「祈り」という言葉を、

ここ数日で 何度か耳にした。

 

 

神さまに 祈る。

 

病気の無事を 祈る。

 

もう逢えない人が

笑顔であるように 祈る。

 

 

祈り は、ものすごくプライベートな

 

心の内側でおこなわれる、

ひそやかで 完結された行為だけど

 

 

その反面、どこまでも「委ねて」いる。

 

自分では力がおよばない 何かを

 

自分では直接変えることができない

過去や未来のことを。

 

 

 

祈ることが、

自分のことであれ

他の誰かのことであれ

 

 

祈るとき、心は

 

ものすごく遠くまで

 

ずっと先まで つながっている。

 

 

 

祈る。

委ねる。

広がる。

 

あるいは

大きな何かに 包まれる。

 

 

 

永いあいだ、自分の力で泳いできたけど

あるとき、水面にぷかりと浮かんでみたら

 

思いのほか、おだやかで、満たされて

 

ほんとはずっと、守られていた。

 

そんな感覚。

 

 

 

 

自分の望むことを

決めて、選んで、

できることを成していく日々も。

 

ただ無心に

大きな広がりに、身を委ねて

歩みを止めて包まれる日々も。

 

 

わたしたちの日々には

どちらもあっていい。

 

 

なんだかそんな気がしました。

 

 

 

* * * * * * * * 

 

瞑想も、祈りも

どちらも

ポジティブな効果が確認されているそうです。

 

脳波の変化とか、

多幸ホルモンの分泌とか。

 

瞑想を通して、

自分のことを

客観的に見られたりするのに対して

 

祈りの、瞑想との違いは

自分以外の存在との

つながりを感じられることかもしれない。

 

 

わからないけど、

どちらも自分のペースで

日常に取り入れられたらいいなと思っています。

 

 

 

 

お越しくださり

ありがとうございました。

 

明日もいい日でありますように。

 

 

山本 麻莉