りべろ的おはなしの部屋 -20ページ目

りべろ的おはなしの部屋

おはなしを載せたり、写真ブログや、旅行記もあります。
幕末から仮想世界のおはなし。

お久しぶりです。毎度この一文で始まっていますね。なんだかんだとPCから遠ざかっているもので、申し訳ありません。

 

 

今回、ブログはたぶん長いかな。いろいろあったのと、これからもあるっぽいので、長いです!いつものことですけど。

 

なので、りべろの近況なんて興味ないぜっ!というお方は、パスしてくださいね。

近況の他に一点、カート再開しようかな、と思っているものがありますが、まずはこちらで動向を確認してから、実際に確定すればまた出しますので、その時にお立ち寄りくださいませ。

 

 

◖-------------------◗

 

これからのお話、少々だいぶ重い話が続きます。私自身もすでにちょっと苦しくなってきています。消化できていない事象なので、明るい話題を期待している人はごめんなさい。無理そうならUターンで!

 

 

◖-------------------◗

 

 

さてさて、今年の春は娘の卒業&入学で、そもそもあわただしくなる予定でした。さらに1月末で2年勤めたバイト先を退職して、事務系のお仕事を探すべく、無職の道へ。

 

そうしてハロワに登録し、派遣にも登録し、いくつか就職活動をしつつ、ひたすら待機していた二月末。一本の電話がかかってきました。

 

うちの母からで、平日の昼間っからなんだろう?と思って出ると(私のスマホは少々壊れていて、通話は常にスピーカーフォン対応)スピーカーにした先から、やけに荒い息遣いだけが聞こえてきて、

 

「??」

 

と思っていると、しばらくして大音量の母の声で、ひたすら

 

「〇〇!〇〇!(私の名前)」

 

と私の名前を連呼した後、なかば絶叫する勢いで、

 

 

 

「姉ちゃんが死んだ!!!」

 

 

と続きました。実際は姉の名前を叫びました。まさに青天のへきれき。突然すぎて、単語の意味は理解しているのに脳みそが拒否をしている感じ。

 

 

そのあと、とにかくパニックを起こしている母からなんとか事情を聞きだすも、それ以上の情報もなく、県立の病院に運ばれた、今からそこへ行きたいから迎えに来て、ということだけ。実際にそれ以上の情報を持っていませんでした。

 

わかった、行けばいいんやな、すぐいくから待ってて、と電話を切り、こちらも動き出しましたが、そのやり取りを真横で丸聞こえだった旦那も右往左往。それでも私よりはマシだった。

 

数分後、脳みそがようやく情報の受け入れを始めたのか、急に心拍数がぐわったと上がり、呼吸が苦しくなり、体も震えだして、吐き気ももよおしましたが、テーブルにつっぷして、なんとか持ちこたえ、実家へ向かいました。

 

旦那は別車で直接病院へ向かうと別れ、家で準備している間に同じように母から連絡を受けたであろう兄からも電話が入り、さっぱり状況がわからない、とにかく県立病院、ということで姉の旦那さんに聞いたが早いと伝えて切りました。

 

ちなみに、姉は近所の総合病院で事務をしておりました。なので、勤務中にせよ、通勤途中にせよ、そちらへ運ばれたのかと思いきや、30分離れたもっと大きい総合病院。いろんなハテナが浮かぶ中、泣きっぱなしの母を拾って病院へ向かいました。

 

道中、あれこれ考えたりしたら涙で運転できなくなるので、とにかく考えないようにして向かいました。

 

 

そうして到着した病院。移転新築したばかりのきれいな病院。それのひたすら奥、救急対応のさらに奥、集中治療室的なところに、姉が寝ていました。姉の長女以外の家族も終結していて、姉の体はまだあったかくて、なんでそんなところで寝ているのか、信じられない状態。

 

 

◖-----------------◗

 

 

ここで、姉の状況について説明します。

誰に起こるか、誰に起こってもおかしくないことなので、書いておきます。

 

 

姉は健康体で、数年前にメニエール病になりましたが、完治して日常生活に支障なく、むしろアクティブに活動していました。既往症もなく、常に服用している薬もありませんでした。花粉症はありましたが、動けなくなるような重度ではありません。私や兄は昔からアレルギー性鼻炎と喘息でしたが、姉は健康そのもの。花粉症もおばはんになってから。

 

2月25日(火)の朝、その前の週末の土曜に子供たちといったスキーで膝をひねってしまって、それの治療で予約していた家から数分の整形外科に向かって、その靴脱ぎ場で倒れこんで、そのまま。

 

実際には、そこからすぐ救急手配してもらって(畑は違えど病院ですから、ドクターも出てきてくれたし、対処は早かった)さらに徒歩数分の所にある大きな消防署から救急車も2分後には到着して、救命措置をしながら病院へ向かいました。その時はまだ呼吸があったそうです。

