ディリアンヘンの地:ラ・コンキスタ | ラテンなおやじのぐうたらニカラグア生活

ディリアンヘンの地:ラ・コンキスタ

 リカルドおじさんは精力的に撮影行を続けています。

 3月29日(土)は、カラソ県ラ・コンキスタに行きました。ここも初めて行く村です。

 マナグアから南に向かう南方街道(Carretera Sur)を1時間ほど走ると、カラソ県の県都ヒノテペ(Jinotepe)を通過しますが、ここを通過して更に南下して10分ほどの地点から、幹線を逸れて右折すると(海岸の方向に向かうと)、30分ほどでラ・コンキスタ村に到着します。

ラ・コンキスタ

 リカルドおじさんの関心を呼んだのは、この村の名前です。「ラ・コンキスタ」(征服)というラテンアメリカ史にとっては非常に重い名前が、どうしてこんなカラソ県の村につけられているのだろうということです。

 行ってみると確かに眠ったような何もない村です。しかし、この村の規模には少々大きすぎるような教会がありました。古色蒼然としてかなり年代物の教会のようです。

 実はこの教会には、「黒いキリスト像」(Cristo Negro)が安置されていて、毎年、四旬節の第一金曜日がお祭りで、各地から巡礼がやって来るのだそうです。「黒いキリスト像」は、レオン県エル・サウセの教会にもありますが、エル・サウセの方が有名なようで、リカルドおじさんはラ・コンキスタの「黒いキリスト像」のことは、今回初めて知りました。

教会

教会

 村の中心には何もありません。眠ったような村です

村の中心部

村の中心部

 ただ、時間だけが過ぎていくような静けさです。暑いし、教会前の犬も人間様も、全く何ぁ~んにもやる気なし。

教会前の犬

暑い!

 下の写真のおっさんが話しかけて来ました。ラテンアメリカに住んでおられる読者なら経験があると思いますが(恐らく、世界中、どの国のどの言葉も同じでしょうが)、この種の社会層の人が話すスペイン語はほとんど分からない。何度か訊き返したあと、ようやく分かったのは、「ムーチャチャ(女の子)はあっちへ行ったよ」と言っているのでした。何のことかと思ったら、そういえば先ほど教会の前で、明らかにニカラグア人ではない欧米系の白人の女の子がデジカメで写真を撮りながら歩いていた。恐らく、この村に住み込んでいる米国平和部隊か欧州系NGOのボランティアでしょう。このおっさんは、リカルドおじさんがきっとこの女の子を追いかけ回して探していると思ったのでしょう。誰がそんなことしますかいな!

おっさん

 村の外には、小川があり子供たちが水遊びをしていました。のどかです。

村の川

川で遊ぶ子供たち

 さてさて、「ラ・コンキスタ(征服)」の名前についてです。なぜ、こんな村に重い名前がついているのか。

 県都ヒノテペの少しマナグア寄りの地点にディリアンバという比較的大きな街があります。スペイン人征服者が現在のニカラグアに侵入して来た当時、ディリアンバに本拠を置くディリアンヘンDiriangén)という名の酋長(カシーケ、cacique)がこの辺りを治めていました。他の部族長と同様、ディリアンヘンも当初はスペイン征服者に融和的であったようですが、どういうわけかディリアンヘンだけが敵対的姿勢に転じ、スペイン人年代記作家によると、1523年4月17日、当時27歳のディリアンヘン酋長率いる4000名の先住民部隊がスペイン人征服者の一行を襲ったのだそうです。場所がはっきりしないのですが、戦いは続き、このラ・コンキスタ村一帯にディリアンヘンの部隊が立て籠もっていたこともあるようです。「ラ・コンキスタ」の名前はこのディリアンヘンと征服者の戦いに由来するものと思われます。

 ディリアンヘン酋長は、この歴史的故事からニカラグアの英雄とみなされており、カルロス・メヒア・ゴドイの曲「ニカラグア、ニカラグィータ 」にもその名が歌い込まれています。

 ディリアンヘン酋長は何処でどう亡くなったのかは分かりません。ただ、現在のチナンデガ県のカシータ火山の頂上から「死者の暗黒の世界」へ身を投じたと、伝説は伝えています。


 さて、次の撮影は何処行きましょうか。因みに、このラ・コンキスタ村の後、リカルドおじさんは地図にもない道を海岸方面に南下して、チャコセンテという海岸に出ることを試みましたが、あまりの悪路に断念しました。でも、アドベンチャー精神のあるうちは、うつ病の心配はありません。


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