ジュリアです
おそらく今日
多くのブロガーさんが
この話題に触れることでしょう。
1年前の3月11日、14時46分
私は、当時勤務していた
某百貨店におりました。
「あ、地震…?」と呟いた
初期微動の段階で停電。
すぐに自家発電に
切り替わったものの
薄暗い店内は
ガタガタと音をたて
大きく揺れ始めました。
それが今まで経験したことのない
大地震というレベルのものだと
誰もがすぐに気づいたことでしょう。
私たち販売員は、常日頃から
地震や火災の避難訓練を
受け続けています。
それはもちろん、
自分たちが避難する以前に
お客様の身の安全を
守るための訓練です。
全販売員が通路に出て
大きく手を上げ
避難経路をご案内します。
エスカレーターやエレベーター近くの
ショップ販売員は
そちらのお客様への対応を。
「このまままっすぐお進み下さい」
「この建物は安全です。慌てず
落ち着いて避難して下さい」
「ガラスや棚、落下物から
離れて下さい」
「お荷物や手で頭を守り
低い姿勢で避難して下さい」
「エスカレーターやエレベーターの
ご利用はできません。
(すでにエスカレーター
乗降中の方は)手すりにつかまり
ゆっくりと歩いてお進み下さい」
どれも、防災訓練で何十回と
繰り返してきた言葉ですが
これほど真剣に大声で叫んだことは
ありません。
一番近い非常口をご案内する為、
隣接するディベロッパーからも
連絡通路を経由して
たくさんのお客様が避難して
いらっしゃいます。
停電の為、館内放送は入りません。
それどころか、ガーガーピーピーと
割れるようなノイズが響き渡るので
販売員がはっきりと大きな声で
誘導しなければ
お客様は混乱してしまいます。
「この割れるような音は
何とかならないのか!?
頭痛がしてくる!」と怒るお客様や、
まだ大きな揺れが納まらない
(非常に長い横揺れでしたね)
まさに地震のさなかで
「この建物を改装した際の
耐震強化工事について
聞きたいんだけど?」などと
質問してくるお客様も
いらっしゃいましたよ。
耐震免震について売場の販売員に
聞かれましても…ねぇ。
…かと思えば
第一次避難場所の
階段周辺から逆行して来て
「あそこに避難したからって
どうだって言うの?
私、車で帰りますから」などと
販売員の避難誘導に
従って下さらないお客様も
いらっしゃいました。
揺れが一旦おさまるまでは
落下物などの危険が
比較的少ない場所に
お客様を集め待機、
「逃げ遅れたお客様がいないか?」
(例えばエレベーターやトイレ、
フィッティングルームなど。
あの長い横揺れによる目眩と
吐き気で、歩けなくなった
お客様もいらっしゃいました)
「今、外に出ても安全か?」などを
従業員が確認した上で
お客様を階段で1Fへご案内
→ 外の広場などに避難
…というように、より安全な策を
考えてご案内しているのです。
車で…なんて論外です。
ふと見ると、お向かいのショップの
ショーウインドウ脇で
赤ちゃんを抱いた若いお母さんが
座り込んでガタガタ震え
動けないでいるのです。
パニック障害のような
症状なのかも知れません。
自分一人だけなら
歩いて逃げることは簡単だけど
「この子の頭の上に
何かが落ちてきたらどうしよう?」
…なんて考えたら
怖くてパニックに陥っても
不思議ではありません。
通り過ぎて行く人々に
彼女の姿は目に入らないのか?
それとも自分のことだけで精一杯?
私は社員さん(女性)と一緒に
そのお母さんに声をかけ
私「荷物を持ちますから」
社員さん「お母さんを支えます」
二人「赤ちゃんをしっかりと
抱いていて下さいね」
…と、避難場所まで同行しました。
我が子の身の危険を憂い
パニックになるのも母であり
我が子を守る為に
強く歩き出すのもまた、母なのです。
あれから一年、あの赤ちゃんも
よちよち歩きしてる頃かなぁ?
