連続投稿のナイロンのリボンの会の代表、優子です。
ラジオ収録の前、出掛けるまえに応援してくれるかのようにテントウムシが車のガラスにいました。
あまりにも可愛くて、写真撮りました。
こんな小さな感動の瞬間も大人になっていくと少なくなっていくなぁと思うわけですが1日1日を大切にできたらと願います。
さて、ナイロンのリボンの会では、
鶴文乃さんの
『1945年、夏 長崎 それから』を取り扱わせていただいています。
どうして私がこの本にしたかというと、
一言で書けば、とても共感したからです。
私達若者は、心の中では戦争については良くない、平和が1番という気持ちが片隅に少しでもあったとしても
経験したことがないので全くわからない世界ですよね。
私も朗読を始めるまではそうでした。
それに、
すごくすごく大きな枠組み、
世界に!!平和!!といった想像もできないくらいの大きな力を私は感じていて。
昔あった本当に本当に大変なことだから、私も読んでいてすごくそれもわかるし
どれほど苦しんだ人達がいたのか考えるときもあります
でも、自分のことじゃないと
現地の人達や私達のように活動している人達や博識な方達は朗読を一生懸命聞きますが
日常に追われる人や
若者や
全く興味すらない人達は
この活動には聞く耳すら持ってくれません。
数年前に、私が朗読出演したときは
いつでしたか本番中に一生懸命読んでいる中
観客のいびきが聞こえました。
もちろん、寝かせる私達にも課題はあります。
しかし、その男性はいびきをかきながら眠っていて、公演中にも関わらず鳴り出した大音量の携帯呼び出し音に気づきもしませんでした。
公演中はマナーモードにするか電源を切るのは、聞きにくる以前の問題モラルだと私は思います。
ましてや他の方で涙を流しながら聞いている方の邪魔にもなりかねません。
この経験から、どうすれば時代を背負って行く後世に繋がるかなと考えるようになりました。
必要なところには届いてます。
でも、肝心なのは、あの寝ていた男性のような人達に伝えないと。と。
という気持ちがある中で2009年の年末に
1945年、夏 長崎、それから
に出逢いました。
そこには、
鶴さんの実体験がたくさんの詩になっており、
私も何故だかすんなりと鶴さんの実体験の詩たちを飲み込むことができたのです。
理由は、たくさんの思い出には悲しみがたくさんあるけれども、でも親の立場にしろ、親の苦労を見る立場の娘にしろ、
家庭のために犠牲になった兄たちにしろ、切なくて、でもどこか懸命で優しいと思ったから。
それに、戦争を知らない私達にも
実体験としてわかるな。
と思ったんです。
本当に平和になるには人の気持ちをわかってあげられるような優しさを持つことかなと。
もちろん、私も楽しいことは好きだし
演劇も好きだし機会があれば出ますし。
でも、ずっと朗読に出させてもらって、何かしたいなと思いました。
ナイロンのリボンの会を立ち上げたのはこんな側面もあります。
長い文章を読んでいただきまして
ありがとうございます。
一語一会、よろしかったらどうぞお願いしますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
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