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りべろ的おはなしの部屋

おはなしを載せたり、写真ブログや、旅行記もあります。
幕末から仮想世界のおはなし。

 


  『Le Voyageur Éternel』 ~悠久の旅人~

 古き良き時代の香り漂うこの店は、パリ郊外の田舎町に工房を構えて百年経っている。初代から数えて今年還暦を迎える今の店主が六代目である。


 元は錠前を専門にしていたが、時代の流れと共に今では副業で始めた仕事の方が割合を多く占めている。この店は副業に時計の販売をしている。高級な時計は数こそ売れないが、一部の貴族の間では一種のステイタスとして人気がある。
 
 この日は朝から顧客台帳の整理をしていた。これまで取引のあった客のパーソナルデータから、注文いただいた品、取り寄せたすべてのパーツに至るまで書きこんである、云わばこの店の財産である。


 内容を常に精査しておくことで、いざという時に必要な情報を確実に見つけることができる。だからこの作業は三月に一度行っている、いわば定例作業というべき仕事だ。
 一通り整理し終えてすでにぬるくなったティーを飲み干すと、棚の奥から年代物の冊子を一つ取り出した。
 

 皮表紙のそれは、創業当時から受け継がれている最古の顧客台帳である。ところどころ擦り切れて、角が欠落してしまっている。

「表装を変えた方がよさそうだな」

 店主はそう呟くと、とりわけ丁寧にそれをカウンターの上に置いた。ここに書かれている顧客で今も付き合いのある名前はただ一人。最初の来店は、開業間もない頃、そしてそれ以降不定期に訪れては、特別な時計を注文してくれている大切なお客様である。


 由緒正しい貴族であれば、代々贔屓にしている店の一つや二つあって当然だが、時代が変われば顧客も店側も代替わりしていくのが常である。だがその顧客だけは、本人が通って来ている。つまり、いつも同じ顔、同じ声、同じ風貌で現れていた。

「そういえば、そろそろお越しになる頃かな」

 店主はそこだけいびつに膨らんだ台帳を見てそう呟いた。彼の代になってからは2回程だが、さらに前の主人、店主の父のかたわらで見た回数を入れると、少なくとも5回は対面している顧客だ。
 
 そしてこの店には、初代からずっと言われ続けてきた、大切な決まり事がある。

『お客様のプライベートは詮索しない』

 最も基本的な商売上のマナーでもあるこの決まりは、この店では少しニュアンスが違っている。四十年ぶりに現れた顧客が、例え以前と同じ年恰好であっても、それをおくびに出さない接客態度のことを意味している。

―――チリリン。
 
 全ての顧客の整理を終え、古い台帳も全て奥の棚に戻した所で、小気味いいベルの音が響いた。入ってきた人物を見て、店主は満面の笑みで迎えた。

「いらっしゃいませ、サン・ジェルマン伯爵」

 店主の挨拶に機嫌よく答えた後、伯爵は開けたままのドアの向こうに声をかけた。どうやら、連れがいるようだ。こんなことはこれまで一度もなかったので多少なりとも驚いたのだが、そこはこの道四十年のベテラン。そんな素振りはおくびにも出さず、カウンターを回り、出迎えるべく入口に向かう。

『さあ、恥ずかしがらずに、どうぞ。こちらは私が古くからお世話になっているお店ですから』

 伯爵は流ちょうに英語を話している。そういえば、この方は何か国語も操るといつか聞いた気がする。そうして戸惑いながら入ってきた異国の客人に、店主は今度こそ目を見開いてしまった。


 だが、それも一瞬のこと。次の瞬間には柔らかい笑みを見せて頭を下げた。

「――これはこれは、素敵なマドモアゼル。ようこそいらっしゃいました」

 伯爵に促されて入ってきたのは、異国の匂いのする服をまとった若い女性だ。伯爵が腰に手を添えて促すと、その白い肌をほんのり染めつつ、素直に従って店内へ入ってきた。

 店主は白い物が目立ち始めた眉をほんの少し上げた。客商売に携わり早数十年。伯爵と女性の関係性を察しつつも、態度にはもちろん出さない。より丁寧に応対するだけだ。

「お久しぶりでございます、伯爵様。今日は素敵なお連れ様とお越しいただき、ありがとうございます」
「ふふ、お久しぶりです。お元気そうで何より」

 フランス語が解らないのか、しきりに彼らを交互にみつめている女性は、たどたどしいながら自分で、「私は、カルディア、と言います」と片言のフランス語で名乗った。

 しばし、昔の話に花を咲かせた後、伯爵は本題を切りだした。


 


