私が、1990年2月に天地正教の会員になってから、知る限り、2代目新谷静江教主は、川瀬先代教主の教えに従い、『韓国、朝鮮人、中国人殉難者慰霊供養祭』 『南北統一祈願祭』など日本の各道場で2000回以上の供養をなしていました。




1992年には『南北統一祈願、霊山芸術祭』〈韓国釜山市〉に代表者が、参加、1993年10月『韓国、朝鮮人、中国人殉難者慰霊供養塔』が、本山帯広市に建立されました。その翌月には、『壬辰倭乱鼻塚環国英霊安葬大斎』〈韓国、全羅北道扶安〉参加、その後1994年にも同じ国家行事に天地正教70余人の代表者が参加しました。




日韓の宗教界、関係諸団体との交流を深めながら、政治や外交の力だけでは、解決し難い過去の因縁を解く為、天地正教(今は、ない宗教です。大半は、今、統一協会員です。)は、真心によって清算する為に、敬天、愛国の心情を育み、日本の役割を模索して来たのです。




私達は、今自分とは、まるで関係ないような、恵まれた時代圏の中に歩んでいますから、戦争と言われても人ごとのような世代圏にいますから、こんな本質的な話は心情におりて来ない人の方が多いかもですね。まして、日本は、過去の歴史(大罪)は、隠して来たので、私達が知らない他国の恨みをかって来たのです。




鼻塚と聞いたことは、あるでしょうか?



10代で、ぐれていたわたしは、スナックに行きました。そこで1人の酔っ払いのおじさんが、やたら「朝鮮人、朝鮮人」と目の敵にして物言うのです。
過去の日本の大罪を知らない私達には、そちらを敵対視する集合意識が大きかったのだと思います。



1945年の広島、長崎に原爆が落とされた時まで、韓半島(朝鮮半島)は、40年近くも日本の統治下(植民地)だったのです。
それで、(土人、土人)と人種差別の言葉があったのです。土地も、名前も全て奪って来たのは日本です。



言っておきたいのは、私は、純日本人です。




広島、長崎に原爆が落とされたと同時、韓半島(朝鮮半島)が待ちに待った独立の時だったのです。



しかしながら、すぐ、韓半島(朝鮮半島)には、北からはソ連軍が…共産化されてしまう、反対からは、アメリカ軍が…。この二つの国が進駐して、日本軍の降伏を受理した…。



これが、韓半島(朝鮮半島)の38度線と言われる南北ですね。



私達、日本であれば東京から半分に分断されたようなものです。
東京には、愛する我が子が、北の青森には、愛して来た祖父母や、両親がいたら…



同じ国にいながら、会いたくても会えない、分断されて敵にならざるえない悲しい心情を日本は、
伝えて来たのでしょうか。母国語でなく、日本語で話さねばならない、名前は、ヨンスンであるのに、花子と名乗らなければいけない、その極みの恐怖の境地をゆく心情…。もしこれが日本人なら誰々のカタキ!と言って斬って来たのではないですか?
自分の子供や子孫に永遠にこのようにして来た国だと語りつくしたのではないでしょうか…。
ここでは、個人的にここまでしか書けません。あまりにも残虐極まりない事実を。
知らない事実も、誰か知っていても書く勇気はないはずです。





日韓仏教福祉協会会長であった、柿沼洗心師は、38才で仏門に入られました。
天台私度憎として、仏教、神道にこだわらず常に世界平和を目指して歩んで来られました。
この方の理念で日韓関係の改善に絶大なる尽力を身命を惜しまぬ、捨て身の行を実践して来られました。




この功績は大きく当時の韓国大統領はもとより、韓国のあまねく認めるところなり、1995年度以降の韓国の歴史教科書の日韓に関する記述が全面的に改定され、柿沼先生の功績が記載されることになりました。







南北に分断され、会えないまま、70年近い歳月には、年老いて亡くなった家族がたくさんいるのです。
私達が反対の立場なら、簡単に1人の人間として赦せるのでしょうか…





400年前に朝鮮出兵した豊臣秀吉は、日本では天下の英雄ですが、勝ち誇った証に耳や、鼻を削いで持ち帰って来た事実を誰が教えてくれ、その犠牲にした方を誰が慰霊して来たのか。





