朝日新聞アピタルニユースの3月23日記事より抜粋

 あの日が金曜日だったから助かった、と思うことがある。


 昨年3月11日。岩手県釜石市の佐々(ささ)ミヨさん(89)は、週1度の訪問看護を受けていた。20年ほど前に患った脳梗塞(こうそく)の後遺症で、左半身が動かない。食事以外は寝ている状態で、娘の美奈子(みなこ)さん(66)がつきっきりで介護してきた。


 釜石ファミリークリニックから来ている看護師が脱水症状を防ぐため点滴の針を刺そうした瞬間だった。今まで経験したことのない揺れがミヨさんを襲った。横になったまま、ただ身を任せるしかなかった。美奈子さんが外に飛び出すと、200メートル先の海の水がいつもと違う方向に流れているのが見えた。「津波が来る」。そう直感した。


 普段使わない車いすを玄関から引っ張り出すとタイヤがパンクしていた。看護師と助手と3人で車いすごと抱え、夢中で高い方を目指した。山際に着くとひざまで水がきた。振り返ると、さっきまでいた自宅が水につかり、瓦屋根が流れていた。


 山の上の「観音様」にある集会所は、近所の人でごった返していた。ぬれたミヨさんの寝間着のズボンを脱がせ、置いてあった毛布でくるんだ。とっさにつかんで持ってきたカーディガンもはおらせた。「寒くない? 大丈夫?」。声を掛けると、ミヨさんはただ震えていた。眠れないまま夜が明けた。


 明るくなると、隣町の火が近づいてきた。「ここも危ない」と誰かが言った。消防団の人がミヨさんをおんぶし、向かいの山に連れていってくれた。その翌日、自衛隊のヘリコプターで県立釜石病院に搬送された。


 ミヨさんはもともと寡黙だが、言葉もなくぐったりしていた。左足のすねも山を逃げた時に擦ったようで、傷だらけで青くなっていた。美奈子さんはミヨさんをベッドに寝かせ、廊下に座り込んだ。自分のためには上着も財布も持ち出せなかった。盛岡に行くという知り合いから2千円を借り、食べ物を買ってきてくれるように頼んだ。


 市内の病院や診療所は多くが被災し、釜石病院にはけが人や症状の重い入院患者が押し寄せていた。病状が安定しているミヨさんは3日後、看護師の提案で、内陸の花巻市の病院に移ることになった。(下司佳代子)