なんかね、急に腑に落ちたのです。
まぁ、腑に落ちる時っていつも突然だけど。
ずっと、もっと絵が上手く描けるようになりたい、って思って悩んでました。
作品をとして描いたものはまだまだ少ないけど、練習というか落書きみたいなものも含めたら、けっこう描いていると思うのに、ちーーーっとも上手くならない。
描かなきゃ上手くならないとはよく聞くけど、描いても描いても上手くならないんですけど?
私が気が短いのも災いして、そんな風に思ってました。
これ以上続けても、時間の無駄かも?
他に新しいこと見つけて始めた方が良いんじゃ?
そんな風にも思い始めていて。
はい、諦める寸前でした。
それでも絵を描くのは楽しいから、落書き程度の絵を時々は描いて。
で、やっぱり上手く描けないな、とさらに落ちこむみたいな。
やっぱり、もう諦めようかな。
なんて思った時。
スピ的に言ったら、インナーチャイルドになるんだろうか。
子供の声が聞こえたんです。
「本当にやめちゃうの?それで良いの?」って。
そして、それがきっかけで自分の思い込みに気付けたんです。
「だって、いくら描いてもちっとも上手くならないし」
「上手くなくちゃダメなの?」
「上手くなかったら、誰も認めてくれないもん」
私がそう答えた時の、悲しそうな顔。
姿が見える訳じゃないんだけど、なぜか悲しんでいると感じたんですよね。
なんでそんなに悲しむんだろう?って思った時に、イナヅマみたいなヒラメキが来て。
上手く描こうとすると、この子が出てこれない、楽しめないんだ、って分かったんです。
上手く描こうとする(私の場合の『上手い絵』は、今時流行りのリアルな画風を指します)と、『私らしさ』は表に出てこられない。そんな気がします。
まぁ、それも思い込みじゃないとは言い切れないけど。
リアルな画風には憧れるけど、どうして憧れるのかというと、リアルに描ける方が認めてもらえる気がするからで。
自分自身が認められない自分の作品を、たくさんの人に認めてもらうには、リアルに描くしかないと思い込んでいたんですね。
まさに思い込みという名の毒で、自家中毒を起こしていた感じ。
さそり座だけに(笑)。
自分の画風を突き詰めていって、リアルな画風にたどり着くなら良いんですけど、私の場合は本末転倒になってしまっていたんですね。
苦しみながらも続けてきたのは、絵を描くのが好きなのもあるけど、絵を通じて出来たご縁を失いたくなくて、しがみつこうとしていたから。
自分の居場所を守ろうとしていた部分もあると思うんです。
だからどんどん辛く、苦しくなってきた。
周りはどんどん私を追い越して、私より上手くなっていくのに、自分だけが置いて行かれているような感覚。
それから逃げたい気持ちもあって、諦めようとしてたのかも。
だから自分の絵(といっても、自分ではそれがどんなだかよく分かってないんだけど)を殺して、みんなと同じようにリアルに描こうと、描かなきゃと思い込んでた。
そうじゃないと、一緒に居られないとさえ、思っていたのかもしれません。
そうしていつか、自分の作品で身を立てられるように、なんて大それた夢もどきを抱くようになり。
今はね、そこにこだわる必要はないかな、と思えてます。
それこそ、結果的にそうなれれば御の字だけど、どうしてもそれを目指さなければならないわけじゃない。
そう考えたら、とっても気が楽になりました。
ホッとしたというか。
こういうのって、信念を持って粘り強く続ける方が良い場合と、逆に気負わず気楽にやった方が良い場合がありますよね。
私の場合は後者みたい。
前者だと、自家中毒になっちゃうので(笑)。
上手くなくて良い。
むしろ、ヘタクソ上等‼️
やっと、それが腹落ちしたので。
ようやく自分の絵が好きになれそうです。
他人と違ってていい。
同じじゃなくて良い。
むしろ同じじゃない方が良い。
私は私の道を、突き進むのだ‼️
んー、これも宇宙元旦のエネルギーのおかげなのか、はたまた部屋を片付けて空いたスペースに入ってくるという、片付けの恩寵なのか。
どっちにしても、感謝‼️