アメリカ軍が広島と長崎に原爆する根拠、ほんとうの理由を誰か日本の政界の方でも知る人、説明してくれる人はいたでしょうか…。





慰霊供養を重ねてして来たわたしには、天地正教という教団がなして来た命がけでして来た業績は、素晴らしいと思っています。





それより、素晴らしいこの宇宙で偉業をなして来た方の理念が、今の世界を変えることができたのにと…



思います。









これは、いつだったのか。。。


夜にダイニングテーブルで何か書いていたのかな。。籍を抜いてから書いたんだっけ。。

私には、頭の中の消しゴムで、ほんとに記憶がないのです。


でも大事にとっていたのでしょう。引越しして、何にも覚えていないところから出て来て
手紙をもらっていたということを思い出しました。




先月、仕事を再開する前に手紙を開いて読みました。
10年以上も経った今。。。




真由美さんへ


手紙を書くのは何年ぶりかわかりませんが、あなたの寝顔を見ていたら、真由美さんに何も

してやれない自分が嫌になっています。

うまくは書けませんが、真由美さんの優しさには、心から感謝しています。

今、こうして手紙を書くのが良いのか悪いのかわかりませんが、口では強がってしまうので

少しでも手紙を読んで下さい。

今までの事を許して下さいと言っても、それはムリだと思います。真由美さんの病気をここまで

ひどくしたのも、自分のせいだと思ってます。

たまに帰って来た自分にムリをして接してくれているのに、真由美さんの優しさに甘えてばかりい

て、本当に申し訳ないと思っています。自分も自分なりに努力はしているつもりですが、

自分の感情を抑えることができず、本当は、思ってもいない事を口にしてしまいます。

これも、真由美さんに甘えているせいだと、自分でも思っています。

本当は、自分が真由美さんの愚痴を聞かないとダメだと思っても、それもうまくは出来ません。

本当にすみません。真由美さんの心の支えになれるように少しづつでも努力はしている

つもりですが、本当に申し訳ないと思います。

真由美さんがうつ病にかかってから、その前からも、あなたの心の支えになれなくて本当にすみま

せん。何回謝っても足りません。

真由美さんは本当に今までよくやって来たと思います。子供の事、家の事、神様に対する信仰、

自分は、真由美さんと結婚できて心から良かったと思っています。

真由美さんの神様への信仰の頑張りは本当に好きでした。真由美さんの言うように

「昔と同じまま、昔には戻れない、自分から変わらなければ」確かにそうだと思います。

あなたを悲しませて来た自分が言うのはおかしいけど、でも、真由美さんの事が本当に好きだから

自分も真由美さんの話し相手になれるように、これからは勉強します。

この先お互い大変ですが、真由美さん、体だけは大切にしてください。忙しいですけど、癌の

検査はして下さい。

真由美さんには、自分より長生きしてもらわないと困りますので。

真由美さん、自分を責めないで下さい。こうなったのも自分のせいです。真由美さんは悪く

ありません。手紙にすると謝る事だらけだけど、本当にすみません。

今回、真由美さんに会えて本当に良かったと思っています。

少しでも真由美さんの笑い顔が見る事ができて、それと千愛美、弥生、苑弥には、すいませんでし

たと伝えて下さい。きっと二度と会いたくはないだろうけど、千愛美と弥生は…

真由美さんの心の支えになれるようにがんばります。少しづつでも真由美さんの笑顔が増えるよう

に、そして少しでも早くうつ病とサヨナラできるように、もう一度真由美さんと結婚できるように

がんばります。

無茶苦茶な手紙ですけど口では素直に言えないので手紙にしました。

真由美さんの事が本当に誰よりも好きです。そして感謝しています。

こんな自分に優しくしてくれて、本当にありがとう。