 

ですが、その搬送中に心肺停止になり、蘇生措置を取りつつ病院へ到着、その後も結構きつい薬も何度も入れて、蘇生を試みましたが、結局倒れてから1時間16分後、死亡が確定。という流れ。

 

実際の治療室のホワイトボードの記載。専門の方にはわかるでしょうか。

 

てんかんの疑い、と記述がありますがそんな既往はありませんし、整形の先生の見立てなのでそこは違うと思います。

 

 

そして、そこからもそれまでも、死因の特定に至らなかったのが、怖いところ。

 

死後、CT撮ったり色々死因究明はしてくれたそうですが、わからなかったそう。そして後から調べたのですが、死後CTの精度はだいぶ低いということ。ただ、心臓内にも脳内にも死因につながるような血栓はなかったのはわかっている。

 

何らかの原因で倒れた拍子に、悪いところを打ち付けた、ということもありませんでした。左の腕に少し擦過傷と打ち身があっただけ。これは倒れた時にできたものと思われるもの。

 

 

あえて言うなら、急性心疾患。突然死、とも言います。

心室細動などは心臓の痙攣が起こり、正常な拍動ができなくなること。たぶん、それとも違う。

 

それなら処置が早かった今回は、助かったかもしれない。

 

異変が起こってから1時間以内に死ぬ(確定)場合、ほぼ意識がもどることも、拍動が戻ることもなく、そういうケースは突然死よりも急性な、瞬間死とも言うらしい。姉の場合、こちらではないかと。

 

でも、全部後付けの理由。事実はわからない。何か理由をつけたいだけなのかもしれないけど。

 

 

◖-----------------◗

 

 

なぜ、姉は死んだのか。

なぜ、死ななければならないような事が起こったのか。

 

それがわからないから、防ぎようもない。そして納得する理由もない。

 

 

それは離れてくらす私でも思ったので、残された家族、特に末っ子の長男はずっとブツブツ「なんで死んだんや…」とつぶやいていました。そりゃそうです。納得できるわけがない。

 

 

そして、私も母もそうだったように、家族への一報も、家のすぐ裏で倒れたにも関わらず、

「亡くなりました」という病院からの電話が最初でした。

 

そりゃね、患者さんの家が裏にあるとか、知らないよね…。でも家に長男はいたんですよ。高校3年生で、自宅待機の期間だったので、家に。すぐ裏に。走ったら1分かからない距離に。そして第一報を受け取ったのもその長男というね。どんだけショックだったか。

 

 

52歳でした。5つ上。この際、歳がばれるとかもういいです。たった52年。末っ子の卒業式を1週間後に控えてて、高卒で就職上京が決まっていたので、まさに子育てが終わる寸前。

 

そのうえに姉妹がいて、そちらは24歳と22歳。就職していましたが、まだ二人とも未婚です。さみしいさみしい、言いつつも姉の第二の人生がこれから始まるときです。なんで死んだんだ。

 

私が最後に会ったのは去年の9月ころ。娘の修学旅行のお土産を持って、職場の病院に突撃したのが最後でした。いつも偶然会うと後ろから忍び寄ってきて、私の脇腹や背中や二の腕を思いっきりツネるのが姉風のあいさつ。名乗る前にだれかわかる所業。それももう二度とありません。

 

メールのやり取りは1月。私の誕生日の数日後にへろーんと野暮用で来ました。その時に転職しようと思うと書いて、「その方がええ。もう無理はできんで」と返ってきたのに。

 

今もPC机に遺影となった姉の写真を、小さな写真たてに入れておいていますが、桜をバックにいい笑顔です。めったに会わない生活をしていた私たちにとっては、居なくなったことが実感できないまま。

 

兄も母も同じようです。しっかり骨まで見送ったけど、実感なんて数年たって感じるんでしょうね。

 

 

◖--------------◗

 

 

さんざん泣いた後に待ってるのはお葬式の段取りが始まります。本来、母親の葬式となるとその家の子供たち(おっさんおばさんの年齢の頃)が取り仕切りますが、早すぎる死でお姉ちゃんたちが成人しているとはいえ、そんなのわかるはずもない。なので、喪主である義兄やお姉ちゃんたちと一緒に私も混ざりました。

 

これの究極バージョンは義姉の時です。41歳だったので、子供たちは長女が中1、末っ子は4歳でしたから、まるっきり喪主に決定を仰ぐ以外は私と姉が裏方奔走しまくりました。喪主である兄はとにかく若いのと義姉が現役郵便局員だったので(兄も元局員)、来客応対がひっきりなしにあり、裏方に時間を割くことがほぼできず、決定事項に了承をもらうのだけして、あとは全部姉と二人で。