不思議と「怖い」という気持ちは
まったく起こりませんでした。
思うまもないほど必死でした。
一方で、ケガをしないように
トルソーやマネキンを
横に寝かせるなどの冷静な行動を
自発的に行なった販売員も多く
日頃の訓練とチームワークの
大切さをしみじみと感じました。
震災後しばらく経ってから
様々な地域・場所での
地震発生時の様子を
YouTubeなどで目にしましたが
お客様への避難誘導案内が
まったくなかったり
それどころか店員同士が
手を繋いで逃げている
都内の有名百貨店の状況には
呆れました。
現在私が勤務している商業施設でも
震災が起きた瞬間
従業員がどうしたら良いのか
とまどっていたそうです。
鉄道がほぼ100%壊滅状態なのに
お客様も従業員も
館からシャットアウトだったとか。
当時の私は徒歩通勤だったので
幸いにも帰宅難民にならずに
済んだけど、
百貨店では、帰宅困難者は
比較的安全な1Fフロアで
一晩を過ごしたそうです。
寒空にお客様や従業員を
外に放り出すような
ディベロッパーなんて
安心して働けないなぁ…
…というのが正直な気持ちです。
お客様の避難がすべて済み
再度大きな揺れに襲われた瞬間…
今日に限って学校が休みで
一人で留守番している娘…
無事だろうか?
マンションの高層階は
どれだけ揺れたのだろう?
怖がって泣いてないだろうか?
売場の電話は停電で使えない。
携帯電話がつながるまでの
約1時間…
不安で胸が押し潰されそうでした。
同様に、夜遅くになってやっと
メールが通じたリチャードからも
「無事なの?」
「一体どうなってるの?」
「怪我してない?」
「メール届いてないの?」
私の安否を問うメールが
一度にたくさん届いたのです。
私からも「とりあえず大丈夫」と
メールは送っていましたが
彼の元にはまったく
届いていなかったのでしょう。
拡大する地震や津波の被害状況を
テレビのニュースなどで知り
「居ても立っても居られないほど
心配だった」と
後で言っていました。
実際、関東の沿岸部でも
大津波警報は
しばらく解除されなかったし
彼は阪神淡路大震災を
大阪で経験していますからね。
もう二度とあのような悲劇が
起きて欲しくない
…と誰もが願う一方で
原発事故の影響など
「隠蔽された事実」と
「風評」の狭間で翻弄される私たち。
まだまだ始まったばかりの
復興への道のりは予想以上に厳しく、
また、東海大地震の発生確率が
以前より高まっているというのも
目をそらすことのできない現実です。
何ができるのか、何をすべきか
してはいけないことは何か
一人一人が考え続けるだけでも
3.11を含めた366日を意義あるものに
してゆけるのではないかと
思っています。
今回はアメ限にはしません。
iPhoneからの投稿

おそらく今日
多くのブロガーさんが
この話題に触れることでしょう。
1年前の3月11日、14時46分
私は、当時勤務していた
某百貨店におりました。
「あ、地震…?」と呟いた
初期微動の段階で停電。
すぐに自家発電に
切り替わったものの
薄暗い店内は
ガタガタと音をたて
大きく揺れ始めました。
それが今まで経験したことのない
大地震というレベルのものだと
誰もがすぐに気づいたことでしょう。
私たち販売員は、常日頃から
地震や火災の避難訓練を
受け続けています。
それはもちろん、
自分たちが避難する以前に
お客様の身の安全を
守るための訓練です。
全販売員が通路に出て
大きく手を上げ
避難経路をご案内します。
エスカレーターやエレベーター近くの
ショップ販売員は
そちらのお客様への対応を。
「このまままっすぐお進み下さい」
「この建物は安全です。慌てず
落ち着いて避難して下さい」
「ガラスや棚、落下物から
離れて下さい」
「お荷物や手で頭を守り
低い姿勢で避難して下さい」
「エスカレーターやエレベーターの
ご利用はできません。
(すでにエスカレーター
乗降中の方は)手すりにつかまり
ゆっくりと歩いてお進み下さい」
どれも、防災訓練で何十回と
繰り返してきた言葉ですが
これほど真剣に大声で叫んだことは
ありません。
一番近い非常口をご案内する為、
隣接するディベロッパーからも
連絡通路を経由して
たくさんのお客様が避難して
いらっしゃいます。
停電の為、館内放送は入りません。
それどころか、ガーガーピーピーと
割れるようなノイズが響き渡るので
販売員がはっきりと大きな声で
誘導しなければ
お客様は混乱してしまいます。
「この割れるような音は
何とかならないのか!?
頭痛がしてくる!」と怒るお客様や、
まだ大きな揺れが納まらない
(非常に長い横揺れでしたね)
まさに地震のさなかで
「この建物を改装した際の
耐震強化工事について
聞きたいんだけど?」などと
質問してくるお客様も
いらっしゃいましたよ。
耐震免震について売場の販売員に
聞かれましても…ねぇ。
…かと思えば
第一次避難場所の
階段周辺から逆行して来て
「あそこに避難したからって
どうだって言うの?