体だけは、充分気をつけて下さい。

お元気で、今度会える日を楽しみにしています。







きっと手紙をもらった時点で読んでいたはずです。

うつ病で生気のない私の胸ぐらを掴んで、殴ろうとしたのは覚えているのですが、

いつも笑顔で、ジャンヌダルクみたいと人からは、言われていたので

この病気って自分でなってみてわかったのですが、包帯巻いて寝てるわけでないので

理解されるのは難しいかもですね。

私は、トイレに入って用を済まして、トイレから出ないといけないのはわかるのですが、

出るという次の指令が脳から来ないのです。

いつものスーパーに買い物しなきゃと向かうのですが、いつものように信号を右に曲がれば

スーパーなのに、信号前で、左に行けばいいのか、右に行けばいいのか悩み悩んで目的地に

行けないのです。当たり前にやっていた事が出来ないのです。



私は、子供達の父親は恨んでもいないし、良くも悪くも正直な人で、中学生に上がった時から

同じクラスで見て来ました。彼が言うように自分の母さんと過ごした時間より、私といた時間の方

が、33才にして長くなったと話していました。


携帯もあったけど、彼は寝ないでこの手紙に思いを伝えたのでしょう。

彼が一番私の良さをわかってくれ、必要としてくれた人だと思います。


人の本質とは、こういう事を言うのです。そして本質の心と体が一つになった時に実体の基台が

ともなうんですね。すると運勢が来ます。

運命は、女に生まれた、日本に生まれた、誰と誰のところに産まれたという変えられない宿命です

が、運勢は、未来は変えられます。



私は、本質的な人が大好きですね。気づくところからで良いんですよね。。。



悲しいのは、頭の中の消しゴムですね。簡単に言ってますが、取り返しのつかない後悔もあるのです。すぐ近くに支えてくれる、助けてくれる身内がいるって、とても感謝なことと思いますよ。




病気になったのは、彼のせいではありません。
近くには実家もありました。母には、重症でもお皿の1枚も洗ってもらったこともなく、子供達の世話もしてもらったこともなく、この時を同じく生きているのに、私の潜在意識には、母親がなかったのです。。。
これもクリアリングですね。




上の娘達の父親は、本質的な人だと思います。
人ではなく、いつも私達を導くのは、宇宙の根源である神様です。
それを素直に信じる人が本質的なんです。本質の目覚めはここから始まります。





本質の逆は、なんでしょう?
自分の本心がよく知っています。どんな人にも本心があります。








全ての午前中の診察が終わりました。


混んでいる待合室で、立ったままリーディングすると、今まで見たことがない生きている人の染色体の活性化のヒーリングは、やって来たが、自分の内の重篤な状態の愛犬の犬だからこそ、できることはしたい…。地面が陥没するように染色体が雪崩のように下に落ちて行く、直ぐによぎった思いも信じたくない、院長が遺影のように写真になって見せられる、リアンが空に飛んで吸い込まれて行くのを引っ張った…。



この待たされる時間がもったいない、怒りが湧いてきた。リアンは、1人にされるのがトラウマだし、スタッフは、誰もついていないし、感じが悪すぎる。
先生から言われたら連れて帰ろう、大好きなリンゴや、トマトを口に含ませ、寂しくないように
腕の中で逝かせよう、リアンの死を分かった時、そう思っていました。



やっと先生からの話を…。前日撮ったレントゲンを見せられました。CTでなければ写らない、膿瘍が肺の中に何個もあるのが見えました、肺は全て真っ白。今に始まったことでないこと、昨日から、今までの状態を詳しく聞かれ、抗生剤も変えたとのことでした。先生に今まで症例があるのか聞き、明日朝、飼い主の娘が来るまで大丈夫か確認すると、今がピークだけど白血球も変化して来たし、ここを越えれば可能性はあるとのことでした。