 

それが今回は若いとはいえ、二人は成人、一人は未成年ですがほぼ学生終了間際。それも就職するので一社会人手前。決定権はないものの、メモしたり確認してもらったり、店に走ったり買い物したりはしてもらえたので、横から口を出して、手が回らなそうな所を手助けする、感じでした。

 

姉ちゃん、みんな立派に育ってるよ。誇っていいよ。

 

 

そして若いからという理由で4日葬でした。思い出してください。2月の末、何があったか。

今、世間を騒がしまくっているコロナで、安部首相が突然、2週間休校を要請する、最初に言ったのが2月末。正確には26日だったかと。その第一報は、葬祭場に移動して、納棺を終えたころ。そうして地元の自治体が措置を決めたのが翌27日。まさに通夜の席で、地元も週明けからの休校が決まった、という一報でした。

 

その日が木曜、翌日はお葬式で金曜。木曜までは子供たちも学校に行っていましたが(私はずっと張り付き。都合よく無職だったから)金曜だけは休んでもらいました。その金曜に、大慌てで卒業生とのプチお別れ会をし、各学年からお礼の出し物披露や、プレゼント、恒例の先生方の大笑いする寸劇などがあったそうです。うちの子は出られませんでした。卒業生と在校生ですが、仕方ない。

 

せめてもの救いは、月曜が終業式&在校生とのプチ卒業式(という名の予行演習)には出席できたこと。卒業式&入学式はうちはやってくれました。ただ、在校生と来賓は欠席の短縮版ですが、それ以外はちゃんとやってくれました。

 

そんな状態で、休校へ突入しました。

 

 

◖-------------------◗

 

 

悲しいけれど慌ただしく姉を見送って、毎週の七日法要もこなし、四十九日代わりの35日法要も終わり(地元では葬式から三月またぐのは縁起が悪いといって、早める風習があります)落ち着いた3月の終わり頃。さらにビッグな出来事が発覚しました。

 

2月から無職になったことだし、この機会にやっておくか、と申し込んでいた人間ドックの予定が3月頭。予期せぬお葬式でスッテンテンになり、さらに入学も控えていて、自費ドックの4万8千円はほんとやめようかと何度か思いましたが、姉が理由もなくあんなことになったのもあり、受けとくべきやろ、と旦那にも言われ、行ってまいりました。

 

私の家の近所の市立病院。こちらも移転新築したばかりのきれいな所。早々に受付をし、ドック1番の方~と椅子に座り携帯を開く暇もないほど、サクサク呼ばれ続けて、難関の胃カメラ。

 

喉のおえっ、というのを我慢できる気がしなかったので、鼻腔カメラを希望。鼻炎で年中鼻の中が狭いので事前に耳鼻科で見てもらって左なら行けそう、と言われていたので、入らなかったら喉から、という不安が少し解消。実際、入りました。ゴリゴリっと押し込まれる感覚はありましたがw

 

それでも気持ち悪いのは当然ありまして、背中をゆ~っくりさすってくれて、それがなければだめでした。アレ、効果すごい!!看護師さん、天使!おばちゃんだったけど、その厚みの感じるあったかい手に助けられました。

 

そうして耐え続けた15分。胃に到達してすぐ、「あ~…ピロリ…」と聞こえ、いろいろ説明されながら、返事をしたらえづきそうなので無言で検査終了。

 

 

そして胃カメラの結果説明。検査中に言われた通り、ピロリ菌がいる、とのこと。とり肌というのか、胃の表面が波打ってざらざらに荒れている。大きな胃潰瘍の痕も見えた。確かに、去年は市販の胃薬を何箱も飲みまくって痛みに苦しめられた記憶が。ストレスだと思っていたけど、+ピロリ~のせいでしたか。納得!このやろ、ピロリ~め。

 

そうして、除菌投薬しましょうね~とにこやかに言われて、検査終了。お弁当を食べて2時間弱で初の人間ドック終了。ほかの検査結果は2週間後に郵送します~と言われて帰りました。

 

 

◖----------------◗

 

 

そして忘れたころに届いた封書。特に気にもしてなくて一晩、未開封のまま机に放置。翌日の夜、思い出して、あ、そうそう来てたんだった~とぴらりと開いて確認。

 

う~ん、コレステちゃんとか血糖とか、ちょいオーバーやん。大丈夫って言われたけど楽観できんなぁ~…と読み進め、危うく見逃しそうな最後の最後に、へろっと書かれていました。

 

 

 

 

マンモグラフィー検査  右:悪性の疑い、要精密検査。

 

 

 

 

ポーン え…?……えっ???