私、車で帰りますから」などと
販売員の避難誘導に
従って下さらないお客様も
いらっしゃいました。
揺れが一旦おさまるまでは
落下物などの危険が
比較的少ない場所に
お客様を集め待機、
「逃げ遅れたお客様がいないか?」
(例えばエレベーターやトイレ、
フィッティングルームなど。
あの長い横揺れによる目眩と
吐き気で、歩けなくなった
お客様もいらっしゃいました)
「今、外に出ても安全か?」などを
従業員が確認した上で
お客様を階段で1Fへご案内
→ 外の広場などに避難
…というように、より安全な策を
考えてご案内しているのです。
車で…なんて論外です。
ふと見ると、お向かいのショップの
ショーウインドウ脇で
赤ちゃんを抱いた若いお母さんが
座り込んでガタガタ震え
動けないでいるのです。
パニック障害のような
症状なのかも知れません。
自分一人だけなら
歩いて逃げることは簡単だけど
「この子の頭の上に
何かが落ちてきたらどうしよう?」
…なんて考えたら
怖くてパニックに陥っても
不思議ではありません。
通り過ぎて行く人々に
彼女の姿は目に入らないのか?
それとも自分のことだけで精一杯?
私は社員さん(女性)と一緒に
そのお母さんに声をかけ
私「荷物を持ちますから」
社員さん「お母さんを支えます」
二人「赤ちゃんをしっかりと
抱いていて下さいね」
…と、避難場所まで同行しました。
我が子の身の危険を憂い
パニックになるのも母であり
我が子を守る為に
強く歩き出すのもまた、母なのです。
あれから一年、あの赤ちゃんも
よちよち歩きしてる頃かなぁ?
不思議と「怖い」という気持ちは
まったく起こりませんでした。
思うまもないほど必死でした。
一方で、ケガをしないように
トルソーやマネキンを
横に寝かせるなどの冷静な行動を
自発的に行なった販売員も多く
日頃の訓練とチームワークの
大切さをしみじみと感じました。
震災後しばらく経ってから
様々な地域・場所での
地震発生時の様子を
YouTubeなどで目にしましたが
お客様への避難誘導案内が
まったくなかったり
それどころか店員同士が
手を繋いで逃げている
都内の有名百貨店の状況には
呆れました。
現在私が勤務している商業施設でも
震災が起きた瞬間
従業員がどうしたら良いのか
とまどっていたそうです。
鉄道がほぼ100%壊滅状態なのに
お客様も従業員も
館からシャットアウトだったとか。
当時の私は徒歩通勤だったので
幸いにも帰宅難民にならずに
済んだけど、
百貨店では、帰宅困難者は
比較的安全な1Fフロアで
一晩を過ごしたそうです。
寒空にお客様や従業員を
外に放り出すような
ディベロッパーなんて
安心して働けないなぁ…
…というのが正直な気持ちです。
お客様の避難がすべて済み
再度大きな揺れに襲われた瞬間…
今日に限って学校が休みで
一人で留守番している娘…
無事だろうか?
マンションの高層階は
どれだけ揺れたのだろう?
怖がって泣いてないだろうか?
売場の電話は停電で使えない。
携帯電話がつながるまでの
約1時間…
不安で胸が押し潰されそうでした。
同様に、夜遅くになってやっと
メールが通じたリチャードからも
「無事なの?」
「一体どうなってるの?」
「怪我してない?」
「メール届いてないの?」
私の安否を問うメールが
一度にたくさん届いたのです。
私からも「とりあえず大丈夫」と
メールは送っていましたが
彼の元にはまったく
届いていなかったのでしょう。
拡大する地震や津波の被害状況を
テレビのニュースなどで知り
「居ても立っても居られないほど
心配だった」と
後で言っていました。
実際、関東の沿岸部でも
大津波警報は
しばらく解除されなかったし
彼は阪神淡路大震災を
大阪で経験していますからね。
もう二度とあのような悲劇が
起きて欲しくない
…と誰もが願う一方で
原発事故の影響など
「隠蔽された事実」と
「風評」の狭間で翻弄される私たち。
まだまだ始まったばかりの
復興への道のりは予想以上に厳しく、
また、東海大地震の発生確率が
以前より高まっているというのも
目をそらすことのできない現実です。
何ができるのか、何をすべきか
してはいけないことは何か
一人一人が考え続けるだけでも
3.11を含めた366日を意義あるものに
してゆけるのではないかと
思っています。
今回はアメ限にはしません。
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