最近聞いたところによると

 

「自己肯定感」というワードは

 

それを 

生まれながらに持っている人からしてみたら

 

「なんのことか、よくわからない」ものらしいんですよね。

 

 

呼吸することができる 空気のように

飲むことができる 水のように

 

 

あるのが「ふとぅー」で

 

当たり前のものとして 

受け取っている人がいる一方で

 

そうではない人もいる。

 

 

 

「自己肯定感」というものを

 

後天的に、

時間をかけて埋めていった

わたしのような人からすれば

 

 

「あるのが当たり前」な

 

いわゆる「自己肯定感ネイティブ」な人は

ものすごく

羨ましい。

 

 

羨ましい。昇天

 

 

 

わたしの言葉で表すなら、

「自己肯定感」というのは

 

「自分が、自分のままで ここにいてもいいのだ」

 

 と思える感覚。

 

 

イメージで言うなら、それは

 

一本の樹を支える

 

”土壌” のようなものなのだと思う。

 

 

 

皆 それぞれに  ”ある” ことは確かでも、

 

 

ふかふかで、栄養が詰まった黒い土なのか

 

痩せ細って、掘り返せばガラス片が出てくるような土なのか

 

 

個人差が大きくて

比べてみないと、

その差には気づくことができない。

 

 

その多くは

「親(養育者)」から

土壌を受け継いで

 

周りの環境にいる人たちからも

影響を受けて

少しずつ 土を 入れ替えながら

 

その真ん中に

”自分”という 一本の樹を 育んでいく。

 

 

そんなイメージ。

 

 

 

同じ種を蒔いて、

同じだけの水をやって、草を取っても

 

なぜだか

同じようには成長していかない。

 

 

理不尽さにまみれて

よくよく ”土”を見比べてみたら

 

あまりの違いに気づいて

打ちのめされる。

 

 

 

わたしにとっては、長らく

そんな感覚でした。

 

 

 

本当は、

「いいなぁ。そっちがよかった」

 

本音は

まだ「そっち」でも。

 

 

意味がないと知りながらも、

比べてしまう自分を

やめられないままでも。

 

 

 

 

ひとつひとつ、地面に埋まった

ガラス片を掘り起こして

丁寧に、取り除くように

 

 

自分に

“否定” の言葉を投げつけてしまう

無意識の癖を

その根っこにある「信念」を

少しずつ、気づいて 手放してゆく。

 

 

 

硬くなった土を、丁寧に耕して

水と肥料を与えるように

 

“自分” を、いたわってあげる

そのままの気持ちを大切にする。

そんな ささやかな習慣を

自分だけのペースで 続けてゆく。

 

 

image

 

 

”土壌” が、一人ひとり 違うように

 

”樹” もまた、一人ひとり 違うとしたら

 

 

その先でいつか

見たこともない葉が茂って

 

誰も見たことのない 花をつけるかもしれない。

 

 

 

そうして、少しずつ

生きやすい “土壌” に変えていく。

 

 

 

次の世代では、もっと

 

伸びやかに

 

しなやかに

 

 

 

豊かな土壌に根付いた樹々が

 

心のままに、自由に

 

根を、枝を

伸ばしていってほしいなぁ。

 

 

 

そう、空想しながら。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * 

 

 

わたしのパートナーも

「自己肯定感ってよく聞くけど、

 あんまり よくわからない」という人で

 

聞いたときは

「ファッ??」って感じでした。

 

 

長男だし、成績優秀だし、頼られまくって

ずっと委員長とか やってきたような人なのでね…にっこり

 

 

 

わたしと あの人では

 

同じ種を蒔いて

同じだけ水をやっても

 

生み出せるものは

まるで違うかもしれない。

 

 

 “違う” こと、それ自体に

わたしなりの意味を

見出していけたらいいなぁ。

 

最近は、そんなことを思っています。

 

 

 

 

お越しくださり、ありがとうございました。

 

明日もやっぱり

あなたが笑顔でありますように。

 

 

 

山本 麻莉