 

 

乳がんってこと…?私が?悪性………

色々浮かんで、思わずセルフチェックもしましたが、何も感じない。違和感もない。

 

 

こういう結果はわかったことを良しとして、とりあえず再検査をしようと、翌日が祝日だったので二日後、病院に電話しました。

 

選んだのは乳腺専門医の個人病院。義姉の乳がんがわかったのも、姉が良性腫瘍を手術したのもソコ。まぁ、義姉の場合検査途中で医院長が検査を打ち切り、すぐ医大に行きなさいと言われたんですが。

 

義姉はただの乳がんではなく、急性がつく質の悪いものでしたので、その時すでに腫瘍が大きくなりすぎていて、マンモの検査で四苦八苦していたのですが、調べなくていいからすぐ行きなさい、と言われた経緯のある病院でして…。判明した時点でステージ4、末期。違和感からひと月で大豆粒がピンポン玉に膨れ上がっていたのです。詳細は以前にも書きましたので、割愛です。

 

興味がある方はどうぞ。  ⇒ 『蛍火にあなたを想う』 後書き 

ちなみに長すぎて私は断念しましたw ほんと、すみません真顔

 

 

そんなこんなでご縁のある病院にかけると、予約は必要なく、なんなら今からでも、ということで、行きました!急がば回れではなく、善は急げです。

 

そうして現地で改めてマンモを撮り、見ましたその画像。あれ?その場で見られましたね~。おかしいなぁ、2週間待たされたのは何だったの…他のと一緒に後日にする必要…きっとあったんでしょうけど、へ~…10分で画像見れたけどね?

 

 

そこに写っていたのは、〇でも●でもなく半月のような点々の帯状のもの。画面上でも1cmくらい。実際はもう少し小さいみたい。その白く点に写る時点で、石灰化している証拠、つまり悪性=がん、である可能性があるらしい。

 

 

『へ~…石灰化、へ~…』

 

 

だけどマンモでの検査でわかるのはここまで。これ以上の確定は実際に細胞を取って検査しないとわからないらしい。なるほど!はい、もちろんします。え?部分麻酔?え?痛いの?いや、しますよ?

 

 

検査には2種類あって、どうやらより多く細胞組織を取る方、針生検という方らしい。細胞検査とやらは麻酔いらないらしい。えっと、選択の余地なかったけど…、詳しく調べてもらえるんだから、文句なんて言いませんっ!

 

 

◖-------------◗

 

医師「麻酔薬入れますね~」

私 「…、……」 (当然それが痛い)

 

 

医師「はい、では組織取りますね」

看護師「ちょっと音しますけど大丈夫ですから」

私 「音?あ、はい」

 

「バチンッ!!」

『!!!バチッて言うたー!地味に、普通に、痛い!』

 

看護師「はい、もう一回音しますからね~」

私 「…、…(もはや何も言うまい)」

 

「バッチン!!」

 

確か角度を変え、4回くらいされたような…記憶がすでに曖昧。

結論。麻酔していても、痛いものは痛い。

 

だがしかし、麻酔していないバージョンと比べる勇気などあるわけがないので、麻酔が効いていたからこれで済んだと思うことにする。うむ、平和的。

 

わりとぶっとい針を刺すので、そこから細菌が入らないように、でっかい絆創膏を貼った上から大きめ脱脂綿をくるくる筒状に丸めて棒状にしたのをあてがい、さらに上からでっかいテープでずれない様に固定。

 

さらにさらに、すべての上から大きな腰サポーターのような、マジックテープのバンドを胸全体締め付けるように巻かれて、「今日1日、そのまま帰ってくださいね~。お風呂は大丈夫ですけど、その前まで脱脂綿はつけておいてくださいね。お風呂の後、絆創膏は外して大丈夫です」

だったかな。翌日だったかな、ちょっと忘れました…。

 

まぁ、けっこうぶっとい注射や採血よりも、奥まで刺したってことでしょう。

 

 

◖--------------◗

 

 

そして、検査結果がでるのにさらに2週間。

 

「4月6日以降で来られる日、ありますか?」

 

 

その時点で、4月からの就職がおそらく決まりそうだけど、確定しておらず何とも言えない。

なので…、入学式の日なら絶対何があっても休みをもらうので、その日の午後にしました。

 

 

そうか…着物着て入学式に行った後、病院か…。うん、しゃーない。

 

本来、入学式の午後は長男(中3)の修学旅行の周知会&旅費集金の予定が入っておりました。ですが、この時点で延期が決定しており、周知会自体なくなっていました。よかったのかどうか。

 

 

◖-----------------◗

 

 

そんな中、就職。ハローワークで見つけた求人は面接まで3週間先を指定され、面接結果に1週間、結局履歴書送ってからひと月待たされたあげく、だめでした。

 