「それで、今日お伺いしたのは、時計を一つ注文したいと思いましてね」
「はい、かしこまりました。いつものようにデザインはこちらにお任せ頂くのでよろしいのでしょうか?」
「ええ、構いません。ただ、注文するのは、これが最後になるかと思います」
「え?」

 店主が、今日初めて驚きの表情を浮かべて聞き返した。嘘か誠か確かめようがないが、少なくとも店主の知る限りでも半世紀近いつきあいがある顧客である。これまでになかった事なのは間違いない。
 

 改めて伯爵を見ると、その表情はどこまでも穏やかで優しく、何より幸せそうに微笑んでいる。店主は驚きの表情を消し、目尻の皺を深くした。
 
「一つ、役目を終える度に、こちらで時計を作ってきましたが、私もついにお役御免になったのでね。これからは彼女と共に世界を旅する予定なんですよ」
「そうでしたか。―――では、最後のお仕事、心こめて作らせて頂きます」
「ええ、ありがとうございます」

 伯爵は両腕に隙間なく時計をつけている。そのほとんどがうちで作ったものだ。一見してばらばらに見えるものも、実は同じ製造元の証のマークがそこに一種の統一感を表しているが、彼を縛る戒めのように見えていたのも事実だ。

「それとは別に、彼女に似合う長く使えるデザインのものを一つ、お願いします」

 そう言う伯爵の声に、店主は改めて女性を見た。落ち着いた雰囲気に最初は気づかなかったが、もしかすると十代かもしれないと思った。

「失礼ですが、マドモアゼルはとてもお若くていらっしゃいます。お作りするとしたら、普段使いでよろしいでしょうか」

 女性を見つめたまま、視線を外さない伯爵の背中に、店主は問いかけた。注文主は伯爵である。伯爵から指示がない限り、やり取りは伯爵と行うのが鉄則である。さらに、顧客がどういった物を求めているか、細かい確認は顧客のニーズにこたえるためにも欠かせない。どんなシーンで付けるかによって、大きく変わってくるからだ。

「ええ、そうですね…。これから彼女がより美しく大人の女性となり、さらにはマダムとなっても使える様なデザインがいいですね」

 伯爵はますます頬を染める女性から目を離さない。店主は伯爵からのかつてない難しい注文に、内心冷や汗をかいていた。動揺をおくびにも出さないまま、店主はカウンターに入り思いついたデザインを描きとめているデッサン帳を取り出した。

 ふと目線を上げると、伯爵の横顔が見えた。これまで見たことのない、優しい表情を浮かべて女性を見つめている。いつの間にか、手袋したまま手を取り合っている。

「――では、長くお使いいただける様、心を込めて作らせて頂きます」

 店主がそう告げると、ようやく伯爵は店主に振り返り、小さく頷いた。それから、事務的な確認をいくつかして一通りの注文を終えた。店主のTeaを丁寧に断り、伯爵と女性は店を後にした。店主は玄関先まで見送り、二人に頭を下げた。



 店内に戻った店主は、奥にしまい込んだばかりの一番古い台帳を取り出し、カウンターに置いた。伯爵のページに新しい紙を差し込んだところで、手が止まった。

 しばらく考え込んだ店主はおもむろに店の奥に引っ込み、新品の台帳を一冊、カウンターに置いた。インク壺のふたを開けると、一枚目にこう記した。

Famille du comte Saint Germain

 今日の注文内容を丁寧に記し終えると、真新しい台帳を店の棚の一番手前に置いた。その棚を満足気に眺めてから、店主はデッサン帳を手に取りクロッキーを引き寄せる。カウンター用の椅子に腰かけて呟いた。

「きっと、またいらっしゃる。次はご家族で…」

 知らずに浮かべていた笑みも、伯爵に負けないくらい優しいものだった。


Fin.