数日後には、可決するのを見せられました。安保法案は、成立してしまいます。



日本の皆さん気づくのが遅いのです。時の時に、時を逃して来たのですね。




何度も何度も時は用意されて来たのです。




私は、今更、賛成でも反対でもありません。




今回の台風の影響であんな被害に遭遇することを、あんな結果を誰も予想だにしていなかったのです。報道する方、専門のジャーナリストさんは、堤防の問題を指摘しますが、そんな取り方をしていたら、ほんとうの解決にはなっていかないと思うのです。。。




これからは、火山の噴火、地震の問題も次々出てきます。




そして必死に消防の方、自衛隊の救助活動に、命がけの救助をなしているのが伝わります。神様の心情も伝わってきます。しかしボートで救助される時に笑っている方、避難所にいて笑っている方を報道されるのは、やめてほしいと思います。たまたま、なのでしょうが、カメラを向けられて笑みがこぼれるのは、救助される笑みではない、映される恥ずかしさに対してですね。
とても、いろんな意味で残念に感じます。
どれくらいの方に、テレビを見ている方に深刻に伝わったのか…。思っても、他人事なので、時間が経つと忘れるのです。。。




本来は、こういう時こそ意味があり、天の摂理を救いを魂の救いを求める時なのです。




日本は、なんの思想も理念もない雑教信仰の国ですから、クリスマスパーティをやり、大晦日に寺に行き、初詣でに神社に。。




信仰がないのに、キリストも仏教も神道もわからないけれど、御利益としては、一時的に求めるのです。




偶像崇拝…。形ある所でなければ手を合わせていくことができない、御利益信仰の国の中にいるという事実を受け止めていきたいと思います。ほんとうの祈りは、どこにいてもできるのです。





国会議事堂周辺で反対デモ、若い方々、公明党の支持者、反対するのであれば、解決できる理念を掲げ屈服させなければならないはずです。



賛成に急ぐには、せざるえない裏事情があるはずと思います。




何度も書きますが、摂理を邪魔して日本の救いを遠のけたのは、当時のマスコミ、ジャーナリスト、報道によるもの、そして既成教会が、裏で率先して動き反対しマスコミを利用し、マスコミも加担し、若い会員を拉致し改宗にたくさんの人を追い込んだことです。




そして文鮮明氏は、日本では、無実の脱税の容疑をかけられ、最後まで日本を愛しながらも、入国ができませんでした。


たった一人、過去の政界で文鮮明氏を日本に一度入国させた、霊界では義人となった方がいます。
金丸元首相です。





私のデバインタイミングは、前に書きましたが、この地上ではもうありません。
ナイトワークです。4層5層の会議に出て宇宙を、ありえない綺麗なドレスをまとって
駆け回っていました。(飛んでいました)







今の、この結果を生んだのは、私たち日本です。日本は、全世界を生かす母の国として神様に選ばれ、恩恵を受けて来た国なのです。





今は全ての人が、目覚め祈る時です。




2年後には、また予想だにしなかった光景を見るのでしょう。






95年8月25日に祝福を受けるまで、あまりに多くの試練があり、正直、何度信仰をやめようと思ったか…。
何度、離婚しようと思ったか…。一般的にだったら、母親や友達に愚痴をこぼし、実家に帰るとか、離婚するのでしょう。私の正直なところは、365日あれば300日は離婚したいと思っていたのです。親にも、一切相談したことはありません。





それまで、組織において区域長をしながら班員さんの育成や、お年寄りのお宅には草むしりの奉仕、区域長だったので、お坊さんと同じよう朝は、天聖所の祭壇から畳の掃除、トイレ掃除を全てしてから、祭壇にロウソクを灯して全体を代表して、朝のおつとめ、読経、お祈り、創造主、天地の父母様、英霊、善霊、天使の皆様に今日の1日の全信者の祝福を願ってご挨拶して毎日を出発しました。





