常識の変化

ネットへの価値観の変化

歳を取るか

コメントや繋がりに危険を感じなくなった

目に見えないものや

そこにいることでの言葉の裏や

雰囲気

カウンセラーがお坊さんが文章で相談に乗る時代

時代なんだなと

病名も流行りの病名と廃れていく病名はある

変わらなくても


先なりたい自分

大人とは形なく

与えられてたものを自分で作れる

しかしそこには何もない


楽しいもつまらないも全て

面倒やそこに出来上がるものは何か?

興味は何にもなく

面白いとも感じない

揺れ動くキビは


尖った鉛筆のように

それが世界を救う興味だなんて僕には信じられない

自意識

自律神経が自己を作る

自己は自己と思う固執

脳にあり

昨日と今日を結ぶ


でも、それらに確かはなく

相手も自分もなく

真実と嘘はなく


世界は変わる


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いや、変わってない

変わらない中で

ルールの中で作られるゲーム

作り上げられるのは常に既視感がある

世界を変えることは不可能だ


興味

お金を使う

それは楽しいとして

何かを作るそれは常に虚無感

相手は常に自己を付き纏い押し通すのだろう

キレイはキレイという多数が作り上げる


幸せは何処へ

きれいとは何か?

向かう人も信じる人も

裏も表も

分かるとき

疑心暗鬼に諦め果てて

だから、キレイとはなにかと


世界がきついとか辛いとかそんな想像の過去は最早なく辛くなく働けるかはあなた次第だ

それでも、結果として分かったのは

年齢関係なくそれは作り上げられ

これによって世界は疲弊していくということ


何をか

何かをするには数々の勉強や積み重ね

他人が得た絵の具の材料を混ぜ合わせて作り上げるなら、

金がいつもかかる


趣味がゲームとかマンガとか何かこれは苦痛という意識が介在せず人は考える

結果として、ゲームには終わりがあり、人の考えられるものには限界がある

必ず新しい世界が広がることはなく


いつからかこの世界は既視感に溢れたものを絵の具を重ね合わせることで存在する


新たな光はなく

薄味の精進料理のよう

分かりきったものを詰め合わせて


お金があった

子供の時から確かに生活が苦しくはなってる

何かを欲しいとか

誰が何持っててとそんな見栄を子供の頃は感じて

買ったことも

値段

あとはどうでもいい

生きていく上で

食事と自分が無理なく生活をする最低限の自分なりの基準は飯しか買ってなくてもお金は無くなる

明日を考え投資すれば一人暮らしすらできない


趣味ではないだろう

生きるため

ただ最後に知るために動き

それに集中して活かす以外にない


これは楽しくもなく

ただ求めているものや

頭の中を求めるだけ


昨日の輝きは

若い時は老人は仕方ないと

思い

それ自体にこうするべき

ああするべきはない

キラキラと

変えるべき世界の根本は貴方とあなたの周りと変わらない

嫌な人を理解せずその対応やそれらがすべての世界を作り上げる


世界をバラ色にするために

まとめ上げ

魚は水の中を

鳥は空を飛び

そんな当たり前にそれぞれがそれぞれであれる

最低限の精神年齢は正直あってほしい

相手を認めず固執したり

人は変えられないと諦めるしかなくて


いつもいつもいつもいつも

諦めと

変わらない相手と

横たわるいつも同じこと

変える世界はいつも同じ中で善悪が決まり


これを開くとした場合これを乗り越え朝日を見なきゃいけないのに

何時も見える空は同じ曇り空の中で笑い続ける


超える努力はしろよと

本当は思う

いつもいつもいつもいつも

同じことを気づかない相手に

成長してほしいと本当は思う。


人は必ず同じままだなんてわかってるけど

何度諦めて


光を求める

所詮社会かと眼の前に突きつけられ続ける


それが

病気だとかなんだとか全く

全てが同じ病魔を

全く違う対処して固執するかのようです

同じことも言いたいことも

そこで行われる対処や

気持ちのキビも

だいたい決まりきって

超えることができないことを

世界が変わるのは僕一人じゃ駄目で

僕がやることによって変化を促すしかないし変えられないし、これしかなくても、心地良いもこの先の朝日も僕一人じゃ駄目なんだと

ずっと思うし、だからこそ僕はキレイであろうとした


分かるよ

でも、やっぱり所詮社会かと思う


馬鹿にする人もきっといてでも、結局同じことだなんてバカバカしくて?


いっときの楽しいはいっときに過ぎない

笑顔が幸せなのではなく

上がり下がりがある

根本的に変わらない幸福は

常に僕に付き従い

とした場合僕はあなたの思うそれだとは思わない

僕の中のこれこそが常に静かに

太陽のように自らを照らし


とした場合、何時からかそことはかけ離れることは

自らを律しないから

幸せは温かい陽の光で静けさで


笑いや盛り上がりではなく

それは悲しさをうむ

本質的に今日も明日も変わらない幸せは

僕が幸せと思う心であり

何かを区別しないこと

楽しいもつまらないもなく

人を区別せず

自分と向き合い


有るのは人とぶつかるとき

あるのは常に相手であり自分

とするなら、リスペクトするべきというか

ぶつけ散らすべきじゃないし

それをキチンと考えるべきと思う


喧嘩や言い争いや

あの人嫌いや

あの人と上手くいかない

こんな日常の空気に過ぎないなら


そもそも貴方が大人になり自分と向き合う


一人ひとりが変わる以外に何があんだとずっと思った


世界が変わらなければ

自分が変われば?

それで変わらねえよ正直

自分が変わればじゃなくて

僕から始める以外にないんだよ

僕だけでは変わらず本当に一人ひとりが変わることが雰囲気って作って

と思う


多分今のまま百万年かかっても努力しても諦め続けて


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囚われてたのか?

向かうべき道は

僕が相手のところへ行き

影響を受けて認められたときから。


昔から、心理とは宗教とは自分でたどり着いた答えだ

それがいつの間にか進めずに影響を受けてたのか?

そこにたどり着くだけですごい

それは苦労した分嬉しかった

一生懸命向き合った

人は変わらなくても

もっと深く

出家するのかってくらい一生懸命

相手やその言葉が

体内で腐ってたのかな