りべろ的おはなしの部屋 -21ページ目

りべろ的おはなしの部屋

おはなしを載せたり、写真ブログや、旅行記もあります。
幕末から仮想世界のおはなし。

旅行記ラストです。

 

ホテルのバイキングを食べて、早々に出発。本日は昼過ぎには出発して、帰省ラッシュが始まる前に京都を抜ける予定で動きます。

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

最初の目的地まで2kmほど。安土城址です!信長さま!

抜けるような青空、もちろんとんでもない暑さです滝汗

 

 

到着です!!さすがにこちらは心躍ります。浅井家に関係ないとは言いませんが、滅ぼした人のお城ですが、そこは信長さまですし。外せません。ここを外すくらいなら、他のお城をパスしたでしょう。

 

こちらは城郭研究者も行くべき城(跡)と言っているお城。近世のお城の原型となったお城らしく、縄張りやまっすぐ続く大手道、もちろん天守閣はありませんが、その場所、というのが私は萌えポイントです。

 

もっと、小谷城レベルで廃墟かと思っていたら、天下の織田信長、規模が違った。結構のこってて(復元されたのかな)感動ものです。ですが、暑い。

 

 

何も残っていないのは知っていますが、どのくらいの規模なのかちょっとまだよくわかっていない頃。実際も発掘調査されたのは全体の20%程度だそう。世知辛い予算の関係上…って奴で。

 

 

ゲートをくぐってすぐ。まっすぐ続く王手道。横幅6m、普通お城の内部の道となると、敵の侵入を防ぐために曲がったり、枡形で囲い込んでいたりするのですが、こちらは珍しい造り。ここら辺も信長の先見の明というか、奇をてらったのか、斬新さを追求したのか、そのどれもあてはまるような気がしますが、さて真実はいかに。

 

 

この王手道の中腹くらいに(実際は序盤の位置)階段の左脇にすこし大きな岩の通路が見えていると思います。そこが秀吉の屋敷跡です。

 

手前の右側は前田利家邸宅。どれもこれも、貴重な珍しい遺構なようです。家臣を城内に住まわせるのも珍しいそう。この当時はね。戦国の終わり、安土桃山の頃、江戸の地名があったのかな、という頃です。

 

秀吉邸宅跡の説明。

 

 

 

 

秀吉邸宅跡。結構な広さです。

 

 

 

利家の方は木が生い茂っていて、現在の奥行きはあまりありません。当時は広かったんでしょうね。

 

 

各屋敷はちゃんと枡形をとって作っていたんですね。

 

 

wiki先生曰く、一般的な防御攻撃の要塞というよりも、政治利用目的の意味合いが強いのではないかと。構造がね、武家屋敷とは一線を画している造りなのと、行幸いただく予定みたいなことを言っていたらしいのと、いわゆる領主が生活するための建物である本丸で住んでいないこと、本丸の造りが清涼殿(皇室の方のお住まい)とそっくりなこと、などなど、そうだったんじゃないか、と言われる理由がいくつかあるみたいです。

 

たのしーーーーー。

 

 

それにしても、もったいないです。全部燃えてしまって、数年しかそこになかったことが。宣教師のフロイスが色々語ってくれているのですが、それはそれは豪華なお城で、世界のどこのお城よりも素晴らしいと言ってくれたらしい。

 

そしてそれは近くの信長の館という場所で、最上部の5階6階だけ復元されています。ここもこの後行く予定です。そちらでみたのですが、まーーーーーすごい。きっらきらw 

 

ま、それは後でまた書きます( *´艸`)

 

 

 

その王手道を登っていく途中、何度もこれ、目にしました。石仏を階段に使っちゃってるの。有名な話です。それも一つや二つじゃない!たっくさん!

