよくわからぬまま、集中治療室で朝を迎えた。
翌朝、長女の蟹江美加(かにえ・みか)さん(46)が病院に駆けつけた。和子さんと3人で救急の担当医に検査結果を聞き、初めてことの重大さを知った。体の中心を通って全身に血液を送る大動脈のうち、心臓近くの胸部やおへそ近くの腹部の大動脈とその先の動脈に、こぶのように膨れあがった動脈瘤(りゅう)が計5カ所あった。
激しい痛みは、胸から腹にかけての大動脈部分に出来た胸腹部大動脈瘤からだった。こぶが急激に大きくなり、破裂しかかった「切迫破裂」の状態になっていた。本来は直径3センチ近くの動脈が約7センチほどあり、バナナ状に膨らんでいた。
破裂したら大出血を起こし、命にかかわる可能性が高いので、切迫破裂と診断されると、通常は緊急手術が行われる。
だが75歳と高齢だった上、動脈瘤が広範囲にわたり、内臓に血液を送る大事な血管の近くにあって手術が難しいなどの理由で、手術は見送られた。破裂が起きないよう、絶対安静の状態で血圧を下げながら、しばらく様子をみるしかないという。
当時、破裂の危険性が高かったのは、バナナ状になった胸腹部の大動脈瘤だけだった。幸い、その後の状態は落ち着き、1カ月後に退院することになった。
担当医は、75歳という年齢を考えると、このまま何もしないほうがよいと説明した。「爆弾を抱えたままか」。不安感がぬぐえないまま、退院した。(本多昭彦)
【2 受診前日、ついに破裂か】
胸腹部の大動脈瘤(りゅう)が破裂しかかった愛知県岡崎市の太田登さん(80)は2007年6月、岡崎市民病院に約1カ月間入院した。リスクが高い手術を見送り、様子を見ることになったが、「爆弾を抱えたままだ」と不安が募った。
そんなとき、同じように大動脈瘤が見つかった知人が、愛知医科大病院(愛知県長久手市)で、血管内治療を受けたと聞いた。ステントグラフトという金属の網と繊維でできた人工血管を、動脈瘤の中に置く方法だ。「自分も受けられないか」。岡崎市民病院から検査資料をもらい、愛知医科大を受診した。
しかし、太田さんの胸腹部の動脈瘤はバナナ状に膨らんでいる上、ステントグラフトを置きにくい場所にあるため、治療は難しいとの診断だった。「やっぱりだめか」と、あきらめるしかなかった。
太田さんの場合、切迫破裂の状態になり痛みも出たため、存在がわかった。だがほとんどの場合、破裂するまで何の症状も出ない。太田さんも退院後は特に症状が出なかった。過度の飲酒は、この病気の主な原因である動脈硬化のリスクを高めるが、以前のように毎日、焼酎の水割りを2、3杯飲む生活に戻っていた。
ただ、動脈瘤が破裂するかもしれないという不安は消えなかった。好きな釣りで遠出をしても、周囲に病院がないときは「ここで破裂したら助からないな」と思った。年に数回の定期検査を続けるしかなかった。
10年夏、地元の新聞で、名古屋市立東部医療センター心臓血管外科部長の須田久雄(すだ・ひさお)さん(52)が、90歳以上の人でも可能性があれば動脈瘤の手術を行っていることを紹介した記事を読んだ。
「自分も治療してもらえるかもしれない」と、すぐに電話して受診の予約をとった。
須田さんから岡崎市民病院などで受けた検査資料を持ってくるようにいわれ、9月10日に予約を入れた。
しかしその前日、夕食後に急に胸が痛くなってきた。
「やってしまったかな」。動脈瘤の破裂が頭をよぎった。妻の和子さん(78)も覚悟し、すぐに救急車を呼んだ。岡崎市民病院に搬送された。