94年(平成5年)の春から、幼稚園に行っていた長女を年長で近くの保育園に、3つ下の次女も2才4ヶ月で一緒に保育園にやりました。
幼稚園では、クラスの父兄の中でも私は最少年齢でした。保育園と違うのは、やはり仕事をしていないお母さん達と違い、時間もあるのか、必ずお迎えの時には、誰々ちゃんの家に集まるとか約束ができていて派閥もありました。
私は、仕事も信仰もしながら毎日時間の主管にと忙しい日々でした。
二人の通ったところの園長はとても厳しい方で、みんなが一線おくような雰囲気でした。
でも私もいつも笑顔で先生や周りのお母さん達と接するようにして、役員の書記に選ばれたので、バザーなどあると協力して、他のお母さんとも仲良くやっていました。仕事を持っている状況のお母さんと仕事をしてないで幼稚園にやっているお母さん達の違いが、はっきり見えました。
みんなみんなそうではないと思いますが…。
入園した時、紙オムツをしていた次女に、『弥生、明日から保育園で紙オムツはできないの、このパンツ(布の普通の幼児パンツ)をはいて、漏らすと冷たいからね。』と話して一度言い聞かせました。紙オムツを認めてない保育園でした。
次女は、一度話を聞くと、布パンツをはいて行ったその日に完全に一日で紙オムツがとれました。
ほんとに話をよく理解して、口数は少ないのですが空気を読む子供でした。
一方長女は年長の年だったのですが、園長の大変なお怒りをかってしまうということが起こりました。
それが、園長の娘さんである主任の(独身)身ごもった話を園でしたというのです。
それは、あってもなくても父兄の中で噂にはなるような内容かもしれませんが…。
これまで、怨讐を愛する(愛せないものを愛せない時に愛する)を実践して、自分に体得しながら涙の涙を越えて来た私には、正直許せない園長からの子育て批判を受けて、子供が言うような内容ではない話(言いがかり)をされ、ほんとに複雑な心境でした。
結局、言いやすい私に言いがかりをつけて来たのです。
子供の保育園をやめさせることも考えました。父兄でも太刀打ちできるような園長ではなかったのです。
私は、深く深く祈りました。
そして与えられたのは、今、私の怨讐である園長を愛するというものです。
これは、統一協会の文先生の原理でした。
私は、もちろん仏教の教えも学んでいましたが、並行して新約聖書、統一教会の原理講論の内容も学んでいました。
日本人には、聖書は馴染みにくいとか、解釈が人によって変わって来たので何万、何十万とキリスト教が分かれていったと思いますが…。
私より当時夫のTの方が、聖書が好きで聖書よこせと言って聖書を読んでいました。
原理講論は、聖書の真髄や、理解できない聖書の中に出てくる人物や、創造原理、堕落論、復活論、重生論、終末論、再臨論、などが明確にされたものです。
(詳しい内容は、省きます。)
そして私は、園長に手紙を書きました。
それが事実でなくても、娘の言ったことでご迷惑おかけしたことを謝ること、(実際、娘は園長の娘の身ごもった話などしていない)そして私がどういう信念で子供を育ててきたか、どう長女がこれまで大きくなってきたか、私も園長と同じように、娘を信じて愛している母親であるという内容をつづりました。
しばらく園長は、うちの娘に辛く接し、私の目も見ることなく、無視するということをしながら辛くあたっていました。
それが、その祈って渡した手紙のあとから園長が変わったのです。
私は、無視し続けられても毎日挨拶をしていました。娘達にもかわいそうな思いをさせたくなかったし、内心は、ほんとうに自分もへこむどころでないほどの心境でした。
でも渡した手紙のあとから園長が挨拶をしてくれるようになりました。
そして娘も保育園最後の運動会を楽しく頑張り、お遊戯発表会は、市民ホールのような大きな会場でやったのですが、長女の組の年長は、ジャックと豆の木をやることになり、園長が娘をジャックのお母さん役にしました。
