だいじょうぶだよ。
夕あかりの国では
しんぱいすることはないんだから。
そんなことへいきだよ。
夕あかりの国では
なんでもないんだ。
ヨーランは部屋の中で一人きり
ベッドの上でふさぎ込んでいる。
ママが話している声が聞こえた。
あの子はもう、これからずっと
歩けないかもしれない。
そんな彼の部屋の、アパートの4階の窓を
不思議な格好をした小さなおじさんが
ノックしている。
彼は窓をすり抜けて入ってくる。
夕あかりの国へ行きたい子どもを
探しているんです。
そのまま2人は空を飛び、街を抜けて
夕あかりの国までやってくる。
そこで冒頭の台詞が何度も繰り返される。
だいじょうぶだよ。
夕あかりの国では
しんぱいすることはないんだから。
車やバスの運転も、なんてことはない
諦めていた魚釣りだって、
なんだってできる。王様にも会える。
子グマがやってきて、
レモネードを飲んでお喋りする。
なんだってできる。
なんだって、起こる。
素敵な空想の世界、
色彩も柔らかくて優しい。なのに
わたしは読みながら
ずっと不安な気持ちでいっぱいだった。
彼は、戻って来られるのだろうか?
ピーターパンでも、
かいじゅうたちのいるところ でも、
めっきらもっきらどおんどおん でも。
空想の世界に迷い込んだ子どもたちは
必ず最後には
自分の家に戻りたいと願って
物語はそこで終わる。
この、夕あかりの国の物語の
主人公である彼は
そのまま空想の世界に
溶けていってしまうんじゃないか?
そんなことを連想したのは、きっと
夕あかり、という言葉に対応した
どこか寂しげな色彩。
逢魔が時にも通じるような。
そして彼が、物語のはじめから
ある意味での喪失を抱えていたから。
けれど、そんなことはなく
ヨーランは何事もなかったように帰宅して
次の日も、
その次の日も
夕あかりの国へ向かう。
寓話的なものは、何もなくて
空想の世界は
少年の日常と、ただ並行して存在している。
そのことを、物語は受け入れている。
それで、よかったなぁと思う。
どんでん返しがあっては、いけないのだ。
きっと。
空想の世界では、果てがなくて
どこだって飛んでいける。
想像の世界で
どこまでも羽ばたける、翼。
もしも
寂しかったり
何かを失ったり
安心できる場所でなかったり
もしも、
"その子" が今置かれているのが
そんな環境であったなら
空想の世界を
自分だけの秘密基地にして
そこで思いきり
翼をのばして、遊んでほしいと願う。
なんでそんなことを考えたのか、
自分でもよくわからないけれど。
この絵本が持つ
そこはかとない寂しさと
それを包みこむ優しさが
それを必要とする、すべての
子どもたちと
おとなたちに
正しく届いたらいいな、と願う。
* * * * * * * *
作者は、「長靴下のピッピ」で有名な
スウェーデンの絵本作家
リンドグレーンさんです。
この絵本は、
大人になって初めて 手に取りました。
6歳の時の自分に、もし手渡したなら
彼女はどんな印象を持っただろうな。
寂しさと色彩の柔らかさを
きっと気に入っただろうと思うのです。
最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
またどうぞ、お越しくださいませ。

