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ふみだそう~りあのブログ

新しい自分へとふみだす一歩に!自分だけにできることを!夢にたどり着くように☆美しいこと、楽しいこと、気持ちのいいこと、好きなこと、癒されること中心に書いていきたいです。

【妹が病気で亡くなりました】

小さい頃から元気なのが取り柄だった3才下の妹。花で言えば向日葵ひまわり

底抜けに明るく、常にムードメーカーだった。

誰が彼女がこんなに早く死ぬと想像したでしょう。


・後悔

卵巣癌が見つかり、治療を始めたと母から聞き、ヌックルという、私が愛用している腹巻きの色違いを送りました。確かバレンタインデーの前あたりのタイミングでした。
お礼に電話をくれて話し、妹はいつものようにバリバリに元気な声で、大丈夫だから❗️と言うのでした。

それに甘んじ、
お見舞いにもずっと行かなかった私は。

大きかったその
存在に、遅すぎたけど本当に、亡くなってから気づきました…。こんな日が迫っているなら、私は早く寄るべきだった。妹と最後会ったのは5年前くらいです。

話したかったことの第一は、父のこと。
父と、あることで仲たがいのままに逝ってしまったのは悔しい。私はもっと妹に理解を求めたかったのです。私は父派、妹は母の味方だったけど、父に対し厳しすぎるところがあった。そんなことも、話したかった。
妹は少しわかっていて、言われたく無かっただろうか。

でも子どもの頃はたくさん楽しかった。遊んだし戯れていた。当然です、姉妹なのですから。
 

病気になってから一度も会わなかったことを、とても後悔していますが、彼女が私に会いたかったかは、わかりません。


・家族愛

妹には生まれたときからの障害児がおり、彼女のことを思うとき、それがいつも念頭にありました。その子含む人の子を残し亡くなりました。何をおいても、家族第一に暮らしていた妹でした。親戚でたまに集まってもなかなか来ない、やっと来てもあっという間に帰ってしまう。ちょっとでも離れているとその子が気になっていたからでしょう。

最後は在宅で治療する道を選び、旦那さんの話によると、肺に水がたまり、最後は常に呼吸もままならない、そんな中台所にたち、お弁当を毎朝必ずつくっていたそうです。


・闘った妹の顔

お通夜で久しぶりに会った妹は、目をつぶってお棺の中にいました。太くなったべったりとした眉毛。別人の様におばさんの顔。肌の手入れすら出来ないくらいに、一秒一秒必死に生きていたことを思いました。ただ、清々しい顔にも見えました。
 

私が私の人生を我が物に自由にしていたこの時期、彼女はたくさん痛み悲しみを乗り越えようとしていた。それが本当に申し訳ないようで、そんなことを考えながら、葬儀中もひたすら首を垂れていました。暗い気持ちになりました。

 

・夫婦愛

そんなとき、お葬式でお見送りの棺にを入れるお別れの儀式の時に、妹の旦那は近づいて、彼女のこめかみにチュッとキスしたのです。
ありがとうと、眠る妹に優しくささやいたような気がします。
私が花を手向けたその目前でした。

そう、そう、コレだ、コレは私には無い。。
 

隙なく愛し合いまでキッチリ見送り、見送られていた。夫婦の愛もしっかり妹には見せてもらった。

笑顔の美しいはっきりした顔立ちで、大きな瞳が印象的な、女優さんで言えば、石田ひかりを彷彿とさせる、元気だった頃の、明るい笑顔を斜めから捉えたナイスショットの遺影が祭壇には飾られていました。あの写真は、妹のすべて。   

彼女の人生にあって、私に無いもの。私の人生にあって彼女に無いもの。

完璧人生なんてきっとどこにも無い。

でも、こんなにも違うのだ。