私の会社は今日が仕事収め!!
大掃除が間もなく始まります。
私は放送業界に勤めていたので、24歳から44歳まで(20年間)は大晦日を休んだ事はありません。
茶の間に人が集まる時が商売のかき入れ時ですからね![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
ですから、大晦日に仕事がないと今でも「取り残されてる感」
があります。
毎年、12月31日は早朝に「ワクワクした高揚感」
で家を出たものです。
20年間にはたくさんの想い出が「当時の年齢」「番組」とともに甦ります。
このことを一つ一つ、ブログに書いていけば10回分は書けます。
大きくいうと、
〇ラジオ・テレビを通じて関わった「日本レコード大賞」
〇スポーツ中継をした「バルセロナ女子駅伝」
が、印象深いです。
<余談>
昔の正式な大人は、29日,30日と家の大掃除やら、お正月のおせち料理作りにてんやわんやしたものです。
(昔は、正月3が日はお店がどこも閉まって食べ物に困るので日持ちするおせちをたべていました。コンビニもありませんでしたから)
そして大晦日といえば日本全国「紅白歌合戦」を観て、そのままCMなしで「行く年来る年」に
入る。そして年越しそばへ・・・・
<
テレビ>
ご~ん!!(鐘の音)
アナウンサー 「こちら、奈良永平寺では・・・・」
これがお決まりのコースでした。
これは、昭和30年代までですかね(笑)ちょっと古すぎました。すみません![かお](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/142.gif)
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
〇民放ラジオのお話をします。
NHKとは別にラジオの「行く年来る年」はNHKはテレビと同じ内容。
民放は1955年から長い歴史があるそうです。
私の頃は、TBS・ニッポン放送・文化放送の3局が持ち回りで番組を制作していました。
(1971年~200年まで続いたそうです)
つまり、TBSの人が作った番組が、ニッポン放送でも文化放送でも同じものが流れます。
3年に1回順番がまわってくる。そんな時代でした。
運
よく、私は2回
、ディレクターを担当しました。
〇<1回目>
1987年~1988年(12月31日23時45分スタート)
タイトル「史上最大のロック電リク」
パーソナリティ 松宮一彦 富田靖子
総合ディレクター わたくし
同じ歳のアナウンサーで仲の良かった松宮一彦(残念ながら亡くなりました)さんと
「行く年来る年」のスポンサーであったコカ・コーラボトラーズの番組をレギュラーで
私とやっていた富田靖子さんを連れて「浅草から公開生放送」を敢行しました。
スタジオにはステージを作り、ゲストに「キャデラック」と言う名前の静岡出身の
ロカビリーバンド3人組を呼びました。
(キャデラック元気かなぁ・・・)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141226/11/richlove126/78/fd/j/t02200165_0800060013170198696.jpg?caw=800)
一番の想い出
は、
常識で考えると、
自分で作る番組がライバル局の電波も通じて日本全国で流れる・・
ライバルの制作者も聴いている・・
自分の会社を代表して番組つくりをする・・・
なんかプレッシャー
に押しつぶされて、
食欲もなく・・・![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
睡眠もとれず・・・![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
となりそうですが・・・・
本番が夜だったので、当時のデスクの女の子
に
「31日、昼間暇だから映画行かない
俺その後浅草だから食事とかはできないけど」![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
と、余裕をこきまくり映画に行きましたよ!
しかも、カシミヤの赤いマフラーまでプレゼントしました
その映画が「ニューヨーク東八番街の軌跡」いい映画だったなぁ・・・
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141226/12/richlove126/85/35/j/t02200317_0673097113170203817.jpg?caw=800)
この「野太い精神力」が想い出です![DASH!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
〇<2回目>
1996年~1997年(12月31日23時45分スタート)
タイトル 「合い言葉はHAPPY」
パーソナリティ 伊集院光 櫻井智
総合ディレクター わたくし
腐れ縁の伊集院くんとはすでに番組「伊集院光の深夜の馬鹿力」を始めていました。
櫻井智さんは人気声優でお願いしました。
一番の想い出は番組冒頭に流す1分半のオリジナル制作によるアタックミュージック
です。
番組のド頭で日本中の心を掴んでやろうと、当時仲良しになっていたラッパーの
「下町兄弟(バナナアイス)」の工藤玄実さんに依頼していました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141226/12/richlove126/51/09/j/t02200222_0317032013170210643.jpg?caw=800)
ほんと、かっこよかった
作品が出来ました。
工藤君とは今でも交流がありますが、1994年に「パリっとおばさん」という曲が
どうにも気に入り、自分のラジオ番組で押しまくった
のがきっかけです。
ほんとうに、優しくて人望のあるラッパーです。
下町兄弟と笹本安詞さんの「ミモザの咲く頃」(2001年)は本当に
名曲です。
(大好きです。本当です。)
工藤玄実さんとの「青春」のひと時が想い出に残っています。
後に僕と工藤君でTBSラジオではお馴染みの「コサキン」の企画で「有川くんの絶叫」(フォーライフレコード)というCDを二人で朝まで徹夜して作り上げた想い出もあります![グッド!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/187.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141226/12/richlove126/24/f8/j/t02200220_0300030013170214891.jpg?caw=800)
こんな話、おもしろくないですよね??
