〝分からない〟を求めに行ったけど、

手にしたのは〝共感〟だった。



私たちは〝人間〟という箱を借りた

本来形のない生きもの。

その箱を借りたから認識できうるのであって元はと言えば、認識できない生命体。

そんな気がした。


ケンジの目に映るのは、原色の風景。

そして多くの人が目にしているのは

その原色を少し水で薄めた、ぼんやりと、

されど優しい穏やかな色をした

まるでモネの絵画のような風景。



原色の世界で生きることは 

時に素晴らしい感動と出会い

時にその身を削られるほど苦しい。

全てのエネルギーが体当たりしてくるから。


人に何かを言われた時もそう。

ハッキリ言われてスッキリすることもあるけど、それがかえって自分を傷つけることもある。オブラートに包めば、良くも悪くも、安牌なのだ。そうやって知らず知らず波風の立たない道を、多くの人間は選んでいく。



物の形も、その色も、その名前でさえ

全て私たち人間が勝手に決めて

好きな箱に仕舞いこんだにすぎない。

私たち自身が〝人間〟という箱に仕舞いこまれているみたいに。



あまりにも様々な世界に入り込み

目に映る全てのエネルギー、 

美しさや醜さまで

一身に受けて立ったケンジ。

人間という箱に収まることを拒み

その箱に収まることは、時として我々に一種の平穏を与えてくれるいう事実さえ知らなかった。



それ故に、自分という存在をこの世界で認知することが難しく、時としてこの世界から浮世離れしてしまう。

そんな隔たる世界の橋渡しをしていたのが

トシだったように思う。


トシもまたケンジと似て非なる感覚を持ち、されど、時にはその箱へ収まること

がこの身をもって生まれたからには良い選択だということも心得ていた。

まさに聡明な人。


決して強要するわけではなく

ケンジの手を優しく取って導き続ける。


私にはトシが妹でなく姉であり

ケンジは兄ではなく弟にしか見えなかった。

トシがいるからケンジは自分の存在を認知し、また信じることができた。

そんな存在を持つことは現在の我々にも通ずる。だからその存在を失うことは痛みを伴うと容易に想像できる。


どこまでも聡明なトシ。

そんなトシが唯一、妹の顔を見せた場面。


最期、その命の灯火が消える間際。

彼女の姿はとても弱く儚かった。

トシもまた人間なのだと思った。

元の鞘に戻っていくように

人間という、その箱へと納まっていく。

それは彼女が選び取れるものではなく 

一種の定めのように。




【生きるのは諦めること】


以前、別のお芝居で私が感じたことでもあった。人として生きていく上で

その不平等さをある種受け入れて、ある種諦めて、それでも人間として

生まれることを選択したのが我々なのではないかと。だから今回この台詞を耳にした時、何かに射抜かれたような気持ちがした。

そういえば、あの時の作品も彼女が出ていた。これは偶然なのだろうか、それとも必然なのだろうか。



【ただ生きて、ただ死ぬのが難しい】


【どう生きるか、ではなく、

どう死ぬのかではないのか】


【この世が何か分からないなら

分かるような世にすればいい】


逆転の発想。


私たちは気づいたら大衆の見つめる

その一つの方向からしか

物事を見ることができなくなっているのでは?

そんな風に思った。



とあるシーン。

私はちょっと不可解な現象に陥った。

私はここに居るはずなのに

自分で自分の存在を感じられなくなって

目の前で演じる役者も、

私自身が勝手に作り出した幻想にしか見えなくなった。まるで夢の中の世界で

フワフワと漂うクラゲみたいになってしまって結構本気で焦った。


とても怖かった。

でも、確かに現実はここにあり、

それを必死で掴もうと、

もがいたあの時間は

とにかく何かが超越していた。


今の私にこの体験を 

上手く言語化することはできない。

ただ感じて、ただ飲み込まれた。

その感覚は言葉になるより、

もっと永遠のものとして

私の中に残り続けるだろう。


あの1時間半。

私と作品は同期していたよ。

振り返っても凄まじい体験だった。




【何の為に生きるのか

我々は、この世が何かも

分かっていないのだから分からなくて当然】

 

それでもその人なりの答えを見つけて

生きがいを見つけて生きていくの。

それが大衆の答えから外れていてもいいんだって。





これが私の観劇人生100本目の作品。

なんだか、とても意味深かった。

10年以上、ずっとこの世界が好きで

今回の作品は日本の原風景を彷彿させると同時に、私の観劇人生の原風景をも思い出させてくれた。

派手な装飾や演出は無くて、

役者は裸一貫で舞台に立ち

観客はその姿を一心に見つめる。

商業演劇的ではなく

どちらかというと学生演劇とか

アングラに近い感じ。

人と人が相対するこの時間、この空間、

この煌めきが好きなんだ。

最近は商業演劇的なお芝居に慣れつつあったけれど、これぞ私の原風景。



ちょっとまだフワフワしていて

ちゃんと元の鞘に戻ってこれていない私ですが😉最近良作続き🌈幸です☺️

今日の体験を自分の人生に浸透させます。

自由に感じ、自由に落とし込める、

観劇の世界が、私は本当に本当に大好きです。