前線にも出ていましたが、区域長は、祭司の主導司も会議で決まるのですが、毎月一カ月の祭司の役割りも決められていましたから、自分が祭司の主導司、脇導司、司会をする時には、特に自分の心も体も統一して、神様が自分を通して働くよう、祭司に来られる方が恩恵を受けれるよう、その場の霊界を整える為に、家で誰にもわからないくらい、何百回も読経、水行などたくさんの条件立てをしました。
特に神道の蕩減で巫女さんの格好で祭司をするのですが、自分で着物、袴も帯もまとって、髪を結いまとめ、全体の前に立つ時は、法話をしている最中も、足元でたくさんの悪霊が邪魔をしてくるのです。重くて立っていられなくなるほど邪魔をします。睡魔とか、邪魔とか、魔がさしたという言葉を皆さん聞いたことはあると思います。その存在は、ほんとにあるのです。
条件立てをしていると、魔が入れなくなります。自分自身が、魔に讒訴される条件をもっていると神様が(創造主)働けなくなり、ややもすると、自分のエゴや、パラダイムが入ります。
🔱そういうエネルギーヒーリングをするヒーラさんや、霊媒師を見抜くことは、重要と思います🔱



🔱かえって精神疾患をひどくしてしまった方達が、いろいろまわった末に、私のところに来ます🔱



魔に讒訴されないよう条件立てをして神様(創造主)につながると、法話の内容も導かれ、その時参席している方にふさわしい内容が与えられました。






祝福が終わって私は、伝導部長も兼任ですることになりました。
祭司の時は、日曜日であれば、夫だったTも参加するようになり、導司が自分の妻なのですが、一時間以上ある祭司に参加し、私の法話も聞いていました。幼かった娘たちも、他の子と違い文句も言わず一時間以上正座したり、座ってなのですが、いつも私がそばについていなくても、お利口に参加していました。








ほんとにTは、180度くらい変わっていました。
ある時、本山から、従軍慰安婦の慰霊供養の話が来たのです。簡単にできないことは知っていました。
霊的に受けてしまうんですね。
Tは、ほとんど信仰に関しては、迫害することはありませんでした。しかし、従軍慰安婦の慰霊供養の為の条件立てをしていると(家で個人で護摩供養をする)Tに、頼むからそれだけは、やめて欲しいと、怖くて仕方ないといううのです。なんで怖いという感覚が出てくると思いますか?他の男性、旦那さんたちも怖かったし、何故?と思った方が多かったでしょう。





夜中になると霊人が、体の中に入って来て、起き上がって叫ぶのです。相対する思いをもっていたからですね。
水行の条件を神様に約束しているのに突然、39度近い高熱を出しました。
夫だった、Tが冷たい水でタオルを絞り、何度も頭を冷やしてくれました。しばらくたって、「頼むから、今水行はやめてくれ。」




でもこの熱は、霊的なものだから、(霊界を屈服させる為に条件立てをしなければ…)少しして、120の水行をふらふらの体でしたのです。終わった途端、熱は下がりました。






私の本音は、正直なところ祝福を受けたら、すぐ3人目の子が欲しかったのです。受けた方達の中には、すぐにおめでたになった家庭もたくさんありました。
私は、神様(創造主)に祈って確認していました。私にまだ、やって欲しい使命があると答えが返って来ました。その使命をいつも願って、強く思って頑張りました。





36万双の50日くらい前に自分と年の変わらない青年部に混じらせてもらい前線を志望したのです。


当時の横浜の道場に一泊して朝早く出発するのですが、8車線の大通りに面したその場所、暑いので窓を全開にしてみんな眠りに入っているのです。
(あ~うるさくて眠れない、明日早いのに…誰か窓を閉めてくれないかな…。)
すると、「ここから、始まっています!窓は閉めないで下さい。」女性が大きな声でそう言いました。起き上がってみんなを見渡しても、みんな寝ています。一緒に既成家庭で参加した婦人のKさんに、次の早朝、洗面をして、長い髪を三つ編みにして束ねながら、「ねぇKさん、昨日女の人が、窓を閉めないで下さい!って大きな声で言ったの聞こえたでしょう?」と聞いたのです。





するとKさんは、「誰も閉めないで下さいなんて言ってないよ~。」
そう言うと思ったのですが、聖霊が教えてくれたのです。早朝の出発式からではなく、夜寝るところから、自分自身の魔の分別が始まっていたのです。その後は、毎日涙涙でした。







