かつて,鬼は人とともに平和に暮らしていた。
それが,いつからだろう?
その存在自体が忌み嫌われ,共存できなくなってしまったのは・・・
「やーい。やーい。鬼っ子。あっち行け!」
バラバラと投げつけられる石つぶて
「鬼が来るぞー!」
「気味悪りぃ~。近寄るなっ。」
ああ,オレは夢を見ている
と義一は思った。
大小の石を握る子ども達とは川を挟んで対岸に一人,
佇む小さな子どもは己だ。
容赦なく突き立てられる心ない言葉に,じっと耐え唇を噛んでいる。
外に出れば嫌でも感じる奇異の目
母も義一も,外見に異人を感じさせる要素が多かった。
目立たぬように金茶色の髪の毛を炭で黒く染め付けていたものの瞳の色だけは隠しようがない。
薄い色の瞳は,特に気味悪がられた。
そのため,里からはずっと離れた山奥の廃屋を手直しして,そこに親子二人ひっそりと暮らしていた。
危険を感じるようになれば隣の山,またそこが危なくなれば別の土地の山奥へ
不定期に住居を移し,世の中から逃げるように生活する日々
「堪忍してね。義一。」
京の入江家の庇護下にあるときは,恵まれていた。
だが,ずっと匿ってもらっていては迷惑をかける。
母と二人で暮らすようになってからは,
嵐などの気候変動や政府内のゴタゴタがあると,父が遣わす者の到着が遅れ,その日食うにも困る有様
里の者達は,決して食料を分けてはくれなかった。
父が密かに遣わしてくれた女中二人と母が苦労して開墾した畑
実った僅かな農作物すら,悪意に満ちた奴らは奪い踏み荒らしていく。
異国の血を引いている。
ただそれだけのことなのに,なぜ,こんなひどい仕打ちを受けねばならぬのか。
言いようのない怒りに震える義一を母は,静かに諭した。
里の人々を恨んではならぬと。
「彼らもまた,厳しい年貢の取り立てと圧政,貧困に日々あえいでいます。自分たちより下位に置かれる存在を知ることで,己の存在をやっと肯定できる・・・人間の悲しい性です。」
「憎むべきは,人間と人間を分断して争わせ,己のみが私腹を肥やし全てを支配しようと企む輩・・・」
「母上のおっしゃることは,わかります。分かりますが・・・」
「それでも,彼らの行いは間違っておりまする。」
目にいっぱいの涙をためて,義一は母に訴えた。
「そう・・・ですね。」
寂しそうに笑う母に,義一は何も言えなくなった。
母は,我が子の頭を優しく撫でながら,呟いた。
「あなたの父様は,この世を根本から変えようとしておられる。」
「この世を?」
「ええ。」
「それは,とても困難が多くて,きっとすぐには叶わないでしょう。でも,父様は決して諦めたりはしない。」
「母上?」
「義一。強くおなりなさい。そして,父様とともに人々を救ってほしい。」
父は,味方の少ない城中で,それでも数少ない忠臣と孤軍奮闘しているらしい。
その証拠に,隠れて義一達親子に力を貸してくれる者が少しずつではあるが,増えていったのである。
その協力者は,朝廷内にも広がり,密使が母の元にやって来る機会も増えた。
そんな折,母を頼って命からがら京を脱出してきたのが,入江分家葉山の継嗣である尚人とまだ赤子の託生,そして年若い乳母だった。
義一は,ここで託生との運命の出会いを果たす。
まだ赤子の託生にと思われそうだが,託生との邂逅は義一にとって人生の転機ともなるべき出来事であったのだ。
「義一。弟君のお世話を頼みます。」
母の頼みとはいえ,義一は気が重かった。
里の赤子は,気配を察知しただけで,火が点いたように泣き出す。
赤ん坊特有の勘で,義一を異形の者と判断するのであろうが,またあの泣き叫ぶ姿を見ることになるのだと思うとやりきれなかった。
だが,託生は他の赤子とは少し違っていた。
入室した義一の気配を気にすることなく,持たされた小さな太鼓をじっと見ている。
耳が聞こえないのだろうか?
