やたら自慢げな人って、あんまり得意じゃないです。
女性のマウンティングは、さもありなん、という感じだけど、意外と男性に多いのは
「俺はすごいんだぞ!」を強調してくる人。
しかも実際すごい人に限って、そんな感じ。
なんだろうね?承認欲求激しすぎて、鬱陶しい(笑)。
自分で自分のこと、すごいと信じられないから、他人の評価がほしいんだろうか?
だったらちょっと、かわいそうな人だよね。
なんて思ってるわけなんだけど。
私がそんな風に思うのは、自分にもそういうところがあるから、とも考えられるわけで(汗)。
人は自分で自分のことは見えないので、鏡のように他人に映して見て初めて、そのことに気付いたりするものだから。
自分の中にない物は、見ようがない。
気付けないから、見えない。
逆に言えば、快であれ不快であれ、他人に対して『気にかかる』ことというのは、ほとんどの場合自分の中にもそれがあって、投影しているに過ぎなかったり。
では、自分で自分の価値を認めることが出来れば、マウンティングも鼻につかなくなるのかなぁ。
他人を貶めて、自分を上げるのを、許せるようになる?
そんなことされても、自分の価値は何一つ傷付かないと分かっていたら、他人に貶められようとも、気にならなくなるかしらね。
まだその域には達してないということか。
自分の価値を信じているなら、相手の言葉にいちいち反応(防御反応)しなくて済む。
というか、今の私は『かわいそうな人だよね』とか言って、同情すると見せかけて、やっぱり相手を貶めることで、自分を上げてないか?
ほらね。
こうして、自分がやってることには、案外気付かないもんなんだよね。
これじゃ許すも許さないもない、同じ土俵の上だよ。
ということには、今回気付けたので、以後気を付けよう。
そして、もっともっと自分のことを褒めてあげよう。
人間なんて、良いことも間違ったことも、いっぱいやらかす生き物だ。
間違いたくて間違えるわけじゃない。
そもそも善悪さえ、個人的な基準だ。
誰かにとっての間違いは、別の誰かにとっての正解になり得る。
だから、なぜ間違ったのか?に気付いたら、なぜそれを間違いだと思うのか?を考えることで、さらなる気付きが起こるかも。
必要なのは責めることではなく、『なぜか』を追及して、自分の心の真実を暴き、それを認めてあげること。
正体が善であれ悪であれ、それも自分と認めることで、昇華させる。
相手との微妙な共通点が見つかったからといって、シンパシーが芽生えるかどうかはわからないけど(笑)。
自分のことが許せたら、相手のそれも許せるようになる=気にならなくなるんじゃないかな。