 

思わずお顔を踏みそうだったのもあったし、現代を生きる私でもバチが当たりそう…💦と思っちゃうのに、当時のお人らはそれはそれはなんて罰当たりな!神罰が下るぞ!と思ってもそれはしょうがなかったのではないでしょうか。

 

それだけ、急いで作らせた、という証拠でしょうね。

 

 

だいぶ登ってきました。小谷城址が山登りを理由にパスしたのに、こっちも相当な山登りじゃん、ってことに気づきました。王手道を見上げた時点で嫌な予感してましたが、まだまだ序の口だったんです、あれでも。

 

全体が見えますが、端っこですねーおかしーなーめっちゃ登ってきたのに。

 

もう子どもたちは「これ、登って意味あるん?」とぶーたれまくり。水分補給の底が見え始め、汗だくをとおりこして水浴びしたみたいになってましたから。

 

信長の文字が。

 

 

信長が討たれた後作られた、本廟です。確か秀吉が主に作ったはず?ちょっとあやふや。

 

 

遠目から本廟。右奥の娘の前に小さな門があって、その奥になります。

この時、娘らはここがゴールだと思って、最後の力をふりしぼって先行してました。

 

 

が、ここがゴールじゃない…。

で、ここを降りた場所で、こどもらはギブアップ。本丸と天守閣は目の前なんですが、無理矢理連れて行っても何もないのはわかっているので、それなら日陰で涼ませておく方がいいかも、と母一人先をめざしました。

 

 

ようやく、本丸。信長が住まなかった本丸。天皇を迎えるつもりで作ったんじゃないか、と言われてる所。このコの字が後に作られた徳川や秀吉の時代の清涼殿とそっくりなんだそう。

 

そもそもその構造も、まさに天皇の住まう建物よりもさらに大きい尺で作られていて、武家屋敷よりも格段にでかい寸法だったらしい。

 

実際に、京へ向かって討たれてしまうので、本当にそのつもりだったんじゃないかな、と私は思います。宗教なんてくそくらえ、とか言いながら、結構このお城自体宗教色も濃いみたいだし、お寺自体が城内にあるし。

 

 

本丸跡の空間。一部しか入ってませんが。

 

 

 

 

やっと天守への階段です!

 

 

 

 

 

当然何もない。想像よりも、小さかった…。本当にここにあの天守が建っていたんだろうか。地上6階地下1階ですよ!高層ビルですよ!

 

 

奥に説明板が…

 

 

まったく見えない!!!!wwww

気になってしょうがないじゃないかっ。

 

 

天守閣の地盤から琵琶湖方面を望む。手前に見えるのが西湖だそう。創建当時は琵琶湖とつながっていたので、直接水運ルートで京へ向かうのに便利だったそうです。

 

 

子どもを待たせているので、(天守閣の真下、すぐそこなのに…登らなかった奴ら)駆け足ですが、さすがに天守閣からの展望ははるか昔に信長も眺めたのだろうと思うと、感慨深いものがありました。当然、琵琶湖の湾岸が変わっているくらいですし、町並みも違いますが、好んで天守閣住まいをしていた信長はきっとしょっちゅう思いを馳せた景色だろうと。

 

ちなみに、これより前は石垣の上に天守閣、という今のお城スタイルがなかったのと、これより後も天守閣はあくまで防御のための物。住むには適さない造りです。ですが、ここだけは違う。

 

 

これは後で行く、信長の館の中で上演されるビデオで見ました。信長はいたく気に入って本当に寝起きしてここで過ごしていたそう。後世の勝手な決めつけのイメージですが、やりそうだな、と思っちゃうのを止められないわー。

 

 

時間がなくて、他の安土関連の施設をめぐることができなかったので、比べた上での感想ではありませんが、信長の館はとても良かったです。お時間があれば、ぜひおすすめしたいですね。それと、ビデオはぜひぜひ見てください。わかりやすい上に、復元した映像で安土城を見れるので(フロイスの視点)とてもいい。行った気になれます。館長さんらしき方に勧められて見ましたが、DVDをパパに買って帰ろうか悩んだくらいには見てよかったです。

 

高いのでやめましたが…。他の特典いらないので、DVDだけ千円前後で売ってくれないでしょうかね…。ぜひ検討していただきたい…。

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

さぁ、登ったら下りないと帰れない。

 

 

ひたすら降りる。

 

 

この状況から察するに、発掘前は山の中に石が点在していたんだろうな、と。ここまで整備して城郭としての形を見られる状態にするのはそれはそれは大変だったろうと思います。

 

そりゃ、残りの8割近くが手付かずでも致し方ない!

