【日野旅③】秋雨も 嬉し嬉しの 日野路かな (*´艸`*) | りべろ的おはなしの部屋

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慌ただしく過ごす予定を、ちょいゆっくりしようと思いなおして、やることはブログ更新って、有意義なんだか、不毛なんだかよくわかりませんが、ちょろっと更新。

 

改めて一応書いておきます。こちらの読者さんはみなさん心得ていらっしゃるので、心配していませんが。どなたでも見られるようにしているので、一応ね♪

 

 

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当ブログ掲載写真の無断転載、

無断転用はお断りします。

ご了承ください。

 

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では、第三弾日野旅、参ります。

 

 

②の最後に載せましたが、これはやはりインパクトありますよね~。

 

かなり降ってきましたが、それどころじゃない!w

 

 

その手前の街道沿いの案内から。

 

 

古写真とかたまりませんっ!!!ここに着いてからは、鼻息荒く、声こそ出しませんでしたが(何せ一人なもんでっ)興奮が抑えられない状態に。

 

 

本陣を目の前にして、そこかしこでパシャリパシャリと、誰も居ないのをいいことに撮りまくり。中々進まない、怪しいデカ女が一人。

 

 

だって、もう周りに配慮しなくていいんですものっ!ここは入ってもいい場所!見てもいい場所!!きゃほーーー!!!笑い泣き

 

てな状態ドキドキ

 

 

 

確か彦五郎さんは多摩の郡長になったはず。この写真は昭和なので、すでに代替わり後ですが、地元の名士の家系であったのは間違いないですね。

 

 

明治期の古写真。こちらは下佐藤家。上も佐藤家があります。こちらは正式には脇本陣です。

そして、写真の時代は、式台(お殿様クラスの方専用玄関。土方さんの昼寝部屋とも)の正面に門がありました。確かにこうじゃないとおかしいですね。

 

お殿様はまっすぐ入って、そのまま屋敷へ入るのが通常です。門も専用であることが多くて、家人や使用人、一般来客は通用門やくぐり戸から入ります。

 

 

あと、大事な事。この写真の左側の格子戸の辺りが、佐藤道場として使われていた部分の端っこです。ガイドさんの話ともリンクしているので、門長屋という形式になるんですが、独立した建物ではなく、ここを使っていたそうです。

 

なるほどっ!合理的!

 

後で出てきますが、本陣の維持管理を任された佐藤家、後の新選組を金銭面でバックアップしまくりの彦五郎さん一家ですが、その生活は実に慎ましいものでした。こちらにお邪魔して、初めて知りました。

 

日野宿は中山道やほかの街道に比べて割と静かな宿場町。参勤交代ルートに指定しているお家は三つ。それでも飛脚や八王子千人同心、甲府勤番(武田家滅亡の後の甲斐の国を管理するお役人たち)らの行き来が頻繁にあって、それなりに潤っていたんでしょうね。

 

本陣の目の前に高札場もあって、問屋の管理に、渡船場の管理も上佐藤家と交替でしていたそうですよ。本当に多忙だったろうな…と思います。幕末には、脇本陣ではなく、本陣として機能していたようで、こちらだけ現在まで残った理由の一つじゃないかな、と想像してみる。

 

 

 

水滴がついてますね…。霧雨からの本降りなので、拭っても拭っても気づけばついてる。

 

確か、会津にも本陣がありましたよね。ネットで見た限りでは、日野程の規模はないように記憶しています。地元にもいくつか本陣関連施設が残っていますが、主屋がほぼ完全な形で、しかも全室公開というのはなかったはず。

 

嬉しい限りです…ラブ

 

 

これらの建物は、明治の初めのころには、すでに本陣としての役目を終えています。それ以降、現在まで維持されているのは、受け継いだ方々の並々ならぬ配慮と維持管理の投資による結果です。

 

これだけの規模で、敷地はさらに大きく、名士家系とはいえ、大きな屋敷を維持するのは、とにかくお金がかかります…。本当に頭の下がる思いですよ。

 

よく前を通る地元のとある場所に、〇〇家とだけ記された石碑が立っています。そこから目線を上げると見えるのは堀に囲まれた漆喰の白塀、瓦が乗った立派なタイプで、さらに大門が2つもある、なまこ壁からの白壁の門長屋。堀の上を通って入るので、石橋も2つ、かかっていました。

 

10年前までは。

 

 

それが、現在では、長屋門の西側は完全に屋根が落ち、反対側の方もすでに梁になんらかの不具合が起きているのが外観からわかる状態。石橋の一つは崩れ落ち、瓦もいくつもはがれて落ちています。

