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※中々生々しい話をしています
この日には助産師さんが体を拭いてくれて、身につけていたものを簡単に洗ってくれる。血まみれワロタ
着ているものを脱ぐと血と膿の匂いがやばい。悪魔召喚の最中か?それとも戦時中か?わたしは傷病兵かなんかか?という気になった。
着替えがロッカーの中にあるので、出してもらい、手伝ってもらって着替えた。というか殆どやってもらった。完全に介護である。
これ、私の体重が、100キロとかだったらとてつもなく大変だろうなあ。
あと、自分でちゃんとパジャマがどこにあるとか把握しておかないと、カバンを総ざらいしてもらうことになっちゃうから大変だろうと思ったり。
おぼえててよかった。
夫が13時に面会にきてくれる。本来はこの日に出産予定だったので仕事を休みにしておいてくれたのだった。
MFICUは個室なのでソファーに座ってパソコンでお仕事しているのが見える。
わたしはベッドの上で上半身を起こして過ごすチャレンジをはじめる。
脚の浮腫み取りの機械が取れた。
脚が動かしやすくなったので、とても楽になった。常に感じてた振動の痛みが無くなってほっとした。。
でもこの機械が付いてたから浮腫みもなく、浮腫みがないから血栓の心配もないのよねぇ。
丸1日痛いくらいなによ血栓よりマシでしょ!ということか。さもありなん。仕方なし。
車椅子に乗れたら一緒にNICUへ行って赤ちゃんに会えるよと言われてたので、頑張って車椅子に乗ってみたのだけど、顔は見られたもののすぐ具合が悪くなってしまったので、助産師さんがすごい勢いでMFICUに連れ帰ってくれた。
初めてNICUに行ったので、色々な説明をしにいろんな人が来たけど、全部夫に任せてしまった。言葉は聞こえるけどなんにも理解できない笑
説明しようとするのを制して連れて帰ってくれたときのテキパキさホントに凄かったw
微塵も躊躇いのない動き……。
最初は一泊だけMFICUに、とのことだったけれど、調子が戻らず次の日もMFICUになったのでした。
でも座る練習を何度もしていたので、すぐ車椅子に乗るのはむずかしく無くなった。
夜に少し歩いてみる。動かせる点滴スタンドを杖替わりに部屋の中を1周。
ちなみにこの日から母乳を出すためのマッサージが始まる。
「めっちゃ痛いってきいてます……」っていったら、優しくしてくれた。笑
初日だからまあ、出ないものだしね~って感じで。
朝ごはんから常食になる。常食といってもすべて柔らかくなっている食事。スクランブルエッグとか、さつまいもの煮たやつとか。無理せず半分だけ食べる。これでも昨日からしたらえらい進歩である。
この日からスマホを見ても吐かなくなるが、やはり触る気が起きなかった。一昨日まではスマホ依存症すぎてWiFiがない、心が折れる……と思っていたのに……人間って不思議……
食事が出来るようになったため点滴が取れ、数回歩行して大丈夫だったので導尿管が抜け、体からチューブがなくなるとどんどん体が動けるようになって、だいぶ楽に。
抗生剤の点滴はまだあったから、最後まで引くほど太い針は取れなかったけど、針が入ってるだけで管で繋がれていないので自由である。
じ、自由だー!!!!好きに動けるーー!!!
まだヨロヨロ歩く感じだけど、結構嬉しかった。
そして着替える際に左腕見たらえらいことになっていた😂
あと1回採血あるんだけど、採れます……?🙄
14時くらいにMFICUから一般病棟へ移ることになる。
普通は産後の人達は7階に移るのだけど、部屋がいっぱいで帝王切開の人達が集められた8階の大部屋へ。
産後は絶対個室ー!って思ってたけど、赤ちゃんはNICUだし、他のみんなも同じ状況の部屋だったので大部屋でいいかなあと言う感じ。
わたしは長いこと8階にいたので知ってる顔の人たちがいる8階がとても安心でした。
「おかえりなさい」「おめでとう」をたくさん言われた。嬉しかった。
そしてこの日術後初めてシャワー浴びれた!嬉しい!