当時、天地正教は、日本の仇になっている霊界を整理する為に、過去日本が他の国に犯した大罪によって(日本では、トルコにしたいいことや、恩返しされたことは報道するが、アジアに対してやって来た大罪は、隠して来た。今の若い世代は教科書で習うこともないし、事実を知らない)恨みをかっている内容が霊的に多くありました。私、個人においてもそんな仇の霊界を身を持って知ることになったし、日本においても危機は、たくさんあったのです。
なぜここまで日本が守られて来たのか、わかる人は多くないでしょう。
むしろ知らない人がほとんどでないでしょうか。
私は天地正教では、韓国、中国殉難者供養、南北統一祈願祭、従軍慰安婦慰霊供養を心から日本人を代表する思いで供養をして来ました。私は、特にここに気持ちがこもりました。
本来必要のない痛みは、いらないと思いますが、私は必要以上に誰にも言えないような女性としても、人間としても痛みを受けて来ました。痛みを知らずして人の痛みをわかることはできないし、人は、愛されたり、喜びを与えられなければ、人を愛することも、喜ばすこともできないと思うのです。
長女は、周りにいる在日韓国人の方や、韓国の水墨画の先生などに小さい時から、周りが不思議がるほど、良くされ愛されて来ました。
水墨画の先生には、大人の人しか限定で書かないと言われたものを、呼ばれて大人の3倍くらいの大きな水墨画を長女に特別書いてくれて、その先生もサイキックな方で、情の深い方でした。長女千愛美に頭を撫でながら『よく勉強するんだよ。そしてお母さんを助けるように頑張るんだよ。』そう言われて水墨画を娘に渡してプレゼントしてくれたのです。
お遊戯会のジャックと豆の木の後半、空を超えて、天まで登って行ってしまったジャックを、お母さんがひざまずいて天を見上げ、両手を握り合わせ祈り続ける長女の演技が、素晴らしかったのです。(自分の子供ながらに、Tも感動しました。)
純粋に天に息子の無事を祈る母の姿がみんなに感動されました。
園長までが大絶賛しました。するとお遊戯会が終わり父兄代表で会長と副会長が、挨拶と花束贈呈をすることになっていたのですが、舞台袖でこのお母さん達が緊張で尻ごみをしたのです。
すると園長が、書記だった私に『あなたの娘、活躍したんだから挨拶しなさい。』と突然舞台におされました。もう、うもやも言えない、準備もなくすぐ舞台で父兄代表で挨拶をするはめになりました。
でも、信仰でも祭司の主導師などをしてみんなの前で法話をして普段実践していたので、できたのですが…。(準備もなく、緊張どころではない。)
最年少の父兄の私…。いろんな意味準備はしてのぞみたいものです。(神様ありがとうございます。)
そんな長女は、小学校の時は、算数の割り算ができないとか先生に呼び出されました。
文句を言って先生にかかって行くお母さんの子供達は、待遇がやはり厳しくなっていました。
私は、もちろん媚びることは嫌いではっきりした性格ですが、算数の件は、ほんとに先生に言われて、教えのとおり謙虚に頭を下げて、家でもトイレにかけ算を貼ったり、先生に深々お願いしました。その後、担任の先生は、よく娘に熱心に教えて勉強を見てくれました。
そんな長女は勉強をしろと一言も言ったこともないのに、よく勉強していました。進学校なのに大学にやれなかったのが残念でした。高校を終え、長女自ら3年お勤めをしてお金を貯めて、語学院に行きました。その間、青森のワシントンホテルや、RAB学苑でハングルを教えているミジャさんからハングルを習い、家族のように大変よくしていただきました。
語学院の後、ハングルで韓国の大学の国際観光科を受験し、休みになると、日本でアルバイトをして授業料をつくり、昨年無事に4年を卒業しました。
本人も努力した結果、JALに採用されました。
世界の架け橋、愛の架け橋になるべくして彼女は、とても神様に愛されて来た思います。
親ばかなのか、この子がいなかったら生きてなかったというくらい、家を出て行く時には泣きました。
とても私に力をくれた娘を誇りに思い、感謝します。息子の無事を祈る母を心と体と全てをもって表現した千愛美の姿は、一生忘れません。