このひと月間で、在るモノと無いモノについての学びが半端なく訪れました。
実際には、5月18日から。新月から具体的に現象としてやってきたのですが、
ちょっと今も尚困惑気味です。。。

在るモノとしての前置きがある。
無いモノとしての前置きがある。

以上、二点から更に、
①在るモノとしての前提からの在るという判断及び結果。
②在るモノとしての前提からの無いという判断及び結果。
③無いモノとしての前提からの在るという判断及び結果。
④無いモノとしての前提からの無いという判断及び結果。


私が実際に現実問題として、
本業として行っている細胞培養の仕事なのですが、品質管理も一切合財任さてています。
そこの品質管理試験でのことで、今までやってこなかった問題が今になって露見されてしまったといった方が早計でしょう。

今まで④番のやり方で行ってきました。
これって一番簡単なのですが、なにか問題が起きた場合には、なにも先手が打てない状態に陥ります。

しかし、④でOKなのです。
そこまで考える必要はあまりないのです。
万が一に近いもの。
何もないに越したことはないのです。

これが、世間一般の常識というものです。

ただ、そこで③で観ていくとなると仕事量は膨大に増えてゆきます。
凄い細かい点を見るのですが、360°の目線で見ることを必要とします。
どこかに在るといった1見解だけの判断でもって、柔軟な洞察力を要します。
決めつけは「在る」だけ。
その他の決めつけは「無い」ものから如何に在るモノを探すかです。


これをやっている方と会うことになりましたが、
③を信じる力が半端ないのです。
エネルギッシュで疲れを感じさせないタイプの方でした。

このことがあって、夢を現実に変える方法がこの点にあるんだと手ごたえを感じました。

①と②の場合は決めつけポイントが狭くなっており、視野の狭さを感じさせますが、
在るモノは在るのだから問題ないし、在るモノを無いと決めることは「バカの壁」なのでしょう。例え話がちょっとズレテイルので、他の見解で見れば在るのに無いモノも必ず存在しているということです。言葉のアヤですね。


そんなこんなで、色々と考えることの今現在は途中経過です。
今の結論としては、「無いものから在る」を取り出すことに着手していかないといけないなということでした。