真面目な話。
もし、私があと20年、いや10年でも若ければ、きっと同時に3台も持っていない。
気に入ったバイクに乗り、数年して乗りかえる。
そんな生活をしていると思う。
私の父は車が大好きだった。
いつかはクラウンに乗りたいと言っていて、退職した時に買おうとしたけれど、母からのストップがかかり、それまで3年おきに買い替えていた車を退職後、何年乗っただろう?
マークIIのツインターボだった。
実家のガレージは小さくて、クラウンはシャッターが閉まらないから。かといってガレージを建て替えるのにはお金がかかる。そんな理由からの母の反対だった。
結局、その後最後にファミリーカーを買い、
9000キロくらい走った頃、脳梗塞で倒れ、車は程なく売ることになった。
10年の闘病の末一昨年亡くなった父、
話すことも歩くこともできず、ベッドでの生活だった。
父の逝去後、母の認知が重くなった。
父が亡くなり1年は私が毎朝食事を届け、デイケアに通いながら1人で生活をしていたが、ボヤを起こして両手を火傷したことをきっかけに、施設に入所させることにした。
昨年の3月の話だ。
8月1日に白血病と突然診断され、11日に亡くなった。
母も介護の疲れから失語となり、何年かずっと会話はしていなかった。
でもこちらが言ってることは理解していた。
実家は母が施設に入所した時のまま、さっきまで母が生活していた形跡のまま。
両親が立て続けに亡くなり、何とも言えない喪失感に襲われた。
今もよく寂しげな夢や怖い夢をみる。
両親は色んなものを持っていた。
でも何一つ持って行くことはできなかった。
子供や孫のために生きて来た両親。
そして2人とも突然、自分の持ち物を整理するまもなく、この世を去った。
私がバイクの免許を取ったのはすでに50代、あちらこちらに不安を抱える年齢だ。
今から何年後に何があるか、いや明日何があるかもわからない。
本当ならば老後の資金を貯めていなきゃいけないんだろうけど、老後の資金を貯めたとて、明日はわからない命。
幸いにも息子たちは社会人、もう親の役目は終わっている。
結婚する時のために少し貯めていたお金はレブルに消えた(笑)
そして今回も、次男に結婚する時は自分たちでやってね!と伝え、25rがやってきた。
私の母はとても用心深く、保険も手堅くかけたりしていた。
私は全く正反対の生き方だ。
そうそう、母にプレゼントした、
ブランド物の財布を形見に使っていたら、わんこにかじられ、同じブランド物のバッグは猫に粗相され、どちらも使えなくなった。
喪失感の中、大切にしたいと思っていた物が台無しになると、急に物への執着がなくなってきた。
私は元々高価な洋服や、ブランドものバッグ、アクセサリーなどに興味がそんなにない。
海外旅行もしないし、国内旅行もしない。
結局あと、どのくらい乗れるかわからないなら、今が人生で1番若いんだから、乗っておこうと思った。
だんだん無理になってきたら売ればいいのだ。
決してお金持ちでもない、貯金もない、
むしろその日暮らしの私だから出来ることだと思う(笑)
人生観がすごく変わったと思う。
おばあちゃんの竹山だった。
春になれば母と勝手に筍を掘っていた。
祖母の亡き後叔父に引き継がれ、数年前に売ってしまった。
我が家のすぐ裏山なのに、もう他人の土地だから勝手に筍は掘れない。
人生ってこんなもんなんだ。今の持ち主は筍を掘ることもしない。めちゃくちゃ美味しい筍なのに。
結局人生って考え方次第。
私は両親を見て、元気なうちにやりたいことで、やれそうな事は我慢しないでやろうと決めた。
また数年後に考え方が変わるかもしれないけど、今はそんな感じ。
なんだか、めちゃ語ってしまった(笑)
長々と読んでくれてありがとうございます♪