創造主を素粒子という人もいますが、確かに科学的には、そうと思います。創造主は、この人類歴史を見つめながら、みんなを懐にかきいだきたいと、涙を流しながら、ボロボロになった親なる心情の神様(創造主)でした。




それゆえに、3人目の子供を後にして、使命を果たす歩みをしました。




使命の期間が終わり、授かりたいと思った時には、不妊になっていました。
東京の有名な不妊治療の医師のもと、祈って祈って二人で望んだ、待望したのは、3女です。
長女とは、10才も年が離れました。
母には、またつくったのか⁉︎ 私の妊娠を全て否定し、祝福などしなかった母親でした。
🔱胎児の時の浮遊記憶で潜在意識に残ります。自己価値の思考のブロックになっていることがあります。シータヒーリングでは、浮遊記憶を潜在意識の中から創造主のエネルギーにつながってから、引き抜き、置き換えます。🔱





《勝利した天国の父母弥勒》《復帰されたエデンの園の真の父母》





【苑弥 】 産まれる4年前に啓示で来た名前です。























長女、次女と二人の女の子に恵まれた私でした。




95年8月25日、世界平和統一家庭連合の、36万双祝福式が、韓国を中心として、世界中のサテライトで衛星中継を通して、世界72万人の男女が、文鮮明夫妻を仲保とする神様を中心として家庭を出発する男女が創造主より祝福を受けたのです。




その半年前、この祝福を受けたい願望がとても強くありましたが、すでに既成家庭であった私は、自分の意思だけで受けることは無理なのです。
しかも、誰もが我が家が、そこに行き着くには厳しい事を知っていました。




どれだけ、泣きながら毎日祈って来たでしょうか。。。




私達には、肉眼では見えない霊的存在がたくさんいます。天使など聞こえが良い存在ばかりでは、ありませんでした。
日々、見えない霊界との闘いには、悪なる存在を屈服させる、原理があります。原理を読む人は多くいますが、みんなみんな、実践しているか、できるかというと、別な話になります。




見えない霊界を屈服せざるえない毎日なので、私は、命をかけて毎日を生きていました。







10代の時に悪にも善にも命をかけれる自分であったことを自分でわかっていました。その当時、母と喧嘩になった時に、「その根性、悪い方でなく良い方にむけろー!」と怒鳴られたことがあります。
それは、私の潜在意識のデータベースに入ったのです。私は、間違いなく善にも命をかけて歩む自分になっていました。



つらければ、やらない、逃げるという選択肢もあったでしょう。




自分の選択は最善だったと思うのは、悪霊、善霊、守護霊、天使の存在が確実にある事を感じたとで頑張れたこと、一番は、いつも神様の存在がそばにあり、目に見えない神様に愛されていることを日々感じていたからです。人の愛とは比べものにならないのは、神様の愛でした。




つらくても毎日、創造主がいるとわかると幸せでした。




そして、半年後、誰もが我が家が、36万双の祝福を受けることができたのに、驚き、嫉妬していたお姉さん達もいたのです。でも、最後そういう嫉妬した方達までが屈服して喜んでくれ、8月25日が終わり、韓国から帰って来ると、神奈川県支部の多くの人の前で、それまでの歩みを証して欲しいと、神奈川支部全体の大勢の前で急きょ、マイクを持たされ証しをさせていただくことになったのです。





全体から大きな拍手を頂きました。












消えた年金の資料は、ほとんど見えにくい古い戦時中の時代のものに入って行きました。



しかも当人であろう方は、80代から90代… ご存命なのか…。当時の会社を覚えているのだろうか…。徴用…?