で、グッドタイミングで、結果が出る前日夜にメールで派遣会社から、こういう話がありますが、どうします?と連絡があり、翌日ハロワ求人がダメになり、派遣の方に返事をして…社内選考などあり~の、派遣先面接あり~の、決定、となりました。

 

それがきまったのが、3月25日。4月からだったので、もうないかな~と思っていたら決まりました。

そちらは派遣契約で、大手電力グループの通信会社。本業になにをしているのか、実際のところよくわかっていません。社内や他社のネットワークだのオフコンだの、なんだのやってます。

 

私の仕事はその中でもさらに内部向けで、グループ会社の社員さん、主に電力系の方たちがお仕事で使ってるスマホ&タブレットの補修管理です。仕事用なので、一般的なタブレットとはだいぶ違い、スマホも機能に制限かけて、いろんな設定をつけているので、スマホというよりスマホの形をしたガラケーのような感じです。

 

それの社内用制限やら設定をしなおして、個人用IPやらシリアルにかきかえて、代替え機を返送したり、直らないものはメーカーに修理依頼だしたり、ということをしていますが、なにせまだ働いて半月。

 

しかも週3日しか勤務しないので、実質9日ほどしか…。さらに短時間勤務なので、一日5.5時間。

このご時世、週休4日いただいております。そのうえ、派遣なのに交通費実費支給で、時給自体もこれまでのバイトより数百円UP。

 

唯一、駐車場代が出ないのですが、街中に車で通うより、駅まで遠いけど電車通勤して定期代をもらう方が得をする結果に。なにせ、月の半分以下しか出勤しないのに、定期代で支給されているので…(いいのか!いいらしい!)毎度切符を買う(SF利用)のでも、お釣りが出ます。そのお釣り分を、自宅から駅まで乗る車の駐車場代(これも月極より毎回精算の方が安い)にあてれば、自腹を切るのが実は数百円で済む計算になったりして。

 

とにかく、週休4日は味をしめるともうこれ以上働けない気がする…くらい、素敵です。以前若いころ働いた派遣では、交通費もでないし、それでも保険やらひかれて、まるで足らなかった記憶しかないのに、扶養範囲内という視点で見ると違って見えるってことかしら?

 

 

短時間勤務とはいえ、往復電車で、駅まで車で移動し、少し離れた安い駐車場に停めてホームで待って、帰りも電車の時間まで待ち、また駐車場まで歩いて…となるので、早め早めに動いていると、家を出る時間は早く、帰る時間も前より遅くなっています。

 

それでも、体の疲れが違っていました。これは変わってみて気づいたことで、やっぱり相当無理していたのかも?と思いました。転職してよかったですラブラブ

 

仕事の後、家に帰ってからでも買い物行こうと思ったり、仕事の日にハンバーグを作ってみたり(手間かかる料理は休日オンリーでした)そういう気持ちになれる事自体が驚き①、それを実行しても大丈夫なことに驚き②です。

 

誤解のないように言っておきますが、前職のバイトが特段きつい仕事内容だったわけではありません。その証拠に同年代の主婦たちは普通に何年も働いていて元気です。私が特に体力がなかったのと、立ち仕事&そこでの作業が体に合わなかったということです。その時はこなせるけど、あとあとまで尾を引くというか。

 

みんなが毎週ふつうにこなしていた作業を11月に一人でやっただけで痛めた肘がいまだに痛い…。(テニス肘、いわゆる腱鞘炎)どんだけひ弱なんだ、私。

 

 

◖----------------◗

 

 

そして入学式を終えて、向かいました。病院へ。

入るなり、「ご家族の方は?おひとりですか?」と言われ、「一人です」と。だって、家族同伴とか、言われてないし~。

 

 

さらりと、

 

 

「悪性でした、いわゆる乳がんです。初期のね」

 

 

と言われました。

 

 

そうだろうな~と思っていた(勘)ので、さして冷静に「そうですか」と返すと、逆に先生に聞き返されちゃいました。だって、疑いなかったらドックの結果に書かないよねーと思ってたので。違う人もいるので、再検査にびびらず、当事者になってしまったら、すぐ行きましょうね。

 

 

大事な人を何人も亡くしたガンですって。私が。おじ二人、義姉、義姉の母(優しい人だった)、他にもいっぱい。みんなと違うのが初期ってこと。

 

 

◖------------------◗

 

 

で、ここでおさらいをしましょう。人間ドックは3月初め。正確には3/5。

検査結果を受け取ったのが、3/18。

祝日やらで、再検査に行ったのが、3/20。

その検査結果が4/8。

 

 

はい、この時点で最初に影が映った日からひと月過ぎてますね。思い出してください。義姉はひと月で大豆粒からピンポン玉になった、と言いました。私はひと月すぎていても、いまだ触診できないままです。もし、義姉と同じ急性だったなら、手遅れになっていたかもしれないくらい、日数が経っています。

 

 

だから、がんだとしても、初期だろうと思っていました。そしてやっぱりそうでした。

 

 

医師「ステージで言うなら、ゼロ。検診でないと見つからないレベルですね。よかったですね、見つかって」

 

まさにその通りだけど、ちょっとまって、今なんて言った??

