昔、読んだ

吉本ばななさんのエッセイか何かで

 

 

人間ひとりひとりの役割を

体の機能に例える、

 

そんな文章があったんです。

 

 

ある人は、頭で

 

ある人は、目で

 

ある人は、足。

 

 

 

それぞれ役割が違う。

 

 

どちらが偉い、なんて

無くて

 

どれが欠けても生きていけない

それぞれ

大事な存在なんだけど

 

お互いに争い合ったり

憎みあったりして

なんだか哀しいね。

 

 

 

はっきり覚えていないけれど

そんな文脈だったように思う。

 

 

 

 

 

わたしが

どこか体の機能や組織だったら

 

ものすごく地味な

 

誰にも気づかれずに

 

ひっそりと、生命維持活動をしているような

臓器のひとつのような気がする。

 

 

 

胃腸、肝臓、腎臓

膵臓、脾臓。

 

 

名前だけ並べてみたものの

よくわからんやつもある

 

 

 

ひっそりと生きて

淡々と、自分の役割を果たして

静かに眠りにつく。

 

そんな感じのような気がするんです。

 

 

 

 

 

 

いつの時点からかは

忘れたけれど、

 

わたしも目になりたかった、とか

 

わたしが足だったら、とか

 

 

そういうことを考えなくなった。

 

 

 

 

今回の人生は

 

これでいいや。

 

 

 

今、自分の手の中にあるもので

 

生きよう。

 

 

 

今、自分の手の中にないものは

 

生まれ変わったら で

いいや。

 

 

 

 

 

この考え方に行き着いてから

わたしは

格段に

 

生きるのが楽になりました。

 

 

 

 

 

誰とでも心を開いて、すぐに仲良くなれるのも

 

目標を立てて、それに向かって邁進するのも

 

合理的に、スマートに

割り切って考えられるのも

 

周りの目を恐れずに

正しさと公平さを追求していけるのも

 

 

 

 

それらが、わたしの中に

全く無いとは言わないけれど

 

 

得意な人と同じだけ、

それを得ようと思ったら

 

険しい茨の道になるだろう。

 

 

 

 

今、わたしの手の中にあるもの

 

それは何だった?

 

 

 

 

 

 

 

その答えのひとつとして

わたしが指針にしているのが

 

ストレングスファインダーの結果です。

 

 

特徴的な、34種類の資質を切り口に

 

自分が無意識のうちに

考えて、

選択しているパターンを

 

あるいは避けているパターンを

知ることができるから。

 

 

自分の中の

アクセルと、ブレーキと

 

あるいはエンジンが何かを

見つけることができるから。

 

 

 

 

だから、わたしは

たまに

 

ストレングスファインダーの

それぞれの資質の記事を書いています。

 

 

 

それぞれの資質を

 

もし、活かせるとしたら

どんな風にできるのか?

 

 

もし、これまで活かしてこられたなら

どんな影響を与えてきたのか?

 

 

ひとつひとつ、書いていく。

 

書きながら

自分が持っているもの

自分が歩いてきた道のりを

 

振り返って、確かめる。

 

 

 

 

そのこと自体が

 

 

わたしが、わたしを

受け入れて

信頼していく

 

プロセスになるように思うんです。

 

 

 

* * * * * * *

 

 

 

生まれ変わりをがっつり

信じているわけじゃないですが、

 

 

今回の人生は、それで生きていく。

 

 

受け入れることは

諦めることと

 

表裏一体かもしれないし

 

似ているだけで、別のものかもしれない。

 

 

ただ、「諦める」の語源は

 

「明らかにする」

 

だったから

 

 

 

自分を理解することと

 

自分を諦めることと

 

自分を受け入れることは

 

 

切っても切り離せない

同じところにあるような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

まとまりの無い文章を

 

最後まで読んでくださって

ありがとうございました。

 

またどうぞ、お越しくださいませ。、