電話をするとほとんど御氏族の方が電話に出られます。とても元気で本人が出られることも多かったのですが、「昨年亡くなりました。」「3ヶ月前に亡くなりました。」ということもあり、(あぁ、遅かった…。」資料を一枚一枚手にしながら、だんだん複雑な思いになっていくのです。





ある方は、娘と名乗る方が、「親は二人とも認知で、嫁もみれなくなり、私がみているのですが、疲れきってしまいました…。」と泣きながら今の事情を話してくるのです。誰も聞いてくれたり、助けがないようなのです。ほんとうに気の毒なのですが、毎晩毎晩、鍵をかけても二人で徘徊しながら、外に出てしまい、夜中いないことに気づくと外に走って探しに行くと、砂利になった坂道を手をついてよじ登って歩いているんですよ」と…。(あぁ、どうやって聞き出そうか…。)






気の毒なのですが、娘さんのメンタルもいっぱいいっぱいという感じで、話をよく聞いてあげて、ねぎらってから、「本人のものだと照合すれば今の年金に上乗せされ受給を受けることができます、◯◯県に行って働いたことはないかと、調子の良い時で良いので聞いてはいただけないでしょうか」私も最善を尽くし、何度か電話のアポをとったのです。
ある日は、本人と思われるおばあさんが出たのですが、言っていることも通じないし、本人が話すことは「おじいさんはいねー」と、話ができる状態ではないのです。
こうなると、私達に出来るのは、何度電話をしてもここまでなのです。






また、90才だな…わかるかな…と思いながら電話をかけると、耳が遠くなっているので、オペレーターのTさんがお年寄りは、トーンの高いのが聞きづらいから、トーンを低くして男の人のような低さにするといいとアドバイスをもらい、そのようにしました。





すると「太田、飛行機」とはっきり答えられました。青森から群馬の太田工場に飛行機を作りに志願して行った方が多いのです。徴用に行かなければ、戦地に行かなければならないのです。


もちろん群馬だけではなく、神奈川、東京には、徴用の軍事工場は、たくさんあり、10代でみんな行かざる得ないのです。川崎に工業地帯が多かったのは、20年以上も前に、自分の班員さんの訪問をして見て来ましたが…。表向きの会社の名前が軍事工場ではないのですね。
そのまま、戦後、今までは、名の知れる大手の会社になったところも多いと見受けました。





女性のお年寄りは、当時のまま軍の秘密事項なので、喋っていいか戸惑い、一度は「違います。」「わからない」と濁すのです。


何回か電話をして、心を開かせる努力もしました。
「あの時代は、女でも爆薬作りにいがねばまいねがったんだ…。」表向きは、食品工場だったり、私も複雑でしたが、一人でも照合させてあげたいと仕事をこなしたのです。






ある方は、「もう死ぬ年になって、そったのいらねーじゃ」という方もいるのですが、「そんなこと言わないで下さい、◯◯さんが当時一生懸命働いてかけた保険ですよ、お孫さんに何か買ってあげて下さい。」そう言うと、多くの人は、「うんだか、そうするよ、ありがとう」と言ってくれました。






青森にも徴用の工場はたくさんありました。沖館にも飛行機の模型を造っていた秘密の工場などありました。
多くは、10代で徴用で青森から出て、陰で戦争に加わるしかなかったのです。






ご家族がいる方には、ご家族に仲保になってもらい、やりとりができるのですが、郡部に住んでいる、当時の一人暮らしのご高齢者の方とは、会話ができませんでした。確かにその方のものであろうと思っても、本人の口から聞けないと、照合を勝手にしてはいけないのです。





ある80代後半の方は、「当時働いて、社会保険をかけてもらっていたようなところはありますか?」と真珠湾の頃の話から始まり、弾を受けて京都の病院に送られたの話になり、今まで誰にも話せなかった、聞いてもらうこともできなかった戦中の話を1時間以上することもありました。
「ご苦労されて来たんですね…。」と私が言うと、「みんな死んでいぐんだね…」そんな電話のやりとりが、シーンとしたフロアーに私の話すことが響いていたのです。

職員が私を見る目が変わっていました。みんなの私を見る目が、謙遜に代わり、若い人とトイレで会うと、お辞儀されるようになっていました。そんな当時の極まりない心情をわかってあげられなければ、もう仕事だと言ってできる業務では、ありませんでした。
家族にも聞いてもらえなかった60数年前の忘れることのできない話を、やっとすることができたという思いが伝わって来ました。泣きながら、「聞いてくれてありがとう、ありがとう」とほとんどの方が言われました。





