こんにちは。
 

山本麻莉(やまもと まり)です。

 

ブログでも、メルマガでも、他のSNSでも

発信することが、時に苦しくなることがあります。


何を書いていいか、迷ったり

どうしてもモチベーションが湧かなかったり

反応が少ないことが気になったり


こんなことをしていて
意味があるんだろうか・・・と、思ってしまったり(苦笑)




私の友人に、長年ライターをされている人がいて
その人は

「文章力向上のために、毎日書く」

「そう決めているから、気分が乗らないとか関係ない。とにかく書く」

と言い切っていました。


(かっこいい)



私が、週5日メルマガを書くと決めたのは
同じように

「文章力向上のため」だったり

「気分が乗る、乗らないにかかわらず、アウトプットの習慣をつくる」だったり

「直感とつながる時間をとるようにするため」だったりします。



とはいえ、2月に入ってから
ネガティブ期間の中でも かなり底のほうにいたので、
「この状態では出せんやろ」という判断で、一週間ほどメルマガをお休みしていました。

(やっと抜け出しました)



そんなこんなで再始動した

今の時点でわたしが、結論づけたことは

「書くことは、ギフト=贈り物だと思う」ということ。





「世界は贈与でできている」という本の中で

まさに、「贈与」「贈り物」とは何か?について語られています。

その中で興味深かったのは

__________________________________________________________

若者を中心に、献血することへの意欲が下がり続けている。

そしてそれは、
ボランティア体験のように直接お礼を言ってもらえるわけではなく
誰かの役に立ったことを、間接的に想像するしかないためではないか。


返ってくるものを期待するのであれば

それは、「贈与」ではない。「等価交換」だ

__________________________________________________________


という内容で、それが物凄く、心に刺さったんですね。


著書の主張が正しいかはさておき
文章で発信をしている自分の視点で読み直したら

反応が少ないこと、
自分にとって何か利益を気にしている状態は

「贈与」でなく

「等価交換」を求めているのではないか?と、思いました。



それが別に悪いわけではないです。

何のために?という意識は必ず必要ですし
読者さんが何を求めているか?を測る指標として、目に見える反応は役立つから。



ただ、時に

どうしようもなく、苦しくなってしまうとか

こんなことをして意味があるんだろうか、とか



少し心が弱ったり、迷ったりする時には
もう開き直るように、

この言葉に立ち返ってこようと思うのです。


『わたしが書く文章は、誰かへ贈るもの』



届かないかもしれない、必要とされないかもしれない。


それでも、わたしが文字にしなければ
この世界に生まれない。

わたしが贈らなければ
この世界の誰も、受け取ることができない。


わたしの意思で 書いて、贈る。
そして、返ってこなくてもいい。


そんなシンプルなことに
何度でも、また帰ってきたいなと思いました。



2月は、少し肩の力を抜いて
楽しんで
書いていけたらいいなと思います。



なんだか私の決意表明のようになってしまいましたが

この文章を読んでくださるあなたがいるから
やっぱり、心強く思っています。


いつもありがとうございます。愛を込めて。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ +・・

I wanna see
what you see in “your world”.

山本麻莉

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 

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