 

塀に囲まれた敷地内は、門が閉ざされたままなので、推測にしかすぎませんが、何かの建物があったとしても、おそらく見る影もない状態でしょう。塀の向こうには、30Mはあろうかという大木が乱立して、うっそうとした雑木林を作っています。

 

こうなる前にですね、行政の指導&資金援助を持って、せめて無事だった長屋門だけでも維持管理の手を差し伸べていれば…と通るたびに悔しい思いをしています。

 

そちらの旧家は、数年前に風の便りに聞いた話だと、おばあさんが一人、町中に健在だということでしたが、当然ながら維持管理はできない状態なのは推測できます。

 

そしてその家は、うどん県の東の方にある保存邸宅の本家筋にあたる家です。こちらの家の次男さんが養子に入ったのが、東の方の家で、そちらで事業が大当たりして、大きな屋敷を構えるまでになったそうで。そちらは、地元の名士にもなったこともあり、運よく第三機関を経て、旧家ということで保存維持管理がされていて、屋敷は公開されて、敷地一帯を整備して、よくイベントが行われています。

 

私の所属するバンドも何度か演奏でお邪魔しました。

 

 

元は同じ家から波及した二つの邸宅の末路が、あまりにも落差があって、高松市も石碑を建てたということは、旧家の認識はあったはずです。現在の法規制では、個人宅を勝手にどうこうできないのは理解していますが、日常的に通る道の脇にある屋敷が、せめて長屋門が全崩壊する前に、何かの手を差し伸べる事ができないのかな…と通るたびに思ってしまいます。

 

古民家、旧家、史跡、城郭、大好きっこの一意見でした。

 

 

 

気を取り直して日野宿続き。こちらには脇本陣と明記されていますね。

 

 

都内に現存する唯一の本陣だそうです。甲州街道沿いとしては、残る2つ。小原宿(神奈川)と、下花咲宿(山梨県)の2か所。今度、四国内の現存本陣(愛媛と高知の県境に馬立本陣跡はありますが、門しかない)を調べておきます。まずは地元を知らないとね。

 

 

切妻瓦葺。立派な屋根…。平屋建てでこの屋根の高さは、さすがです。

 

柵の部分、丁度建物正面が式台。大名クラスしか通れない表玄関。その奥が昼寝…

 

……なんてよく聞きましたよね。私も、『ほうほう…ふむふむ』なんて想像していたのですが、実際はどうだったんだろうかな、とちょっと考えちゃいました。

 

こちらの建物、上棟が、文久3年4月。(上棟とは棟上げのこと)完成は翌年の元治元年11月。新選組ファンなら、文久3年でピンと来た方もいらっしゃるでしょう。

 

清川八郎率いる浪士組が江戸を出発したのが、文久3年の2月こと。

歳三さん、日野時代はこの建物じゃなかった!

 

もちろん、上洛後も何度か帰郷していますので、その時に昼寝したことは考えられますが、その頃はすでに新選組が名を上げてからしばらく経っていたので、武士として馬に乗って帰ってきています。

 

そんな人がごろりと昼寝…?(´・ω・`)?

記憶する昼寝していた逸話は、大抵こんな感じ。

 

「義弟にあたる土方歳三は、姉の嫁ぎ先である佐藤家にしばしば訪れ、式台から上がった玄関の間でよく昼寝をしていた。歳三曰く、『どうせ滅多に使わないんだから、いいじゃねえか』風通しがよく昼寝に最適だったようだ」

 

的な文面だったはず…( ´・д・)

 

 

ココじゃない…!?

 

 

ちなみに、彦五郎さんが施主で現存する本陣を建てた訳ですが、新築ですが、建て替えでもあります。前の本陣が大火で上佐藤家共々、焼失したからです。

 

ただーし!その大火、嘉永2年といいますから…1849年!!

……歳三さん、14歳。うん、その頃は昼寝しててもおかしくないねっ!奉公に行ってたとか、もう気にしない!いや、まてよ…。姉さんが嫁に来たのはいつの話…??ヘ(・o・Ξ・o・)ヘ

 

1844年!!そうか!これ以降だね!!(。+・`ω・´)

元々、彦五郎さんは歳三さんたち兄弟とはいとこの間柄。親戚だったので、それより以前からも付き合いがあったのは確実。そうかー。そうだったのかー。

 

いや、きっと副長時代も戻って来た時は、5泊だの7泊だのしてるので(生家には泊まらないくせにw)その間にはごろりとしたことでしょう~♥-(´ε`● )

 

ガイドのおじさまも「ここがよく昼寝をしていたという玄関の間です」って言ってたものw

 

 

よし、一件落着ラブラブ

 

 

ザーザーと降り出したw でもテンションアップアップで気にならない!