 

 

『ゼロ???イチですらないの?そんなステージあるの?え、っていうか、これはこの段階でガン診断なのか?』

 

と頭に浮かんだので先生に確認。初期だけど、診断はガンだそう。そうなんだ…。

 

 

いやいやながら、受けた自費人間ドック。4万8千円ですよ?旅行いけますよ?今はいけませんけど。大きな出費、エイヤー!で受けたものですから、これで何もなければ、おそらく後5年は、もしくは体にあきらかな不調が出てこない限り、次は受けなかったでしょうね。

 

それに今回再就職しましたが、派遣社員です。当然福利厚生はあってないようなもの。入ったばかりなんでね、そもそもないです。もちろん、会社の健康診断も対象外です。期間も就業日数も時間も。

 

 

だけど、今回色々見つかった事で、定期的に検査は受けないといけないな、と思いました。ただ、検診はあくまで検診。市から無料で案内がある特定検診は、今も受ける価値なしと思っています。(個人の感想です)あまりに検診内容がおそまつすぎて…。

 

それでも、同じく市から来る、マンモとか子宮頸がん、大腸は受けよう、と思いました。これからもね。受けたことはあったのですが、ここんところさぼっていました。引っかかった事なかったので…。

 

 

◖------------------◗

 

そうして、結果を伝えられてそのまま、治療の話になり、手術は二通りあります、から始まり、手術して摘出するのはもはや説明するまでもない感じ。

 

手術には乳房すべてを取る、全摘出と一部摘出があって、今回は初期なので一部になります。乳首も残ります。とのこと。まぁ、命と引き換えにするならおっぱいくらいくれてやる気ではいますが、現実問題、片方だけまるっきりなくなったりすると、毎日何度も思うところがあるでしょう。

 

必要としていなくても、そういうものです。温泉だって人の目が気になってしまうでしょう。これから先も生きていくことを考えるとね。当然全摘しかなかった義姉は、カツラも含めて健常者と違う見た目に、ダメージを受けていたので。

 

 

手術日までトントンと決まり、事前のMRI検査も予約し、それからの日程が決まっていきました。ただし、一点だけ、乳がんという奴はリンパに近いところにある関係上、転移の可能性がゼロではないこと。初期中の初期なので、可能性は低いけど、絶対ではないこと。

 

それを調べるには、実際にがん化している周辺のリンパ節ごと切除して、精密検査に出して調べないと確実に答えがでないのだと説明されました。

 

なので、手術して腫瘍と一緒に摘出、検査に出し、その結果をまた一週間後に聞きに来てもらって、その時抜糸もしましょう。とのこと。

 

 

なるほど。

 

 

◖-------------------◗

 

と、ここで、再びコローナのやろうです。

 

 

ここまで決まったのは、4月頭。先週、病院から電話があり、コローナのせいで入院を短くすることになりました、と。

 

「え、これ以上?」

 

と思いました。すでに一般的な入院日数より1日短くしている病院で、4泊5日のところ、3泊4日の予定でしたので、さらに短くなり、2泊3日で退院しないといけなくなりました。

 

 

が、よく聞けば、前日入院がなくなり、当日入院の即手術、術後経過は当初の予定通り、2日ある、という説明だったので、ひとまず安心。元気な状態の一日カットならなんとかなります。

 

さすがに体にメスを入れた後、すぐ帰れって言われるのはつらいですから。とはいえ、これまたコローナのせいで、家族のお見舞いはおろか、付き添いも不可、術前の説明も時間まで車で待機、説明の後、そのままお帰りいただきます、とのこと。

 

まじかー。洗濯とかはさておき、術後ふらついてる時もずっと一人かー。それはちょっと辛いけど、頑張るしかない。コローナの野郎め。コローナのせいで、治療自体できない人もいるでしょうから、手術してもらえるだけ、ヨシとします。ありがとう。

 

姉を亡くしたばっかりで、凹みまくってるうちの母に言うか言わまいか、迷ったけど兄とも相談して(今回のがんで、相談したかったのは本当は姉だった。こんなタイミングで居ないなんてね)「何かできるわけちゃうし、いますぐ言わんでええんちゃうか?」と言われ、2週間ほどあけて、先日いいました。

 

「もうばあちゃん、お姉につづいてあんたまでとか、もう無理…」

 