(ほかにもたくさんあるんだけど
・・・・)
大掃除が間もなく始まります。
私は放送業界に勤めていたので、24歳から44歳まで(20年間)は大晦日を休んだ事はありません。
茶の間に人が集まる時が商売のかき入れ時ですからね
![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
ですから、大晦日に仕事がないと今でも「取り残されてる感」
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
毎年、12月31日は早朝に「ワクワクした高揚感」
![合格](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/304.gif)
20年間にはたくさんの想い出が「当時の年齢」「番組」とともに甦ります。
このことを一つ一つ、ブログに書いていけば10回分は書けます。
大きくいうと、
〇ラジオ・テレビを通じて関わった「日本レコード大賞」
〇スポーツ中継をした「バルセロナ女子駅伝」
が、印象深いです。
<余談>
昔の正式な大人は、29日,30日と家の大掃除やら、お正月のおせち料理作りにてんやわんやしたものです。
(昔は、正月3が日はお店がどこも閉まって食べ物に困るので日持ちするおせちをたべていました。コンビニもありませんでしたから)
そして大晦日といえば日本全国「紅白歌合戦」を観て、そのままCMなしで「行く年来る年」に
入る。そして年越しそばへ・・・・
<
![テレビ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/108.gif)
ご~ん!!(鐘の音)
アナウンサー 「こちら、奈良永平寺では・・・・」
これがお決まりのコースでした。
これは、昭和30年代までですかね(笑)ちょっと古すぎました。すみません
![かお](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/142.gif)
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
〇民放ラジオのお話をします。
NHKとは別にラジオの「行く年来る年」はNHKはテレビと同じ内容。
民放は1955年から長い歴史があるそうです。
私の頃は、TBS・ニッポン放送・文化放送の3局が持ち回りで番組を制作していました。
(1971年~200年まで続いたそうです)
つまり、TBSの人が作った番組が、ニッポン放送でも文化放送でも同じものが流れます。
3年に1回順番がまわってくる。そんな時代でした。
運
![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
〇<1回目>
1987年~1988年(12月31日23時45分スタート)
タイトル「史上最大のロック電リク」
パーソナリティ 松宮一彦 富田靖子
総合ディレクター わたくし
同じ歳のアナウンサーで仲の良かった松宮一彦(残念ながら亡くなりました)さんと
「行く年来る年」のスポンサーであったコカ・コーラボトラーズの番組をレギュラーで
私とやっていた富田靖子さんを連れて「浅草から公開生放送」を敢行しました。
スタジオにはステージを作り、ゲストに「キャデラック」と言う名前の静岡出身の
ロカビリーバンド3人組を呼びました。
(キャデラック元気かなぁ・・・)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141226/11/richlove126/78/fd/j/t02200165_0800060013170198696.jpg?caw=800)
一番の想い出
![クラッカー](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/098.gif)
常識で考えると、
自分で作る番組がライバル局の電波も通じて日本全国で流れる・・
ライバルの制作者も聴いている・・
自分の会社を代表して番組つくりをする・・・
なんかプレッシャー
![ダウン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
食欲もなく・・・
![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
睡眠もとれず・・・
![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
となりそうですが・・・・
本番が夜だったので、当時のデスクの女の子
![おとめ座](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/217.gif)
「31日、昼間暇だから映画行かない
![!?](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif)
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
と、余裕をこきまくり映画に行きましたよ!
しかも、カシミヤの赤いマフラーまでプレゼントしました
その映画が「ニューヨーク東八番街の軌跡」いい映画だったなぁ・・・
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141226/12/richlove126/85/35/j/t02200317_0673097113170203817.jpg?caw=800)
この「野太い精神力」が想い出です
![DASH!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
〇<2回目>
1996年~1997年(12月31日23時45分スタート)
タイトル 「合い言葉はHAPPY」
パーソナリティ 伊集院光 櫻井智
総合ディレクター わたくし
腐れ縁の伊集院くんとはすでに番組「伊集院光の深夜の馬鹿力」を始めていました。
櫻井智さんは人気声優でお願いしました。
一番の想い出は番組冒頭に流す1分半のオリジナル制作によるアタックミュージック
![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
番組のド頭で日本中の心を掴んでやろうと、当時仲良しになっていたラッパーの
「下町兄弟(バナナアイス)」の工藤玄実さんに依頼していました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141226/12/richlove126/51/09/j/t02200222_0317032013170210643.jpg?caw=800)
ほんと、かっこよかった
![メラメラ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/037.gif)
工藤君とは今でも交流がありますが、1994年に「パリっとおばさん」という曲が
どうにも気に入り、自分のラジオ番組で押しまくった
![パンチ!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif)
ほんとうに、優しくて人望のあるラッパーです。
下町兄弟と笹本安詞さんの「ミモザの咲く頃」(2001年)は本当に
![アップ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif)
(大好きです。本当です。)
工藤玄実さんとの「青春」のひと時が想い出に残っています。
後に僕と工藤君でTBSラジオではお馴染みの「コサキン」の企画で「有川くんの絶叫」(フォーライフレコード)というCDを二人で朝まで徹夜して作り上げた想い出もあります
![グッド!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/187.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141226/12/richlove126/24/f8/j/t02200220_0300030013170214891.jpg?caw=800)
こんな話、おもしろくないですよね??
(ほかにもたくさんあるんだけど
![べーっだ!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/188.gif)