私は、次の日の朝、弥生が来たら弥生に抱かせて連れて帰ろうと思い、しぶしぶ病院を後にしました。
もっと早い段階でこの肺炎の処置ができたらと悔やみました。




その晩、20時にD医療センターから電話が入りました。
『容態が、急変、人口呼吸器になったので、すぐ来れますか?』
同時に弥生から「明日着くまでもつか、リアンに待ってて!と言って」とメールで伝えられたのです。しかし、メールを返信している余裕などない…。
私は、三女の苑弥を叫んで『バスタオルを持って早く来て!急いで!』と呼んだのです。
連れて帰って来ればよかったと後悔の涙が出て病院に急ぎました。すでに診察台の上に置かれて、息を引き取っていました。
午前に面会に誘った苑弥は、死ぬなど深刻でなかったので寝ていました。
目を見開いて横たえているリアンを見た苑弥は、声を出して号泣しました。
院長は、下を見たままうなだれて、昼に見た遺影の姿と同じでした。
苑弥に持たせていたバスタオルに直ぐに、リアンを抱かせて帰りました。5才4才の樹里と真理も『リアン死んじゃった~』大泣きしていました。




次の朝、日曜日青森に着いた弥生は、泣きながら、しばらくぶりに変わり果てたリアンに再会して、寄り添って一日中泣きながら撫でていました。



次の月曜日朝、リアンを火葬し、弥生は勤務がある為、直ぐにリアンを連れて帰ったのです。




犬も不安や孤独、憤り、悲しみといったビリーフが潜在意識のブロックになり、病気をつくるのです…。




まだ7才半だったリアンは、人間でいうと私と同じ年でした。






天使は、目的があって創造された霊的存在です。
シータヒーラさんの多くは、天使のワークがありますが、天使は、わからないと見受けました。
インストラクターさんの中にも、ワークをしながら、堕天使、ウェイワードを光に送る時に堕天使に『名を名乗れー!』言ってるのを見た方の話を聞きましたが、(基礎、応用インストラクター受講の時に)このワークは、内容を統一した方が多くの受講生の混乱と不信を避ける為になると思います。確かに話していた方たちは、不信していました。





堕天使は、何人もいないし、今は、堕天使は、いません。統一原理にある創造原理は、真実です。
私は、今は組織には属していませんが、32才のときに堕天使の存在を身を持って知ったので創造原理は、真実だと言い切るのです。
統一協会のシックは、20年も前からたくさんの人が肉眼で天使を見て来たと思います。

95年からこの地に働く天使の数は増えました。



この天使の役事によって日本は、霊的にここまで守られて来ました。
そして世界を生かす為に自分や家族を犠牲にして全てを投入し、捧げて来た日本の統一協会のシックの業績あってのこと、これは、否定出来ない事実です。





昨日、また見させられたのです。
どかであの4年前のように流される光景を…。
今は、全ての人が目覚め、祈る時です。




シータヒーリングは、宗教ではありませんが、日本の生き残りをかけて統一協会員は、ほんとに誰もわからない苦労をして来ました。その苦労ゆえに、ミサイルを受けることなく、誰も知らない危機を越えて今の日本があります。
真理を土台とし、シックがシータヒーリングをしたら早いでしょう。天使の存在も知っている方が多いので、動員するのも早いでしょう。
そしてビリーフワークをして、必ずみなさんの苦労が報われる時が来ます。
決して他を反対派とは言わないで下さい。
愛と豊かさを受け取る感覚を置き換えます。潜在意識にある『恨』を自分では解くことができないまま、今の顕在意識で歩んでいる方、皆さんに希望を送ります。




昨年、11月創造主から祈り求めた私は答えをもらいました。
ゲームオブライフの受講の後です。




娘から勧められて永遠のゼロを観て涙が止まりませんでした。命をかけて家族の元にかえりたいと願いながら、特攻隊を演じるV6の岡田さんの命を犠牲にしていく最後は、私には長年の信仰ゆえの美徳だったのです。2度観ても涙が止まりませんでした。





るろうに剣心の伝説の最後編。わたしは、刀で切るシーンは、心臓が口から出そうなくらい、目を開けて観れないのですが…。三女の苑弥と京都編から観ました。
人斬りだった剣心は、もう二度と人は切らないとしていたのです。師匠から悟らされたのは、人斬りの幕末を終わらせ、生きて新時代を築くことでした。涙が止まりませんでした。