とめちゃくちゃ泣かしてしまいました。でも、万が一のこともあるので、言わないまま手術したくなかったので、しょうがない。私は生きるよ、と言い聞かせました。姉や義姉の分まで120歳まで生きると決めていますし真顔(本気)

 

 

ばあちゃん、ごめんね。手術、頑張るから許してね。

 

◖---------------◗

 

 

というわけで、わたくし乳がん手術を受けます。来週です。今月末に退院しますが、抜糸しないまま、GW突入。抜糸&検査結果説明はGW明けです。その前にMRIの検査結果を、明後日聞きに行きます。

 

 

 

就職したばっかりなのに、まじかー!と思いつつ、とにもかくにも報告するしかない、と結果を聞いた後、病院の駐車場から派遣会社に連絡しました。事情を説明して、翌日すぐ会社に来て上司への説明と長期休暇の了承をもらってくれました。こういう時、ワンクッション入る派遣社員は少しだけ気が楽です。もちろん、そのあと私からも話しましたが、ちょうどGWが絡んでくれたので、影響が最小限で終わるのがせめてもの救いというか。

 

まぁ、病気やから休ませろ、と言われて、だめっていう会社は社会的にアウトでしょうし、OK出すしかないとも言います。本当にご迷惑をおかけしちゃいますが、致し方ない。結果が4月にずれ込んでしまったけど、いろいろ考えると就職する前よりかは、マシかな、と。ありがとうございます。

 

 

ちょうど私のしている仕事も、代替え機の在庫が切れるのと、コロ~ナのせいで、半分の社員が在宅になり、さらに移動できる部署は事務所ごと別建物や別のスペースへ引っ越しすることになり、大騒ぎです。

 

社内LANやらグループ会社LANやら、なにせ通信会社ですから、面倒くさいけれどもそこらへんはお手の物のはず。そんなこんなで、みなさんバッタバタなので、かえっていなくてよかったかもです。たいして戦力にならないのに、ただ居るだけ、ってのもねー。

 

 

私の部署はそこにいないと仕事にならない、ってので、移動なしです。在宅も最小限のよう。隣の課はだいぶ変わるかもしれない。明日が術前最後だけど、明日からビル全体がオフィスフロア以外、閉館します。

 

館内移動ができないので、お昼とか大変かも。というより、お店も軒並みしまっちゃうかな。お弁当かな…。

 

 

◖-------------------◗

 

 

そんな中、3月末から4月の新学期までには、プリーツ布マスクをせっせと作り、休校が決まってからは立体型マスクを延々と家族の分はひとまず後回しにして(再び休校になったので)、友人や、兄家族、元同僚や、実家の父母分と、作りに作ったマスク、50枚超え。

 

なんていうか、もはやマスク職人。

 

 

てなわけで、今週からは私も旦那も職場でのマスク着用が義務化されたのもあり、せっせと作っておりました。ようやく最後に家族全員の洗い替えを含めてストックができました。

 

 

これだけ作ると、否が応でも腕は上がりましたw そうして職場の同ビルに手芸屋さんが入っており、街中のビル内という、地元の主婦の行動範囲外な立地があいまって、ちまたからガーゼもゴムも姿を消した後にも関わらず、行くたびに何かしら出ていて、それらを買い足して、ファンシーすぎる柄ラインナップから進化を遂げることができました。

 

ゴムも、髪ゴムを調達してはいたのですが、長時間になるとやっぱり痛そう。そのマスク用平ゴムも、白はなかったですが、色付きゴムが行くたびに新しく売り場に出されている状態。

 

我が家の分はしかり、友人らの分もゲットできました。そのうちに、表生地はガーゼでなくてもマスクは作れると気が付き、柄バリエーションが一気に増えました。

 

おかげで、裏に使うWガーゼもまだ少し余裕があります。

 

 

◖---------------◗

 

 

そこで、もし欲しいという方がいらっしゃるなら、カートに出してもいいんじゃないかな、と。

私とブログを通じて関わりのある方限定なら、それもアリかな、とおもいまして。

 

メ〇カリさんとか、すんごい高いんですね。送料込みだとしても、高すぎるかも…だし、マスク自体の販売を禁止している現状、手作りマスクも同じじゃないか、とかいう方々もいらっしゃって…。転売と手作りはまるっきり別物だとは思うんですがね。

 

あくまで、するかもーなので、こちらで欲しいというお声がない限り、いたしません。1枚作るのに30分はかかるので、それなりに手間はかかっちゃいますので。無駄に作って余らせるのは嫌ですから。

 

あと、来週は上に書いたような事情により、何もできません笑い泣き 当然ながら、GW明け以降、始動する感じです。急を要する方、ハンドメイド品にご理解のない方はご遠慮いただくようになります。