船員保険の照合は難しいのです。資料の内容があまりに粗末で、記述が少ないのです。他県の社会保険事務局に電話をして、当時北海道でこんな船の情報はなかったか、電話をして確認をしたり、当時の資料を調べに行ったり、何度も席を離れ行ったり来たり、津軽弁と標準語を使い分けて他県の局に電話をして模索するのです。


「八戸から室蘭に爆薬運んだんだ」「石炭運んだんだ」と言われる方に「◯◯さんは、かじとっていたんですか?食等の方担当だったのですか?」と聞いて、◯◯丸と船の名前が照合されれば、その方のものですが、
何人かは、同じ船に乗っているので、同じように消えた年金に入る方がいるのです。あまりに、たくさんの船に乗って、思い出せない方もいるため、当時の船長の名前、自分の役割を確認するんですね。



聞く方も辛くなって来るんですね。よく「思い出したくないことまで、思い出させて申し訳ないですね」と話すと、ほとんどの方は、「なんも、家の人さも聞いてもらったことねー。あんたさ聞いてもらって嬉しい。あと、死ぬばりだねぇ。」と…。ほんとに複雑でした。




これは一部の内容ですが、当時で一人のお年寄りの年金を13人ほどの若い世代の保険で支えているのです。これから、もっと高齢者の受給する方が増えます。一方で支えるだけの若い世代の人数は追いつかなくなるのです。




みんなを犠牲にした戦争や、ずさんな、年金の管理も黙っていて、なくなることはないのですね。
あまりにも過去の負債を隠して、知らずに、毎日あーだこーだのヤジの売り買いのような、国会の議員の討論…。
負債があると、他に責任転嫁します。全ての人に精誠があれば、全ての人に悔い改めがあれば、そこから新しい出発が、できるのでないのでしょうか。過去に当時のアメリカの大統領も日本に来日されて、文鮮明氏の掲げる理念を聞いています。東京で行なわれたので、私も参加しました。1990年に、かつてのソ連のゴルバチョフ大統領も文鮮明氏の世界平和の理念を受け入れた後、ベルリンの壁が解かれました。2003年の超宗教で行われた、エルサレム平和大行進では、途中、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の指導者が、感極まり文鮮明氏に抱きついて、抱き合って抱擁しあっていました。みんなが気づいてなくても、気づいている人はいるのです。日本は、92年のマスメディアによって取り返しのつかない汚点をつくって来ました。真実を伝えなかった、何も理念を知ろうとせず、宗教指導者、怨讐の韓国人という偏見の目で見た結果ですね。









軍事費は、私達がわからないくらい莫大にかかっているのです。
どこの会社でもそうとおもいますが、会社の会計事情を社員に公表できないところは、霊的に発展は出来ませんね。そういうのを霊的に見てきましたから。
過去に私に見透かされた組織は、こういう存在はうざいんでしょうね。
でも、ここを真剣に考える人が増えれば、良い集合意識になり、良い集合意識が大きくなり、霊界を変えていけますから。





8ヶ月の任期満了の近くには、もうこの仕事は嫌になっていました。お腹もゆるい服で隠して来ましたが、さすがに7ヶ月近くなっていたので、任期満了で終わるには私には、良いタイミングでした。



辞める時には、Tさん、Sさんからたくさんプレゼントを頂きました。


同じフロアーにいた職員の方も辞める時には、「すごいよね、よくできたね。」と言われながら、わざわざ私の自宅を訪ねて、手作りの美味しいお餅や食べ物を持って来て下さいました。
嬉しかったです。





それから、私は初めて、出産まで4ヶ月近く念願の休みたいが叶いました。





今から、ちょうど6年前、派遣とアロマテラピーの仕事を掛け持ちして来た私は、それまでも無理して頑張って来たので、毎日(休みたい、休みたい…。)とにかく休みたいと願うばかりに疲れきっていました。




