「わたしが 覚えておきたいこと」は

 

どうにかして

書き残しておきたいと思ったことは

 

必ず、「誰か」の心に響く。

 

 

そういうことに

しておこうと思う。

 

 

 

この時の感情の揺れを

過程で見つけた、今だけの「答え」を

 

点と点がつながった、その瞬間のことを。

 

 

本で読んで、言葉で聞いていただけで

ほんとうの意味では

理解できていなかったこと

 

それが、ある時「腑に落ちた」ことを。

 

 

 

 

 

「覚えておきたい」

 

 

「書き残しておきたい」

 

 

その一心で書き留めた文章は

 

 

何ヶ月後、何年後かに

 

偶然に出逢って

わたしを救ってくれることがある。

 

 

 

そうして書き残した

 

結晶のような、抽象的なものと

 

周りを彩る、具体的な「物語」は

 

 

いつか

どこかで

偶然に

 

「わたしに よく似た人」へ

届くことがある。

 

 

 

 

届くかもしれない。

 

 

届かないかもしれない。

 

 

結晶だと思って

掬いあげて、書き残した言葉は

 

「ありふれて、なにも響かないよね」と

後になって思うのかもしれない

 

黒歴史にさえ

なってしまうのかもしれない。

 

 

 

それすらも、たぶん

後になってみないと わからない。

 

 

手を離れたなら、もう

受け取った人が

 

受け取ったその時に

価値を決めるのだから

 

 

 

 

それでも、書くと決めたのなら

 

せめて自分だけは、

 

その瞬間を残せた と

 

誇りに思って、手放す。

 

 

 

 

届かないかもしれない。

 

 

届くかもしれない。

 

 

「いつか、届きますように」

 

祈るように、書く。

 

 

 

 

いつかの自分へ。

 

 

あなたへ。

 

 

* * * * * * * * * * 

 

 

 

そのうち、

 

そう 遠くない日に

 

「何も書けなくなった」自分にも

 

この文章が

届くといいなぁと思いました。

 

 

 

わたしは、感情の波が結構あるので

落ち込んだ時には、やっぱり

書くのがしんどくなります。

 

文章に邪気が滲み出てないか?真顔

って確認しながら書くうちに

言いたいことがなんだかわからなくなってしまったり。

 

そこで、昔のブログの記事や

プライベートな日記の走り書きを見返すと

「あぁ、そうそう

 こういうこと思ってたんだった」

「今も、こういうこと言いたいんだった」

 

…そうやって、しんどい時期ながらも

 

ニュートラルな位置に戻りやすくなったり

自分にとって大切なものを

再確認したりするから

 

やっぱり、少し前の自分に

何度も救われています。

 

(案外、いいこと書いてるじゃん、とかね

 

 

 

お越しくださり、

ありがとうございました。

 

明日も、あなたが笑顔でありますように。

 

 

山本 麻莉