自分が犠牲になって死ぬ美徳の時は、終わったのです。






これからは、生きて新時代を築く。







創造主の声を聞いて下さい。道は、あるのです。

リアンを通してこの想いをつづりました。




リアンとは、フランス語で『絆』という意味です。












リアンは、次女の弥生が高校生の時、4ヶ月のメスのペキニーズという飼った犬なのですが、ペットショップに売れ残っていた岩手のブリーダーさんのところから来た、ペキでした。



我が家は、ペキニーズしか飼ったことがないのですが、弥生のハートをつかんだそのペキは、フォーンのブラックマスクでしたが、ペキ離れした美人な顔をしていました。ペキは、もともと中国の王様が飼ってきたという、人に戯れたりとかいうタイプではなく、ブサ可愛で2重の被毛に自由な我が道を行くというようなプライドの高いおとなしい犬種です。



やよいは、ステーキ屋さん、レストランとほんとに私に困らせることなくアルバイトでもパートさんをまとめるくらいのうつわと仕事をこなす頭の回転と行動力がある、仕事先からもいなくては困る器量を持つ頑張り屋でした。




自分のお給料で飼う、ちゃんと世話をするというので、私もオッケイを出して7年前に飼ったペキです。




名前は私が一つ下の年子の妹と小学1年2年の時に私たち姉妹のところに来た、リアン、リリアンという天使の名前を話したところ、弥生が直ぐにリアンに決めたのです。
フォーンのブラックマスクでしたが、ペキ離れした美人で運動神経のいい、ずる賢い甘え上手なペキニーズでした。





2年前から、弥生が横浜医療センターのICUの配属になり、1日のサイクルも不規則にほとんどリアンは、一人ぼっちで弥生のアパートでお留守の毎日でした。
リアンのことが、気になり心配するようになった私は、リアンをリーディングしてリアンと話をしたいと思いました。



するとリアンは、あまりに一人ぼっちにされるのが不安になりノイローゼ気味のようで、
『嫌だ、嫌だ、もう嫌だ~1人は嫌だ~』と首を横に振っておかしくなっていました。



弥生もハードで精神も体も休まらない中でリアンを十分に世話するのは限界と感じました。
急遽飛行機にリアン1人乗って3月14日、青森空港に着きました。
貨物の受付に飛行機から降りて来るのを待ってると、キャリーが運ばれて来ました。
リアンは、直ぐに私の名前を呼ぶ声に普段は鳴かないのに、悲痛な声でキャンキャーンッとずっと
私に『出してお母さん!』と叫び続けたのです。



呼吸がおかしいのに気づき、娘に話したのですが、なんともなかったというのです。アレルギーで皮膚の薬は飲んでいたというのです。



娘に話してA動物病院に連れて行きました。6キロもあったリアンは、4.9キロに減っていました。
先生から年をとれば膝の軟骨が減るように、喉の軟骨も減ると言われ、気管支拡張剤を出されて帰りました。



でも、皮膚の炎症があるリアンは、喉に大きな腫れ物ができていました。前足の肉球の膿んでいた腫れ物は、散歩が大好きで小さい時から大野のユニバースの周りを散歩していたリアンは、びっこをを引いても散歩に行くときかず、真理の靴下を履かせて散歩しました。最高に腫れ上がった2日くらいは、歩きたくても歩けず、治ってからも呼吸が苦しそうでした。喉の軟骨では無く肺だと思い4月に入ってH動物クリニックに連れて行きました。



喉の腫れ物はリアンがかきむしり膿が出て出血していました。
肺のレントゲンもとってもらいましたが、ペキニーズは、鼻が低いので鼻腔の問題で奥の方を切開しなければ呼吸ができないし、大きくなった出べそを先に手術しなければとのことでした。肺は少し濁っているとのことでした。体重もまた減っていましたが、元の体重を知らない先生は、そんなに減ってるわけではないとのことです。娘にペット保険のことや、私が深刻に状態を察していたので話したのですが。麻酔に持つ体なのか…病院には、考えさせて欲しいと保留にしていました。皮膚の炎症のお薬を処方されて飲んで、喉の皮膚は良くなったのですが、呼吸は、ますます苦しそうになりました。