そこで、当時、社会保険事務局で消えた年金の持ち主を探すために、電話オペレーターを募集していたのです。
青森ですから、この前、年金機構で雇った時のアルバイトの時給などもテレビで聞こえたのとは、程遠く、約7時間少しの勤務で1日あたり5000円いかない程度です。
しかし、何故かその時、欠員の募集だったのですが、採用されると思ったのです、もちろん一人枠です。


思っていた通り、即採用されました。目に見えない霊界が働くのです。意味があるんですね。



私が来る半年前から3、4人のオペレーターで誰のものか探しが始まったようですが、辞めてしまい、私が行った時には、オペレーターは、2人しかいなかったのです。
その階、フロアーには、いろんな役割を担当している社会保険事務局に所属している方がたくさんいるのです。




先にオペレーターしていた2人が、よく教えてくれ、ロープレもほとんどやらず、山のような資料を一枚ずつ取って電話がけに入りました。
私は、ずっと派遣で営業や販売、勧誘、事務の電話などずっとして来たので電話することには抵抗がなかったのです。
ちょうど、4女の樹里もお腹に入って、つわりもなかったので、座りながらの仕事は体には、負担が少なかったのです。




私達が手にする資料には、名前と当時務めて厚生年金がかけられたであろう、会社の名前があり、いつ働いたか、勤務した年、何ヶ月保険がかけられていたのか記されているのです。



それを本人の物だと照合させるには、本人の口から、当時の会社の名前、何ヶ月くらいそこで働いていたのか、同じ時期に働いていた人の名前、どこの県のどこにあった会社か、保険は、かけてもらっていたのか、上手く聞き出さなければいけないのです。もちろん、私達が電話するのは、青森県に在住している方です。




感じ良く、挨拶して社会保険事務局の者だと名前をなのり、◯◯さんのものではないかと思われる年金が見つかりましたので、確認お願いできますでしょうか?




初めは、かけて来られた方はびっくりするというか、若い方では、50代、あとは、90才くらいまでのご高齢の方がほとんどでした。



仕事としてこなすしかないのですが、青森の高齢のかたには、津軽弁でなければ、イントネーションもほんとうの津軽弁にしなければ、オレオレ詐欺と勘違いされ、切られてしまうのです。





しかも、何十年も前に働いた会社の名前、いつの時期だったか、必ずしもすぐに思い出せる方はいないのです。私だって同じことを聞かれたらそうなると思います。



そんな方には、ほんとうに申し訳ないということを謝りながら、一週間後にもう一度お電話させていただきたいので、思い出したことがあれば教えていただきたいと、次の電話のアポをとるのです。




簡単にどこどこの◯◯会社に行ったな~というかたは、本当に遅くになって申し訳ありませんでした。今の年金に加算されて受給が受け取れる旨を伝えると、素直に「いやいやいんだ、わざわざ探してくれてありがとうございます。」という方もいたので、それが唯一胸をなで下ろせる瞬間でした。




ある方は、家族が出られて、けんまくで怒り1時間もひたすら謝らなければいけない時もありました。オペレーターで始めは、最初からいた2人とひたすら電話がけでしたが、期間内に終わらせなければならなかったので、一人増やすのですが、この仕事は、詫びる心情と私達は、職員でなくても、消えた年金の汚点を作った社会保険事務局の立場にならないと務まらないのです。



ある日は、酔っ払った男性が出て怒られて電話を切られてしまいました。何度もありましたが、その日は、同じフロアーにいる職員が、警察から私に電話ですと…。不信電話だと110番されてしまったのです。
悲しいのは、私達が一番尻拭いの業務を一生懸命しているのに、職員は、クレームの対応はこわいものですから、見て見ぬふりです。




そのうち、オペレーターは、4人いても電話をかけるのは、私とTさんだけになっていました。
あとの方は、一枚の資料を手にして一件電話するか、しないかになっていました。




そのうち、昭和の戦中時代の消えた年金にほとんど入っていくことになりました。社会保険というものが、その時代から始まったことを知りました。



そこで私が知ることになったのは、戦時中の徴兵、徴用でした…。そして船員保険…。



それも戦時中の船の名前を照合させなければいけないのです。



どれだけのお年寄りとお話ししたのでしょうか…。