5年前から腰椎椎間板(ようついついかんばん)ヘルニアを患っていた女性(41)は、石巻市の自宅近くの実家で被災した。避難所では、横になって眠れないため、痛みが増し、1階部分が水につかった実家の2階で暮らすことにした。
仙台市内で被災し、連絡が取れていなかった夫(43)とは、震災の3日後に実家で再会できた。夫から、実家よりも海側の自宅は津波で流され、何も残っていなかったと聞かされた。何度も余震が続き、海から800メートルほどしか離れていない実家に戻るのは怖かったが、もう避難所の小学校の教室には、いたくなかった。
常に腰の痛みと右足のしびれが続いていたため、震災前は一日3錠、医療用麻薬のモルヒネを飲んでいた。たまたま3錠だけ財布に入っていたが、いざという時のため、飲むのを我慢していた。
実家で暮らすためには、倒れた家具などを片づけねばならない。戻った初日、腰を曲げ伸ばす作業が続いて痛みで動けなくなり、たまらず1錠飲んだ。
その後はモルヒネを飲まなくても、実家で横になれば耐えられると思っていた。だが、現実は甘くはなかった。近くの給水車から、バケツやポリ容器で水を運ぶ作業が毎日3回あった。水を運ぶたびに腰の痛みが激しくなり、治まるまで動けなくなった。それでも大きな揺れを感じると、そのたびに痛みを我慢して、高台まで歩いて逃げることも多かった。
残りのモルヒネも、じきに無くなった。モルヒネは麻薬指定のため、これまで通院していた仙台市内の仙台ペインクリニックの医師でないと処方できない。車が水につかり壊れたこともあり通院できず、我慢するしかなかった。母親(64)は、どんどん顔色が悪くなり、いつも脂汗をかいている女性を心配した。
5月に入り、携帯電話で見たこのクリニックのサイトで、国の特例措置で、通院先から近くの薬局に処方箋(しょほうせん)をファクスしてもらえば、薬が手に入ることを知った。すぐにクリニックに電話して、石巻赤十字病院近くの薬局から1週間分の薬をもらった。
ただ、薬を飲んでも思ったほど痛みは治まらなかった。以前は痛みをあまり感じない時間が1日に数時間あったのが、このごろはほとんどなくなった。震災前まで受けていた、神経ブロックの治療が受けたかった。