血流が良くなってしまうから、傷のためにサッと入ってきてねと言われる。
恐る恐る浴びてきたけど問題なし。
ハッピー✨😊✨
3日風呂入れなかった……と思っていたのですが、よく考えたら27日シャワーから戻ってきたら「いまから手術です!」って言われたから実際シャワれてなかったのは2日間だったんだよね。
体は拭いてもらってたけど頭洗えないのつらかった。せめて冬でよかった。
成長記録をつけようと夫がノートを持ってきてくれたので、スマホプリンターのiNSPiCをクリスマスプレゼント代わりに買って貰っちゃいました!
かわいい~!捗る~!!
ちなみに、この日の段階で3回くらい母乳マッサージ受けてて、
2回目でシリンジに5ml、次に10ml取れたのでウキウキでNICUに持って行きました。
ほんとうに少量なのだけど、本当に嬉しかった!
母乳が出たのは完全にわたしではなく助産師さんの努力です……本当にありがたい……😭
助産師さんの手しんどかっただろうなー。
患者(わたし)は痛がってるし。
1度乳腺が開通すればあとは詰まらせないようにするだけなんだけど、開通させるのには人の手でなければできない。
でもあまりに痛くて自分ではためらってしまうから、やはり、助産師さんの手を借りるのが一番だった……。
痛いってきいてたけど、だからって辛すぎて自分ではやれないから、本当にやってもらえて感謝✨😂✨
※これだけ摂るのに30分以上かかりました
そしてこのあたりで助産師さんたちが持っている携帯とナースコールが直結してることに気づく。
なぜなら向かいのベッドの人がナースコール押して、私のところにいた助産師さんが「〇〇さーん、次行きますねぇ~」って言ったから。笑
入院初日から、みんな何してても(採血以外)秒で携帯に出るから、随分連携がすごいんだなあ~などと思っていたのですが、助産師さん同士だけでなく殆どが患者さんからのコールだったんだ。って気づいた瞬間、その携帯がどんな頻度で鳴るか 1ヶ月も滞在してたわたしは知っていたので…… 心の底から尊敬しました。
ナースコールだから絶対にすぐ電話に出るんだ。だからあんなに尋常じゃない着信の数なんだ。
それでも朝の4時でもなんでもない顔してすぐに来てくれるの。お仕事だし、慣れてるのもあるだろうけど、それでも、本当にすごい事だと思うし、ありがたい事だと改めて感じました……。
(ちなみに後日病院にいったらたまたまモニターに「一人あたり平均14人の患者を受け持っています」って書いてあった……本当に大変なお仕事だ……尊敬する……)
母乳が最初に0.5、次に1.0が採れるようになったので、搾乳機になっても大丈夫そうって言われ次から搾乳機を使うことに。
この辺から地獄が始まる。笑
結果的に言うと機械があってなかっただけなのですが……まず先程も書いたように母乳が出るようにするためには乳腺を開通させなければならない。
35年間使われずに放置された蛇口を捻る作業、尋常じゃないですマジで
普通に擦りむけて血が出る。痛いけどやるしかない。
病院の機械は力が強くて、吸口(?)も大きくて私には合わなくてつらかった。
NICUに赤ちゃん1ヶ月くらい入院になって、毎日母乳をとって届けないといけないときいてから速攻Amazonで見つけた搾乳器が役に立ちました。
ほんと買ってよかった。
これです。
しかしこれを使うまでの2日間本当につらかった😂
ここでまたメルヴィータのオイルがとてもとても役立ちました……。
乾燥すると次の搾乳のときすごくいたいの!
だから保湿して置く必要がある。
オイルは保湿力あるし、しみないし、すぐ浸透するから次の搾乳タイムに油が交じることも無い。
これなかったらやってられなかったです。
アベンヌウォーターもガンガン使った!
前回の記事はこちら→出産記録①
緊急帝王切開の宣言されるなり突然病室内に人が溢れた。
わたしも慌てて夫に連絡。9時過ぎのことである。手術まで1時間を切っている、だと……!?