1人にされるのがトラウマになっていたリアンは、一日中私の目を見ていて出かけるため、玄関に行くと後追いをしました。



娘も深刻になってくれる余裕もないし、リアンにヒーリングをし、リーディングをして話をして…。リアンは、痛いと言うのがやっとでした。


5月に入ると、大好きだった散歩もほとんど苦しくて歩けなくなりました。
リアンの大好きなリンゴを欲しいと訴えるので、私が前とは違い小さく切ってあげると、食べる勢いは、遅くなったのですが、喜んで食べていました。1人にされるのが怖いリアンは、毎日私と樹里と真理と一緒の布団に寝ました。酸欠で起きていられなくなるリアンは、明らかに弱っていました。5月18日には、あんなに食べたリアンが食べれなくなっていて、毎日咳き込んで夜中には、発作で起こされましたが、その日から私を気遣って起こさず1人で夜中発作で息ができなく苦しそうにしていました。



でも、賢いリアンは、真理が食事中落とすご飯を待って、テーブルの下で真理がこぼすのを待っていました。ウンチを外でさせるとバッタと倒れ、もう私の中では、限界だと娘に病院に連れて行きたいからとメールしてもなかなか返事が返って来ない、もうアレルギーでもダメと言われていた、ご飯をよそおって食べさせました。2回美味しそうに食べ、それが最後に食べれなくなり、紙オムツになり、舌は白くなり、危険な状態です。弥生は一週間後に休みがとれるので飛行機の予約をしてくれました。二日後20日D医療センターにリアンを連れて行きました。3Dの肺のレントゲンでほとんど右の肺が真っ白で血液検査もして急遽酸素室に入れられ、点滴で抗生剤が入れられました。弥生に連絡をとると、ICUで看護師をしている本人は、間に合うかと来週の休みを待たず、強引に調整してもらい、24日の日曜日の朝一番の飛行機に夜勤明けのまま乗って来ることになりました。





木曜日は、病院が休診だったので、金曜日、私は面会に酸素室の前に行くとリアンは、前の扉に寄っかかって立って私を見つめ苦しそうに呼吸をしていました。リアンに笑顔で大丈夫、大丈夫と話をしてヒーリングをしました。
そこに、スッタフは、1人もいません。3階の酸素室にリアンは、一人ぼっちで苦しそうに、去って行く私をずっと目で追っていました。





病院からは、明日土曜日もう一度レントゲンを撮るとのことでした。
気がきでなく、土曜日病院に電話をすると私が来た後、夜にレントゲンを撮ったらしいのです。もう肺は全て真っ白で上の一部しか機能していないとのことでした。
午前中の診察時間に面会に来れますか?とのこと直ぐに面会に行きました。
リアンは、はぁはぁして、立つことも出来ず、目をやっと上げて私を見つめるのがやっとでした。『リアン、明日には弥生も来るよ、うちでくうまも、樹里も真理も苑弥も帰ってくるの待ってるから頑張ってね。』あまりに辛そうだったので、家にいた時のように『寝ていいからね。』
そう言ってリアンの酸素室の前からそーっと離れるとリアンが、もう顔をあげる力もないのに、私をずっと見ていました。





それがリアンとの最後になってしまいました。






その日は、診察が立て込み足りていないスタッフでいっぱいな雰囲気、先生から話を聞くのに、他の犬の診察が全て終わるまで1時間半以上待たされたのです。その間、リアンを見ることも出来ず、立ったまま、他の飼い主の前でリーディングしリアンの遺伝子、染色体の活性化を焦る思いでシータに入りずーとやるしかなかったのです。




リーディングし染色体の活性化…『なんで…なんで…。』
このまま抱いて腕の中で逝かせたい。明日の朝、飼い主の娘、弥生が来る。会わせてやりたい…。







ゲームオブライフ。。。なんか変わった響きのワークがあるんだなぁと思っていました。
自分のブロックになっている思考をみつけ、自分が踏んでいる人生のブレーキを外して望むことや豊かさを加速させていく、実に楽しいワークなんです。




