マリンパークのエントランス。
バリ風の屋根で、天井がすごく高くて思わず見上げるほど!
入り口には、石堀りのバリ風人魚?
水槽には、おさかなたち。
これは、高級食材の!!!
キャビアの・・・・・・・
ぬぅんと迫り来る「チョウザメ」
あいらしい泳ぎっぷりに、ぐっときました。
~撮影・バリ島 by Ribeka~
30歳で、私がオランダへ行くことになった
転機となった出来事を綴っています。
初めての方は、コチラから順番にどうぞ。
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その3 誰も知らない30歳の一大決心
その4 誰も知らない30歳の一大決心
30歳の時に、肺炎で入院先の病院で妊娠をしたことが判明し、担当医から
「中絶を今すぐすすめます」と聞いた時、ふと思い出したのが、その催眠療法や
その後の仕事場での一連の出来事でした。
何故ずいぶんと昔のその出来事が浮かんできたのかは、わかりません。
そしてそれが本当に過去世だったのかどうかは、実証できる手段もないので今でもわかりません。
もし、30歳で起こったその出来事の後に、催眠療法でその映像を見ていたら、
私のイマジネーションから作り上げたものに違いないと確信が持てたのかもしれません。
ただ不思議だったのは、「男の子」「絶対生んで育てたい」という、どこから来るのかわからないけれど
二つの強い思いだけが明確だったことです。その思いだけを基にして、私はある行動に出ました。
それは、他の病院へ診察をしに行くという手段です。
入院をしていた先では、中絶しか勧められなかったので、他の病院に行って実際にどうなのか
確かめなくてはという思いに駆られて動きました。まだ、入院中であったにも関わらず、
外出許可をとっての行動です。その時もたくさんの病院の候補があったのですが、
「ここにしよう!」と思った病院があったので、すぐに受診の申し込みをしました。
15種類以上の薬の名前が記載された診断書を持ってその病院へ向かいました。
ひとつづつ、どうなったのかという事情をできるかぎり私が伝えられる範囲で話すと、
じっくりと私の話を何も言わずに聞いてくれたお医者さんや看護婦さんたちが総動員となり、
大急ぎで薬の副作用の影響を一つ一つ調べてくれました。
その時初めて、私がベッドの上で見ていた大きな黄色い点滴は、抗生物質の薬だったことにも
やっと気付いたのです。
投薬も数日前にストップしていた為、まだ肺炎が治りきっていなかった私の体には、
待合室での30分はとても長く長く感じられました。
あまりにも長く感じられたので、一番初めに感じていた「絶対生んで育てたい」という思いに変化が
現れ始め、「私の最初の選択は間違っていたのではないか」と、だんだんと弱気になっていくのが
感じられました。
「それ以前に結婚もどうするのかわからないし、オランダに住みたいと思うかわかならいし、
もう考えられない」「こんなことなら何もなかったことにした方がよっぽどましかも知れない!」
そんな状態までいっていたと思います。
看護婦さんに名前を呼ばれ、ふと顔をあげた時、「あまりにも影響が大きくリスクが高いと
ここのお医者さんも言うのなら、もう諦める!」と最後に決心をし、席をたった瞬間に私は大きく呼吸を
一つ吐いてから診察室へのドアノブに手をかけて、ゆっくりとその扉ををおそるおそる開けました。
息を止めたような緊張した面持ちの顔で椅子に腰かけ、診察室の白いタイルに目線を
落としていた私に、声をかけたお医者さんのな第一声はこうでした。
「私なら妊娠を継続することをおすすめします」
私はとてもびっくりした表情で正面を見上げました。お医者さんが言うには、
すぐに投薬をストップしたことと、妊娠がかなりの初期でわかったことが幸いし、
使用していた薬の影響はほぼないだろうという結論でした。
99%諦める決心に気持ちが傾いていたので、一瞬その状況を理解するのに数分かかりました。
そして、その後ゆっくりとやってきたのは、「育てられる!」飛び上がりたいほどの嬉しい気持ちでした。
それを機会に私は結婚を決め、オランダに住居を移すことも同時に決心をしたのです。
オランダは、まだ行ったこともない国だったのですが、私には不安は全くありません。
ただ、「子供を育てることができる!」それだけです。それから先の不安や恐れなどは
一つもなく、何かずっと持っていた願いがかなったようなそんな喜びを感じていました。
第二章につづく・・・
~撮影・バリ島 by Ribeka~
30歳で、私がオランダへ行くことになった
転機となった出来事を綴っています。
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その催眠療法の後は、特にもう一度受けるといった機会はありませんでした。
もしかしたら心の底では、「今の私が持っている感情とは全く別のものが出てくるかもしれない」という
よくわからないものへの恐れのようなものがあり、その催眠療法での出来事を時間とともに
忘れることによってどこか無意識的に、遠ざけていたのではと今では思います。
しかし遠ざけているものは、いつか違う時に形となって自分の元へとやってくるのかも知れません。
そしてそれは催眠療法から数年後の30歳の時、私がある英語の子供クラスを教えていたときに
それは突然やってきました。
当時私は、0歳児から12歳までのクラスを担当していた私は前職でも同じように教える仕事をしていたので
私にとって、とても好きな仕事であり、得意である分野でもありました。
ところがいつも通り0歳児、1歳児のクラスを担当していると、突然無性に不安な気持ちが
授業中におそってくるようになったのです。胸の奥底から込み上げてくる、とある感情が
次には体にも表れ始め、最終的には授業中に声が出なくなるというものでした。
言葉を教える授業ですから、声が出ないのは致命的です。しかし、風邪をひいていて喉を痛めていた訳では
ありません。物理的に出ないというよりも、授業中に親子に話しかけようとすると、のどのあたりが苦しくなって
悲しい気持ちも一緒にやってくるという一種のパニックのような状態でした。
それはちょうど、何かを話そうと思ったら、感情が込み上げてきて涙が出て、言葉にならない声になる
そんな状態でした。授業中に訳のわからない理由で泣くわけにはいかないわと理性的な感情も
かろうじて保たれていた私は、ずいぶんいつもの様子と違ったようでした。
あまりにも顔をこわばらせた状態で授業をしているので、他の講師がどうしたの?何かあったの?と
心配してくれます。しかし、まったく思い当たる理由のなかった私は、「大丈夫」と小さくささやくだけで
精いっぱいでした。
ところが一方3歳以上のクラスでは、その反応は起きることなく通常通りに授業をこなすことができるのです。
決まって言葉が出なくなるのは、親子が一緒のクラスのときのみです。そして、自分でもコントロール
できないくらいに悲しい気持ちがおそってくるのです。
「どうして私には子供がいないのだろう」
しかし冷静に考えてみると当時私は独身でしたし、結婚も考えてなく、そのような思いが出てくる
心当たりは全くない状態です。そしてその数年前の催眠療法での出来事もすっかり忘れてしまっていたので、
私がどこか感情的に敏感になってるのかしら・・・それぐらいに考えていました。
とにかく、話が出来なくてはクラスが続行できないので、緊急に私が他の3歳児以上のクラスに入り
0歳児・1歳児クラスの講師交代してもらうようにしました。すると、その時までの感情の波は収まり、
いつもどおりにスムーズに授業を進めることができたのです。
違いは、そのクラスに母親が付き添いで教室の後ろにいるかいないかでした。ただそれだけです。
「きっと、仕事が忙しすぎてストレスでもかかって情緒が不安定になっているだけだわ」
そんな矢先での、肺炎での入院、妊娠の判明だったのです。
その11 誰も知らない30歳の一大決心 ・・・つづく・・・
~撮影・バリ島 by Ribeka~