もはや支度は途中で放置。私はベッドに横になり、助産師さんたちが3人がかりで採血や点滴や血圧を測りわたしの準備にかかる。
夫は出張先から丁度新幹線が駅に着いたところだったので、病院に直行してもらった。
立会希望の場合、手術の30分前に来ていてくださいと事前に説明があったから間に合うかなと不安だったけど、丁度30分前に夫も到着。
わたし「ランドリーに……洗濯物がはいってるんだ……」
乾燥機に掛けてきてもらいました。笑
人生初の手術服に着替え、着圧ソックスを履かされ(1人では履けない程の着圧らしい )、引くほど太い点滴針を刺されて手術室へ。(出産のときにしか使わないレベルらしい)
ちなみにわたしは34年生きてきて、今まで転ぶ以上の怪我をしたことの無い人間である。
初の手術がお腹も内臓もかっさばいて赤ちゃんを取り出す事である。
普通に怖い。
でも命とでは天秤に乗せるまでもない。
手術台に乗せられて心電図ペタペター
丸くなって硬膜外麻酔を背骨の隙間に注射。正直右手の引くほど太い点滴針が地味に痛くてここまではなんにも痛く感じず。
その後両腕をマジックテープで固定される。足元の台も開く。ダ・ヴィンチの有名な絵を思い出してしまったw
マジでこんな感じ。
あとは麻酔がきいてるかの確認で、お水を含んだコットンを顔と交互に色々なところにあてて、これは冷たいですか?ぬるいですか?ときかれる。
感覚はあるけど全部ぬるい。
足を動かしてください→うごかないです→OK、はじめます。
ここで手術用のシートをどこにかけるか聞かれる。自分の方にかけてもらった方がテントみたいで安心できそうなのでそうしてもらった。(手術室はとても明るくて広い)
ここで立会人(わたしの場合は夫)が入室。ピンクの不織布の服を着せられていた。かわいい。笑
じゃあはじめますと言われた頃にはもはやわたしは半分ぼんやりしながら、バースプランの変更は伝わっているのだろうか……などと考えていた。
いまからメス入れまーすとか言われたら怖いなぁ~などと思いつつ。
しかし5分後くらいに突然「もう出ますよー」と言われた後ものすごくお腹の中が引っ張られて、未知の感覚に(°д°)!?ってなった。2回ほど。
多分1回目で赤ちゃんが取り出されて、2回目で胎盤が取り出されたんだろうと思われる。
でも健康な前歯抜いた時の頭蓋骨引っ張られる感よりは全然ましなのであった。
執刀した先生(わたしに入院しましょうと言った先生だった)の第一声
「臍の緒ほっそ!!」
「胎盤もちっちゃいね~これは赤ちゃん小さいわけだ~」
現代のエコーでは臍の緒や胎盤は見ることが出来ず、出てきた時に原因がわかることもある、あなたは原因が分からないから多分胎盤だね~と言われていたのでここで納得。
臍の緒を太くすることも、胎盤を大きくすることも、わたしにも赤ちゃんにも医学にもどうしようもできないので、わたしの場合やはり帝王切開で産んでから大きくするのが最善だったのだと思われる。
布の向こうで赤ちゃんのちっちゃい声がほにゃ~ってたまに聞こえる。かわいい。まだ肺が発達しきってないから大声で泣かないのかなあ?
そちらは新生児科の医師が見てくれている模様。
赤ちゃんの体温に合わせて部屋の中は暑い。わたしは麻酔がきいてて体温が下がってるから適温くらいに感じる。
「小腸よけて~」などの声をききつつ綺麗にされて保育器に入った赤ちゃんがわたしと夫の前に連れられてくる。
私の台の位置が低くて、あんまりよく見えないけど横顔は見えた。
どうにか見せてあげよう!って色々してくれたけどあんまり見えなかったw
産道を通ってない赤ちゃんはすこしも苦しまずに産まれてきて、頭も変形していなければ浮腫もないから目も腫れてない。きれいな赤ちゃん。そして小さい。1504g。平均の半分サイズ。
あと4g軽かったら、「超低体重児」になっていた。
スティックシュガー1本より小さな差だけで。
赤ちゃんと共に夫が手術室を出ていく。わたしの避けられた小腸はとっても綺麗な色をしていたらしい。笑
ここからおそらく次の麻酔が入ってきて、わたしは数秒ごとに目が開けられなくなっていく。なんだか面白い感覚である。耳は聞こえる。でもさっきは動かせないのは胸からしただけだったのに、もう手も動かせない。どんどん視界が暗くなるのは目が開けられなくなっていくからかなあ、などと考えつつ縫い終わった、いいね完璧 という声をきく。