昨年11月の頭にカモミラ先生の受講を受けたのです。
カモ先生は、実に美徳のある、謙虚なプロ認定コーチです。なぜ美徳があるかとわかるのは、20年以上の信仰の実践があったので、わかるのです。
先生の受講を受けていると、本当の素の自分になれる、本来の神様から頂いた自分のサイキック能力もヒーリング能力も出せるのです。






受講の雰囲気もダウンロードされているのがわかります。
私と年は、変わらないのですが私のお母さんだったらいいなぁと思わせます。





お昼も五穀米をはじめとする優しい手作りのお昼御飯をチャチャっと素早く作って出してくれる愛は、本当に子供のことを思うお母さんの情です。




全ての食材に祝福を送ってダウンロードしているのがわかります。





初めてカモ先生の応用を受けた時に感動しました。1層の鉱物に7層にコマンドして石と授受するワークです。
先生が受講生の目の前でテーブルの上にいろんな石を持って来ました。
私の好きなアメジストもあったのですが、すぐに他の受講生の方々が好きな石をめいめい手にとってワークの実践をしはじめました。
私は残った中で、そんな好きでもない、あまり見た目には魅力を感じない石を手にすることになり、7層を通じてコマンドしたのです。




するとはっきり見せられたのは、バージンロードのように続くキレイなロードの先には、フランスやイギリスの貴族のような男性が後ろ向きになって立っているのです。その方が私に振り返って見るように仰いだ先には、見たこともない黄金の綺麗な景色が広がっていて、全てが私に見せてくれた愛でした。涙が出そうになりましたが、他の受講生はなんともなく終わっていて、先生が次の課題に進んだので、あえて誰にもあかしませんでしたが。。。





自分が好きな石が自分を守ってくれているわけでもなく、石それぞれの意味はあるのですが、
ストーンを買う時には、オーリングチェックをしたり、シータヒーラさんであれば是非、このワークをして見るのをお勧めします。





次に受講生同志ペアになって、掘り下げしていくのですが、私の場合は、今まで人に話したことがない潜在意識のブロックがたくさんありました。



ペアになった方が、ゴイゴイえぐるように掘り下げてくるのです。
相手の心情を察しながら今日まで来た私に、ブロックの怒りがふつふつ湧き上がって来たのです。が、もう相手の容赦ないセッションにたえられないと思った瞬間、カモ先生が「真由美さんベランダに行って植物とお話しして来て下さい。」と…。先生は、本当に場の空気を読んでいます。
誰も嫌な思いをさせないようにしています。





半分怒りが悲しみで折れそうな自分のブロックが湧き上がっていました。他の受講生は、植物とお話しするワークは、すでに終わっていました。



ベランダの先生のプランターの植物を見て、どの植物と話そうか見渡しました。
その瞬間、バーッと伸びきっているアロエに目がとまり、先生の指導通り7層に行ってから、アロエに私の名前を名乗り、話をしてもいいか許可をとったのです。




半分泣きそうな私に「いいよ–」と…。???えッ?
次に「アロエさん私を癒してくれますか?」すると沈黙になったのです。30秒くらいして突然
「僕が癒してあげるよー!」
目が点になるほどびっくりして、どこから言っているのか目をこらして見ると、バーッと広がって伸びているアロエの右となりから、土から単独で一本伸びている不思議なアロエが喋っているのでした。



他の受講生は、先生の次の課題に入っていたので、すぐに部屋に入り自分の席についたのですが、感動で涙がこぼれそうなのをこらえました、誰もそんな話をしていません。
先生がさりげなく狩りに行って獲物が捕れた人、捕れなかった人の間でエゴがぶつかり、どうやって解決したかの話をしたのです。
このカモミラ先生の心遣い、美徳に絶賛します。涙が出そうで本当にこらえました。
私の良さを重んじてくれてさりげない配慮は、いろんな人を見て来ましたが美徳の達人です。





カウンセリングやヒーリングは、テクニックの他にバーチュ(美徳)が必要です。
この先生は、ヒーラとして愛の基準が高いです。




ゲームオブライフの最終日、頚椎の術後、痛みに苦しんでそのワークの期間もしんどかったのです。
先生がお昼に作ったご飯をおにぎりにして、おかずを詰めて綺麗に可愛くラッピングして青森まで帰る私に夜ご飯と言って持たせてお別れしてくれました。