 

行灯的ライトがいい感じ…。

 

 

やっぱり気になる昼寝の間…もとい、玄関の間。

 

 

 

先に資料にあった、見取り図を。←が当時の間取り。

右が現在の間取り。向きが違っているのでわかりにくいですが、庭に張り出した二間が現在はありません。

 

明治26年の火事で家が焼けちゃった彦五郎の四男の養子先へ、曳家されて移築されちゃいました。だって、もう本陣を使うお殿様は利用することはなくなったので…。

 

ただ、その二間が実際に大名達が寝泊りした部屋なので、一番格式高い部分ともいいます。もったいないけど、我が子の危機にお父ちゃん太っ腹です。家を切ってあげちゃうなんて。すごい!

 

その移築された先は現存しますが、個人宅なので非公開です。

 

その非公開なおうちの写真が展示されていました。ありがとう!見られて嬉しい!!

うん、立派です…。

 

 

土間から入った広間から玄関の間を望む。

 

隊服おいてますねw 着ませんでしたけど。子供のサイズが可愛かった…。

そういや、うちの娘。小4ですが、本をよく読みます。

 

先々週学校の図書室から借りて来た本が、これ…

吹き出しそうになりました。

 

 

マジかっ!www

内容は宮川空という女の子が男のふりをして入隊するお話し。

後ろの優男は、総司くん。ええ、ええ、どこかで聞いた設定ですよねw

思わず娘に『それ、ママが持ってる漫画とめっちゃ似てるやん』と言ってしまい、とっくに読み終えた娘は現在、風光るを読み進め中…。

 

やばい!!新選組にはまったらどうしようww

ていうか、もうはまってる???

 

 

私が強く勧めた訳じゃなくて、逆に『あんたがハマったら困る!』とは言いましたが、あの漫画はまったく新選組に興味なくても、好きになるようにできてるので、うーん。どうしょうww

 

数年後、一緒に新選組史跡巡りとかできちゃったりしてww

ぐふふふ。

 

 

まあ、なるようになるさ。とにかく、現実社会でいろんなことを体験するまでは、乙女ゲームだけはさせません。現実社会のアレコレを知らずに、二次元の世界にはまってしまったら、それこそ、恋なんてできなくなっちゃう!? あんなイケメンで、良い男たちなんて、居ないからっ!!!

 

 

なので、とりあえず漫画まで、ですw 薄〇鬼とか絶対見せませんw 

 

 

さてさて、くだらないことを書き連ねたせいで、スペースが足らなくなりました。

まだ土間にしか入ってないw

 

 

記事を分けます!

今度こそ、週明け以降になるかな??どうかな?

旦那様の仕事次第で、今晩しっちゃかめっちゃかになるか、のほほんとブログ書くか。

 

とにかく無事に大阪&京都に行けるといいな…。

あー東山のお昼とか、どうしよう。

 

 

あっ、さっき資料を読んでいて気付いたんですが、高台寺ってもしかして、あれですね?

伊藤さん!甲子太郎さんの拠点にしてた所??

 

地図を確認してきました!別院的な扱いなのかな?でも隣ですねっ!これで高台寺&月真院コースも確定です!

 

京都入りの前日から夜の特別拝観が始まるみたいですが、まだ紅葉には早いですよね。少しは色づいているんでしょうけど。友人を京都駅まで見送った後、少しだけフリーになるので、そこからどこへ行くかも考えないと。

 

夜ごはんは四条河原町のお蕎麦割り箸 前回、阪急とJRの所要時間の差で、見事くいっぱぐれたので、今回は是が非でも食べたい!でも、お昼に行くには、距離が無駄なので、どうしたらいいかな。。。。

 

 

東山って高級料亭か、土産物屋しか知らない…。

確か、霊山歴史館の門入口辺りに、高級イタリアンがありましたよね。気になるけどもっ!

 

茶寮的なのは高台寺の横らへんにもあったかな…。でも高いよねー、きっと。いや、京都はどこも高いけども。

 

 

ではでは、いつも読んで頂き、ありがとうございますラブラブ

いいねも嬉しいです!ヽ(*´Д`*)ノ

 

 

りべろ

 

 

- つづく -