ストレッチャーで安静室に連れていかれる。横にもう1人だれかいる気がする。
ほかの部屋でも帝王切開の手術があったんだろうなあなどと思っていたら、集中治療室にうつされた。
安静室には20分くらいいた気がする。
意識が無くなると思ってたから、意識があることに不安があるw
廊下をストレッチャーで行ってるのすごい重体患者感すごくておおう……ってなった。MFICU(母親の集中治療室)についたのがわかったし、そこで三本の点滴が下げられたのも覚えてるけど、
なぜかストレッチャーからベッドに移動したときの記憶はゼロ。
気がついたら、夫と母がNICU(赤ちゃんの集中治療室)からMFICUに移動してきたのがわかった。
母はたまたまわたしの面会時間に合わせて来ようとしていたので、赤ちゃんに会えなくてもわたしの顔を見に来るといって予定通り来てくれたのですが、夫がその場で面会予約を取ってくれたのですぐに赤ちゃんに会うことができたそうです。
ナイス👍👍👍
この時の写真が、産まれてから1週間で1番綺麗に撮れていたので、本当に母に感謝です😊
写真を見せてもらったりしていたのですが、突然気分が悪くなって、そっと寝落ちるなどしていた。
麻酔のせいで時々吐きそうになると、嘔吐反応でお腹がグッと動いてしまうので痛いし気持ち悪いししんどさの極み。
それでも誰かいる時は気が紛れるし、頼み事ができるからまだいいのですが
本当の地獄は夜からだった……。
点滴3本から始まり、動けないため浮腫で血栓ができないよう着圧ソックスをはいて、更にマッサージしてくれる機械がつけられる。
感覚がもどってきても、動けない。振動が地味に傷に響く。でもどうしようもない。動けない。
点滴の灯りが点滅して眩しい……。手術前隣のベッドの人、いつも夜通しテレビ見てるなと思ってたけど完全にこのモニターについてるランプの点滅じゃん。あの人もテレビじゃなくて点滴だったのか。などと思うなどした。
スタッフさんが点滴パックを変えたり血圧を測ったりしに結構な頻度で訪れる。時計は見えないので体感。
同じ方を向いてると良くないと言うので、背中にクッションを入れてもらい、反対側を向く。ベッドサイドにあるテーブルを自分の前にに持ってきてもらう。
入口が見える。あまり眩しさは変わらないというか、点滅って気になるね。
そんな感じでぼんやりウトウトしていると誰かが様子を見に来る。少し目が覚める。下になってる肋骨が痛い……。反対側を向きたい……。誰かが来るのを待つ。待ってると長い。
助産師さんが入ってくる。点滴を変え終わったタイミングで声をかける。
体勢を変える時絶対痛むから、手元の自分で入れる麻酔ボタンを押す。
というのを何回も何回も繰り返し、そろそろ夜が明けたのでは?と思って時計を見るもデジタルで見えない。
携帯をそっと開ける。
20時
泣いた。
泣く以外に出来ることなんにもないんですよ。
そら赤ちゃんも動けないんだから不快感ひとつで泣くわ。(2回目)
2回目どころかこの日1日で100回思った。
動けないんじゃあ赤ちゃんも泣くわな。(3回目)
上記を繰り返しているうちに夜明けまでなんとか漕ぎ着ける。
でも反対側を向いた時に手元に麻酔のボタンがないと不安で不安でもうなにもできなくなるので、寝返りを打つ時にお願いしたのは
・反対向きたい
・背中に枕入れて
・テーブルも反対側に持ってきて
・手元に麻酔のボタンを置く
こんな面倒くさいオーダーを、本当に嫌になるくらい何回も頼んだ。申し訳なかったけどできないと本当に無理だった。
自分の体が思い通りにならない苦痛。泣く。
麻酔の多用のせいか吐いたりしながらようやく明け方を確認。
時折意識が落ちて寝られるけど基本的に寝られない。
ようやく2日目を迎える。
ぼんやりとしか記憶が無いので諸々あんまり覚えてないw
手術の翌日は重湯とスープとジュースが朝ごはんに出た。
重湯って初めて食べたけど意外と美味しい。美味しいけど食べられない。
二日間近く絶食になるのがとても不安だったけど正直それどころではなかった。お腹が空くなどと気にならないほど憔悴している。
でもなんとか寝返りくらいは一人で打とうと思って、腕の力を駆使していたら、明け方までパンパンに浮腫んで痛かった手がお昼にはスッキリもとの手に戻っていた。
