今日は立春
 
昨日は節分でしたね。
 
 
息子が通っている子ども園でも、
毎年節分で豆まきをするのだけど
今年はどうやら、趣が違ったみたい。
 
「泣きむし鬼」
「よわむし鬼」
「怒りんぼ鬼」
 
3つのうち、どれかを選んで
壁に掲げた鬼の絵に向かって
豆を投げるんだって
 
 
去年までは、
先生が鬼のお面をかぶって登場。
 
泣き叫ぶ園児が続出しつつも
なんとか恐怖を乗り越えて、豆を投げつける
って光景だったんです…。
 
 
 
聞けば、小学生の娘のクラスでも
「自分が退治したい鬼」を選んで、書いて
そこに対して豆を投げるんだって
 
娘は、「片づけめんどくさい鬼」を
退治したそうです。
 
(それ、日常的に母から
 片づけなさいって言われてるからか…)
 
 
 
なんだろうね、
鬼は
「自分の内側に在るもの」だって
 いつからか 変わったのかな。
 
 
 
鬼 = 怖い存在、怖さを乗り越えるべき対象
 
と位置づけるなら、
たしかに
成長の段階における試練として
乗り越える必要は出てくるのかもしれない。
 
 
 
だけど、
 
じゃあ
 
 
鬼 = 悪?
 
 
鬼に心はあるの?
 
 
っていう問いには
突き当たってしまう気はするな。
 
 
 
未だに
鬼滅の刃は読んでませんが…
 
 
 
 
 
なまはげみたいな、
どこか人を超越した
畏敬すべき大きな存在が
愛を込めて叱ってくれるのはいいんだけど
 
 
 
 
 
鬼 = ?
 
 
その対象を、見誤った時に
 
異形のもの、
自分達とは、身体的特徴が異なるものを
 
簡単に
迫害する方向に
行きはしないだろうか。
 
 
 浦沢直樹バージョンの絵です。泣かされる…
 
 
 
 
 
 
 
鬼に、心はあるの?
 
 
 
 
 
 
じゃあ、そもそも節分における
「鬼」の起源って何?
 
と思ってGoogleさんに聞いてみたら
 
 
・仏教では「鬼は煩悩と呼ばれる人の欲望や悪い心に住み、それが災いとなる」と考えられていることから、寺院で節分の豆まきが広まった
 
・そこから、分かりやすく鬼を追い払い、福を内に入れるという形に変化していったと考えられる
 
 
 
…ということは。
 
 
冒頭の、
「怒りんぼ鬼」
「片づけめんどくさい鬼」を退治するって、
 
めちゃめちゃ
仏教の本来の意味に回帰してない??
 
 
子ども園、小学校教育
すごいかも。
 
 
なんて。
 
 
 
節分の鬼から、
思いがけず
仏教の思想までたどり着いて
煩悩について思いを巡らせる立春。
 
 
 
 
ちなみに私の退治したい鬼は……
 
「家事めんどくさい鬼」
 ですかね………真顔
 
 
 
 言うほど退治する気ないけどね…
 
 
 
 
 
最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
 
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