その食べ物には、本当に不思議なダウンロードされていて食べた瞬間、夜行バスで帰る私の痛みをとってバスの中で眠らせてくれたのです。ほんとに愛でした。感謝します。
ヒーラとして愛がある方は基準が高いと思います。




長年の信仰ゆえに本質の基準の高い人を知ることができます。




ゲームオブライフの受講の1ヶ月前の10月初めには、うちの5番目の女の子真理が大腸ポリープを二つとりました。




去年の今頃、2、3度目の下血を大量にしたのです。市民病院の小児科医が、腸じゅうせきは、2度も3度もやらないから、検査をしていきましょうとなったのです。




初めの検査は、胃の粘膜が腸にくっついていないかという時間のかかる検査なので、3才の真理には鎮静(麻酔)が必要で危険が伴うので同意書を書かされました。
痛みを抱えていた私に真理を抱っこするのはほとんど不可能でした。
病院着に着替えた真理の髪の毛を看護婦さんが三つ編みにしてくれ、小児科医と看護婦さんと検査室におり、内科医も麻酔の準備もされて、始まりました。




真理は汗をかきながらじっと動かず3時間近く頑張りました。普段はうるさいのですが、本当に根性のある子です。看護婦さんや先生もみんな感動していました。
結果異常はなかったのです。





また小児科医から説明があり、あと考えられるのは大腸ポリープしかないというのです。
お母さんに任せますと言われ、正直もう検査に耐えさせるのもかわいそうだし、自分も疲れ切っていたし、こんな3才の子が大腸ポリープのわけがないと思ったのです。
でも、しぶしぶ大腸ポリープの検査の予約を入れました。






家に帰って、自分の娘ともあって、シータに入って7層に行き創造主にコマンドして真理の腸のリーディングをしたのです。
すると見させられたのは、胃の下の横の大腸の所と下こう結腸の下の方にポリープが見えたのです。
やっぱり小児科医の先生の勧め通り検査をする決意が決まりました。また鎮静しなければいけません。検査の途中もしポリープが見つかれば、そのまま内視鏡でとるといううのです。
最高最善の医療天使も送って、送れるものは、シータで送り創造主(神様)に委ねました。





ほとんどすぐに切れてしまうくらいの麻酔で、真理はまたしても頑張りました。
結果二つの大腸ポリープを内視鏡でとり2日入院して元気に帰って来ました。4番目の樹里の世話もあり、退院して帰って来ると腕も麻痺してきかず、疲れ切っていました。




そんな私に真理が、「ママを助ける為に真理は生まれて来たんだよ、ママを助けてあげるから。」と真理が言ったのです。私がびっくり、嬉しいどころか、ほんとに不思議なことを言って来るのにびっくりです。
樹里も真理も2才、3才のあたりから、2人で誰もいないロフトの方を見上げて2人で手を振っていたり、不思議なことをいう子供達です。




あとで小児科医からどの部分からポリープをとったか見せてもらいました。リーディングしたのと同じ場所でした。
検査を勧めてくれた北山医師に感謝です。市民病院に行くと鎮静なしで頑張れる真理は有名人になっています。心臓の穴も針の穴くらいになりました。真理が小児科医の北山先生が「真理の先生がいない」と悲しそうに言いながら、針の穴閉じればいいなぁと最近言います。





内科医から説明があり、染色体の遺伝による小児のポリープの報告があるようです。



シータヒーリングには、染色体のワークがあります。
私のクリアリングもしているところです。無理して来た私に休む感覚や、理解される感覚を置き換えて下さった先生に感謝しています。潜在意識には、無意識のたくさんの制限や、無意識の憤りが現実や、体や病気に関係していることが自分自身を見てよく気づかされました。





真理は私がビリーフワーク(思考のクリアリング)をするように産まれてきたのだなと思っています。




次回の検査には心臓の針の穴も閉じていることでしょう。 ー祈りー