余裕がないから写真もほぼない。゚(゚^ω^゚)゚。
つづく。
11/28、9ヶ月と3日目。
田町の愛育病院にて、エコー検査した時に入院してくださいといわれて、今からでも明日からでもと言われたので、準備のため翌日の29日からにしてもらう。
出張中の夫に連絡し、あと3回行くはずだったお仕事先に入院になったと連絡をいれる。
入院のためのものを買わなくてはと思い、帰りがけに東急ハンズでお買い物。
・ペットボトル加湿器
・保湿クリーム
・眉ティント
眉ティントは最初の頃使ってたけど、そのうち何故か定着しなくなってしまったので途中で使うのをやめた。でも、連日人が来る日が続く時にはとても便利。
しかし本当に来客が増える産後は3時間おきに搾乳がある上に助産師さんたちも様子を見に来てくれるのでやってらんない。
29日の昼間、最後にお友達とランチをして、先輩ママにあると便利だよ!とプレゼントを貰う。
(ここで貰ったものがこんなにも役立つとはこの時は知る由もなかった)
さすが先輩ママ。
わたしは点滴も食事制限もなく、毎日の心音測定と血圧測定、1週間に2度のエコー検査、2週間に1度くらい血液検査があるな~くらいで本当に毎日横になって過ごすのみで、
赤ちゃんも小さいけど元気、わたしも元気、なぜ何故ここにいるのだ……?などと思いながらすごしていた。
こんな感じで、毎日3回、赤ちゃんの心音とお腹の張りをモニタします。
入院初日に一つ前の記事で書いた、高取さんの訃報を受けいろんな人から連絡があるも、入院したところなので本当になにもできず、
まだ私のお腹が膨らんでもいないのに、3月の阿呆船の楽日に出産祝いをくれたことを思い出して、あのときは気が早いよ~なんて思っていたのに……と切なくなるなどした。
何に使っていいかわからないよ高取さん😢
とりあえず2週間見ておいてと言われたのでそのつもりで入院したところから1週間伸び、更に伸び……
12/13に「もしかしたらこのあと血圧があがるかもしれないし」と言われ、その直後の血圧測定で150以上をたたき出す。
言われて緊張しちゃったんですかねー、と助産師さんが3回測ってくれて、130までは落ちた。
この日から部屋の電気を暗くして過ごす。
血圧は120~130あたりに留まるようになる。
相変わらず点滴も投薬も食事制限もないのだが、
何となくヤバさを感じて常に部屋を暗くして過ごすようになる。
「あなた、実は要注意人物なんですよ」といわれたことを思い出す。oh……。
気づいたらクリスマスがやってきていた。
夫がケーキを買ってきてくれて一緒にケーキを食べる。シャンパン代わりのアップルタイザー一緒に。
ちなみにクリスマス、年末年始は特別メニューらしい。
クリスマスを病院で過ごし終わったあと、
大型連休に入る前にとお願いして、12/28に帝王切開になることが決まった。
やっと先が読めるようになったと安心して夫や母に連絡を取っていく。
前日の12/27に母が最後のお腹大きい写真を撮りに行くねと言ってくれたので、朝イチで血圧と採血をした私は
「とりあえず朝食は食べないで」と言われたのでシャワーだけ浴びてきます~と伝えて、ランドリーでお洗濯を回しつつお部屋に戻ったら、私の担当の助産師さんが来た。
わたしは病室も産後の人のフロアに移るときいていたので、片付けをしながら明日ですねーなどと話をしていて、そういえばバースプランは下から産むつもりで今から何をするか逐一報告してほしいと書いたけど、帝王切開なら逆に一々言われると怖いから普通でいいですって書き直したい~などと言っていたらカーテンがシャッと開いて、
「緊急帝王切開になりました。時間は不明だけど準備してください」と言われ 突然慌ただしくわたしは部屋の荷物をまとめ始める。
12/27生まれの友達に、きみと同じ誕生日になったよーなどとメールを送ったところで、ふたたびカーテンがシャッと開いて、
「きのさき(仮)さん、手術は10時からになりました!」
わたしはこの子に2Bをやって欲しいのだが、彼女衣装の模様を手刺繍するこだわりを持つため自分の衣装にこの↓





























































































