『姿勢』のこと。 | りさごと。

『姿勢』のこと。

備忘録



私は、基本的に人の人生や決断や、その人自身を変えることは出来ないと思っている。

逆に、私自身の悩みや悲しみ、苦しみや痛み、苦痛、どうしようもない程の怒りや悲しみ、事実…そういったものも、分かってはもらえないものだと思っている。


どんなに親身になって話を聞いても、聞いてもらっても、結局は『同じ』になることはなく、
私が聞く側の場合は聞いた後にまた自分の生活へ。

聞いてもらった後には、人それぞれの生活へ。

多かれ少なかれ何事もなくそれぞれの日常へ戻っていくものである。


結局は自分で乗り越えるしかなく、自分自身で決めるより他に道はない。


人は誰かにはなれないし、誰も私の人生は歩いてくれない。どんなに苦しくても。

逆に代わってあげたいと思うときも、代わってあげられることはできない。


冷たいんじゃない。悲しいんじゃない。


生きている以上、自分の人生に責任をもつのは自分自身だ。


それだけのこと。


『解って欲しいんじゃない。分かろうとしてほしい。

どうにかしてほしいなんて思ってない。期待もしない。一人にしないで。』


誰にもなれないからこそ、精一杯思考を凝らして乗りきれるように。

泣きながら、喚きながらでも一歩ずつ前に進めるように。

ちょっとでも気持ちがほぐれる瞬間になれるように。

寄り添うことが出来るように。


誰にもなれないし、代わりに決断は出来ない。

でも、分かろうと最大限努力することは出来る。


忘れずにいたい。


『分かろうとする』こと。

そして、忘れずにいたい。

それぞれの人生があるにも関わらず、あたしの話を聞いてくれて。

ややもすると、その瞬間だけでも同じように心を痛めてくれて。

分かろうとしてくれた人のことを。

『結局そんなこと言ったって』

なんて傲慢な考えを持たないように。

当たり前だ。それぞれ自分のことで忙しい。
まして、関わる人なんてあたしだけじゃない。

聞いてくれただけで、感謝。

人に頼るのは悪いことじゃない。

大事なのは、手を借りながらでも自分の足で歩み、自分の意思で決めること。

そして、その上で起こったことに責任をもつこと。