 

その昔、自作品を自家製本した冊子を扱ったカートを再活用するつもりです。材料費もかかるので、送料とすこしばかりの縫製手間賃くらいは上乗せさせてもらいたいです。

 

それでも、某サイトさんより安くできると思うので、布を余らせておくよりかはいいかな、と思いまして。

 

家族と、友達用に作ったマスクを見本として載せておきます。同じ柄はないかもしれないので、見本としてとらえてください。

 

 

ここで欲しいという声がいくつか上がれば、ぶっちゃけお一人だとしても、カートを開設しようと思っています。逆に言うと、殺到した場合は対処できなくなってしまうのでw 選ぶ布にもよりますが、だいたい一枚 300~400えんくらい(手間賃込)送料実費、くらいでしょうか。おそらく。

 

 

こんなご時世ですから、少しでも助けになれれば、と地方民も思うわけで。というか、ニュースを見ていた家族から、

 

「ママのマスクも売り物になるよ」

 

と言われたのがきっかけといいましょうか。誉め言葉と受け止めていますが!

なんせ、マスクを作り続けていたので!

 

余談ですが、愛用のミシンはその昔、姉が私の高校入学時に買ってくれた代物。30年選手ですが、現役です。これからもずっと使うつもりです。ますます手放せないミシンになりました。

 

ゴムは明日以降、同ビルの穴場手芸店も閉館するので、何とも言えません。昨日の時点で、平ゴムは2m 165円でした。ただ、黄色しかなくなっていて、さすがに買っていません。白い丸ゴムはまだ少しありましが、在庫少なくなってきていました。

 

必要な方がいらっしゃれば、GW明け開館していたなら、のぞいてみて売価のままお譲りしたいと思っています。髪ゴムでも布を割いて作った布紐でも代用できるので、検討してみくださいね。

 

 

 

地元では国内産手袋シェア90%をしめている手袋産業がありまして、そちらはニットマスクを作って売り出しています。縫い目ゼロで、耳も痛くならないそうです。ただ、品質の良さとこのご時世で、一月待ちらしく、どうなんでしょうね。ニットを手作りするにはちょっと厳しいですね。結局ごつごつしそう。

 

 

あと、今後支給されるらしい国配布の布マスク。分解して立体マスクに成型しなおしてる方がいらっしゃると、友人が教えてくれました。もし我が家に届いたら、分解して内側ガーゼに利用してもいいかな、と思っています。不良品が多くて今配布止まっているらしいですが。業者さん、よろしく頼みますよ。


 

◖---------------◗

 

これまでに作った、マスク見本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

基本的にリバーシブルで、ゴム通しは裏に折り返さない方法で作っているので、割と顔にフィットする仕上がりになりました。(改良しつつ作ったので)

 

私がつけても問題ない大きさですが、一応ネットで出回っている大人サイズ(小さめ)というサイズになります。ファンシーな柄は子供サイズ。幼稚園サイズとありましたが、顔が小さいうちの子は、中1の娘と小5の次男は子供サイズでぴったりです。

 

娘は最初大人サイズにしましたが、大きすぎてダメでした。中1の長男は大人サイズです。でっぷりしているうちの旦那には、このサイズはあごの下までくるけれど、あごの下にさらにお肉(もう一つアゴぉ)が見えて、腹抱えて笑いました。

 

兄にはぐるりと周囲1cmずつ、大きくしたサイズで作ってあげました。男性にはそれくらいがいいかもです。そこらへんはどうとでもなります。

 

 

◖----------------ー◗

 

最後にマスクのことを書いたのは、ここまで見てくれる人なら、いいかな、という思いです。興味ない人はここまで読みませんからね! ありがとうございます。読んでくれる読者さんならいいかな、と思った次第です。

 

すみません、読者さんとか言いながら、全然お話UPできなくて。。。

 

 

あ、そうそう。これもついでにいいか、と思ったこと。

もし、冊子を希望される方がいらっしゃるなら、この際一緒に聞いてみようと思いまして。以前、放出した系です。何度もPCクラッシュしながら、守り抜いたデータがまだおりますので、こちらはマスクとは別便で、本当にぼちぼち納品になりますが、必要な方がいらっしゃるのなら、表紙の調達から始めようか…という感じです。

 

こちらは、本当にいくつかの声があれば…です。私自身もすべてから遠ざかっているので、なんとも言えませんが、人間いつ死ぬかわかりません。やれることがあるなら、やればいいかな、と。出し惜しみするようなものでもありませんので。

 

ではでは、長くなりましたが、そんな感じの近況報告でした。

 

 

姉のことは実感もなく、消化もしておりませんが、りべろは元気です。手術、頑張ってきます。

 

 

 

りべろ