そんな考えがよぎったが,カタリと立てた襖戸の音に,ピクリと反応したところを見ると,どうやらそうではないらしい。
ふと託生は,顔を上げると義一の顔をじっと見つめた。
脅かさないように,そっと立ち上がり,すぐ側まで移動すると,義一のその動きに託生の視線がぴたりとついてくる。
手を差し伸べようとして,やはり躊躇した。
これ以上,近づくことはやめよう。
託生に危険が迫ったら,すぐに対応できる距離だ。
尚人と母の話が終わるまでの間,それまでそっと見守っておればよい。
だが,事態はすぐに動いた。
「あ~」
託生が自分から手を伸ばしてきたのだ。
「・・・・・」
ピクリとも動かず,固まっていると,大きな瞳が,どんどん近寄ってくる。
「あ~」
声を出した託生と間近で目が合った。
大きな深い夜空のような美しい瞳が,義一の瞳の中を覗き込んでいる。
ここで,十中八九,赤ん坊は顔をゆがめて泣き出すのだ。
・・・・泣かないでくれよ。
義一は祈りながら,自ら離れようとした。
しかし,何かが自分の着物を引っ張っている。
見ると,小さな紅葉のような手が義一の袂の端をしっかりと捕まえているではないか。
「あ~」
託生は,ふんわりとした春の笑みをを浮かべながら,義一の胸の中にぽふんと倒れ込んだ。
「えっ?」
可愛らしいふっくらとした掌がのびてきて,義一の頬を包み込んでいる。
そして,目の前には無邪気な託生の笑顔があった。
義一が戸惑ううちに,幼子は小さな欠伸を一つすると,
腕の中で,ことりと寝入ってしまう。
「恐れぬのか?」
己のこの容姿に・・・
尚人に事の顛末を話すと,託生は少し恥ずかしがり屋だが,それでも初対面の者に対してあまり物怖じすることがないという。
それでは,人さらいに拐かされそうなものだが,
腹に一物持っている人物には,決して自分からは近づかないのだという。
「怖くはないのでしょうか?」
「怖い?」
「里の者は,この髪と目の色を嫌います。」
「ああ。」
と尚人は笑った。
「託生は,外見で人を判断することはありません。感性で見ます。ちゃんと人となりをあの子なりに見極めているのです。」
「・・・・・」
「きっと,義一殿の心の色に安心するのでしょう。ほら。今とても幸せそうな顔をしています。」
尚人は,愛おしげに愛する弟の寝顔を見つめた。
「それにしても,こんな無防備に身体を任せるのも珍しいですね。よほど,あなたには共鳴するのでしょう。」
共鳴?
義一は,無垢な寝顔をじっと見つめた。
感じられるのは,深い安心と信頼
こんなにも無条件に己を受け入れられるのは初めてといっていい。
義一は,静かに感動していた。
これまで,近づく者といえば,将軍の継嗣である義一と愛妾である母に,何らかの見返りを求める者ばかりだったのだから。
「可愛いなあ。」
義一は,まだ甘い香りを纏った託生をそっと抱きしめると,頬を寄せた。
守りたい
この清らかで何者にも穢されない無垢な魂を
心の奥に灯った想い
それは,今も昔も寸分違わぬ
「いつの日か,弟もわたくしも,あなたのお力になりましょう。」
尚人の呟きには,強い決意がこもっていた。
尚人殿
オレは,あなたの意志を具現化できているだろうか
同じ使命を持つ仲間とともに,改革の狼煙を上げ続け,政の仕組みを根本から覆そうとしているが
目指す理想は,まだ遙か遠い
どれくらいの時間を要するのかは,まだ想像すら付かぬ。
だが,不可能と思うことでも,やらねばならぬのだ。
それが,この世でオレが成さねばならぬ務めというものなのだろう。
母上
あれだけ世を憎んできたオレですが,まだ人を愛することができます。
それは,託生が側にいて,
オレのために生きていてくれるからです。
託生がオレを憎み,去って行こうとしたとき
それでも,愛を貫く理想を信じることができたのは
父上と母上の深い愛情を受けてきたからこそと考えます。
愛を受けたことのない人間は,愛を信じることなど,きっとできないのでしょうから。
父上,母上の子として生まれたことを誇りに思います。
※上様から、庵主の尚人さん、父上母上へのお便りでした。(*^_^*)