朝日新聞アピタルニユースの3月13日記事より抜粋

 5年前から椎間板(ついかんばん)ヘルニアに悩んできた石巻市の女性(41)は、被災時に1日分しかなかった痛み止めのモルヒネを、震災から2カ月経ってようやく入手した。しかし、思ったほど痛みは消えなかった。被災前のように神経に麻酔薬を注射する神経ブロックを受けたいと思ったが、クリニックまでの交通手段がなく、あきらめていた。


 5月中旬と6月中旬、親戚から車を借りるなどして、2回だけ、仙台ペインクリニックに治療を受けにいくことができた。ただ、痛みのため、自分では運転できず、弟や夫に運転手を頼まねばならなかった。仕事を休んでもらうのは申し訳なく、その後は頼めなかった。


 椎間板ヘルニアは適切な治療を続ければ、痛みが1年以上続く人はまれだ。女性は4年間以上、神経ブロック治療に加え、脊髄(せきずい)への電気刺激や、神経周辺の組織の癒着を内視鏡を使ってはがす「エピドラスコピー」なども受けたが、痛みが消えない難治性だった。


 被災した実家で毎日水くみに行くなど、慣れない生活や治療の中断で腰に負荷がかかり、病変部の癒着や炎症が広がっていた。伊達久(だて・ひさし)院長(50)は「通えないのなら入院して治療を」と勧めた。


 しかし、当時は仮設住宅への入居を申し込み中だった。入院すると手続きができなくなると、断った。痛みで眠れない時に飲んでいた睡眠薬も、「津波がまた襲ってきた時に逃げられなくなる」と我慢した。


 9月に入り、石巻市内の仮設住宅に入居できた。公共交通機関も復旧し、電車とバスを乗り継げばクリニックに通えることになった。しかしバスの座席では横になれないため、通院はできなかった。通院するには、引っ越すしかなかった。昨年末、ようやく塩釜市内のアパートを見つけ、年明けに引っ越した。


 クリニックへは、仙石線に20分乗れば通えるようになった。1月17日、7カ月ぶりに神経ブロック治療を受けた。麻酔薬が腰に入ると、じわじわと腰の痛みが和らいできた。「もう痛くても我慢しなくていいんだ」


 ヘルニアになるまでは、看護師をしていた。「また看護師の仕事に戻りたい」と、週1回の治療が続く。(本多昭彦)