 

 

最後のストレート王手道を眼下にした眺望が、素晴らしかった。

 

 

この王手道の両サイドに屋敷が立ち並んでいたのかー。うん、壮観だわ。

そして今気づいた。降り切った平野のさらに先、山裾の方に見えるドーム。あそこが次行く信長の館がある所です。

 

なのに、ナビさんがこれまた迷走モードの本領発揮で、すぐそこだったのに、延々とさまよう羽目に…。

 

 

秀吉の館跡の間取りバージョン。

 

この平地部分と、石垣の上にも屋敷があったらしい。けっこう大きい!

 

 

そして、入口ゲートのすぐ近くに、熱中症予防かミストが設置されています。気休め程度ですが…ないよりかは良い。そして娘の頭が水浴びしたかのよう…。オール汗まみれですw

 

 

さ、次へ向かいます。最終目的地、信長の館です。

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

復元天守は著作権があるとかで、撮影はできるけど掲載はご遠慮ください、的なことを書いてました。どなたかの持ち物らしいです。

 

 

 

模型天守。これの最上部2階部分を復元しています。8角形なんです。すごいねw

 

 

紹介パネルや子ども向けクイズラリーに、先ほども書いた短編映画上映もあり、小さいけど分かりやすく楽しい施設です。資料的な展示は他の施設の方が多いのでしょうが、こちらは外国の方もたくさんこられていて、確かに原寸大復元天守とか、そうそうないですね。それもこのきらびやかさは!

 

天守閣自体を建物で覆っているので、全天候型なのも嬉しいですね。クーラーが!!!

 

 

あとこちらで興味深かったのが、家康をもてなしたお膳の詳細展示でした。

 

とてつもなく豪華です。ですが、この指揮を執ったのが光秀で、行き過ぎである!と叱咤され、その遺恨が本能寺の変につながったのでは…という説もある、とか書かれてて、ほぉぉぉ~~?!となりました。

 

 

展示は実物大の食品サンプルの様な膳が並んでいました。こちらは全体図の写真。

 

 

怒られて減った方かな、こっち…w

 

 

写真は載せられませんが、天守閣、本当にすごかったです。最上階は螺鈿細工?だったかな、シックだけどきらびやか、その下の階は全部金、軒の内側全部金、宇治平等院鳳凰堂もしっぽ巻いて逃げ出すレベルじゃないかと思いました。

 

そりゃ、フロイスもべた褒めしますって。まぁ、悪趣味だけど、個人的には最上階はアリだと思いました。確かに金張りですが、メインは黒ベースの螺鈿。その下の壁も全部金!よりかは、全然落ち着く派手さ。

 

いや、感覚がマヒしただけかな…w うん、一泊したら十分かもしれないw

 

 

下の階のキンキらは出迎えた人を圧倒させる意味合いがある、みたいなことをビデオで言ってました。さらに天守閣は珍しい吹き抜け構造になっていて、その中三階くらいの位置に信長が好きでよく待っていたという舞舞台が吹き抜けに面してテラスのように作られていて。なんていうか、すごいんです。

 

あーすごいしか言ってない。ボキャブラリーの無さが露呈する…💦

 

公式サイト ⇒ 信長の館

 

 

あの天守閣跡にこれ、建ってたの…?いや、正確にはこれじゃなく、下の土台部分からだから、もっと大きいんだけど入ったのかな…。天守閣の石垣はあったから、間違いないんでしょうが。石垣の上に全部の復元で見たかったなぁ…。

 

 

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

というわけで、ここですべての行程終了。無事母子のみの目的地も回り終えました。ここから延々と一人で運転するしかなく、淡路島あたりでさすがに疲労の色が濃く、眠気に襲われましたが、400km走破しました。

 

渋滞も全然はまらなかった…とまでは行きませんが、事故渋滞はしょうがないとして、帰省渋滞をうまくパスできたので新名神のおかげ、でしょうか。さらに京滋バイパス?も通ったような気がします。ま、全然わからないので、ナビの通り…一部ナビに入っていない開通した新名神にちゃんと入れるかどうか、のミッションがありましたが、なんとかアセアセ

 

 

さて、次の旅行は、いつになるやら。いつの間にか毎年旅行するのが当たり前になっていましたが、今年すぎちゃったのと、来年は受験生がいるので、さてさてどうなることやら。

 

しれっと行っちゃうかもしれませんが、わかりません。

 

 

では、ここまで長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。最後まで書ききれて一安心です。おっと、深夜だわ。それでは、またいずれ。。。

 

 

りべろ