正月になれば、当たり前の様に、僕等はお詣りに行く。お賽銭を投げ、お祈りをする。今年はいい事、ありますように、なんて、都合のいい、お願いをする。
誰かが亡くなった時は、お経を唱える。魂は肉体を離れ、極楽へと誘われてゆく。南無阿弥陀仏。


神も仏もない、なんて言葉があるけど

宗教観ってモノがイマイチ、ピンとこない僕等でも、心の何処かで、拠り所にしているモノが、実は在る様な気がしてる。

神様でも仏様でも、何でもいいのだけれど

僕等は心の何処かで、何かに救われたいって、そう思ってる。

他力本願、無責任な話だけれど、そう思ってる。自分じゃどうしようもなく避けられない事、叶えられない事。そんな全てから、救われたい、大事なものと引き換えにしても、叶えたい、そんな思いが、大なり小なり、みんなある。


でも、全てを神様や仏様に委ねるのは、やっぱり、都合が良すぎる。
みんながそんな風に、願いや救いを求めるもんだから、神様仏様も、忙しくて仕方がない。全ては面倒、見切れやしないよね。

故に、見落としてしまう事もある。
或いは、ワザと見て見ぬ振りしてる場合だってあるだろう。

だから、今、その人が何処で、何をしていても

誰かの支えになっていても、誰かの負担になっていても、誰かを傷付けていても、誰かに傷付けられていても
その全てを、神様も仏様も、見ている訳じゃないんだ。

願いや救いが、もたらされるかは別として、その人がどう生きるか、何を大切にするかを選んでいくのは、その人自身だ。そしてその事を、この世に生まれてから死ぬまで、絶対に、忘れちゃいけないって事なんだ。

だから、本当の拠り所は、神様でも仏様でもなく、案外近くにあるんだって事。それをずっと、大切にしなきゃならないんだって事。

祈るのも、願うのもいい。
見落とされるのもいい。

時には、見逃してもらうのもいい。


何が大切で、何が必要か

自分で選んで、歩いて行こう。
風に吹かれて、歩いて行こう。