3歳の時の性被害は一度だけのことだったんですけど、「バレたら自分が怒られる」という事実はその後の人生を決定づけるものとなりました。


その頃、わたしたち家族は伯父の家の2階に間借りして六畳二間で家族4人が生活していました。

これは両親が自分たちで家を建てたいと、貯金優先の暮らしをしていたので、伯父の家なら家賃も安かったんだと思います。


2階にはもうひとつ六畳間があって、どこには子どもがいない伯父夫婦と養子縁組をした常雄ちゃんという大学生の従兄弟が住んでいました。

常雄ちゃんの学費はおそらく伯父が出したんだと思います。

常雄ちゃんの実家は札幌からかなり離れた北見という町にありました。

常雄ちゃんには雄一という兄がいて、しょっちゅう常雄ちゃんのところに泊まっていたんですけど、やがて雄一も伯父の家の2階に住みつきました。


雄一は陽気で人当たりがよくて、どちらかといえば存在を軽んじられがちだったわたしや弟にもおもちゃを買ってくれるような人だったので、伯父の家に住むようになってもみんなとすぐに仲良くなりました。

無口で陰気な黒縁メガネの常雄ちゃんとは違い、細身の長身で顔立ちもハンサムの部類に入る雄一はどうやら自衛隊を除隊になって、トヨタの販売会社にお勤めをしているようでした。


伯父は父の兄で、父は11人兄弟の末っ子でした。

もともとは札幌から車で1時間ほどのところにある厚田村で11人兄弟は育ったようです。

そして11人とも札幌か、せいぜい道内各地に住んでいるようでした。

札幌に住む兄弟の行き来は盛んで、毎週末お酒を飲みながら麻雀をしていました。


父も麻雀に参加していたし、母も料理を出したらするために一階の伯父の家にいたので、わたしたち兄弟は2段ベッドのわたしは上、弟は下で寝ていました。


わたしが8歳だったある週末の夜、いつものように弟と上下に別れて眠っていたら、いきなり足首をつかまれました。

父がふざけているんだろうと目を開けたら、雄一が手を伸ばしてわたしの足をまさぐっていました。


親を呼んでこの状態が見つかったら怒られるのはわたしだと咄嗟に思ったので雄一のされるがままになっていました。

その後は大体がわたしの予想通りで、パンツの中に指を入れられてしばらく触られていました。


その日はそれだけで満足したのか、わたしがまったく抵抗らしきことをしなかったから気をよくしたのか、雄一は階下の騒ぎに戻って行きました。


親が怒り狂っただろうけど騒ぎにするべきだったのか、ひとりになったわたしは考えましたが、人間ってうまくできているもので、たった今起こったことを自分の記憶から抹消することをわたしは選びました。

気持ちは不愉快だったんですけれど、記憶に残さないようにすればなにも起こらなかったと同じことだと考えたんですね。

それが30歳を過ぎるまで続いたんです。