入院生活~ついに食事開始~
経管栄養を経てついに普通の食事が始まった。
不思議なことに今まであった、食べることへの恐怖がなくなっていた。
出された食事は米粒一つ残さず、食器を洗ったかのようにしっかりきれいに食べられた。
あの恐怖はいったい何だったのだろう。
経管栄養や先生・看護師さん、環境の変化のおかげなのだろうか。
ご飯が食べれなくなる前の私は、食べることが大好きだった。
給食もきらいなものがあっても残さず食べ、家族との食事も好きだった。
小学生の頃はおやつ代わりに友達とおにぎりを作って食べていたくらいだ。
もちろん甘いものも大好きで、好き嫌いはほとんどなかった。
唯一嫌いなのはトマトだ。
昔の写真を見ると大きな口で食べ物を頬張っているものも多くあった。
しかし、中学3年生の夏ごろから食べ物がおいしいと感じなくなった。
それからは、ちびちび食べになった。
大皿料理が多かった食卓で、いかにもたくさん食べてるようにちびちびとちょっとずつを繰り返して食べていた。
そのころは、1人1人のプレート料理が大嫌いだった。
自分が食べる量が決められているから。
小・中学生のころは、瘦せてはいなかったが特に太っていたわけではない。
運動もしていたし、常に標準体型だった。
普通の食事をするようになって、ご飯を食べることが好きだった頃の気持ちを思い出した。
それから、1日3食のご飯と1回のおやつの時間が楽しみで仕方なかった。
唯一の何かをする時間。
暇だから、ゆっくりゆっくりご飯を食べて時間を潰していた。
まだ、私は病室から出られない。
次の体重測定での結果次第では少しだけ病室から出られるようになる。
ご飯を食べて寝ている生活。きっと体重は増えている。
体重測定が楽しみで仕方なかった。
そして、ついに体重測定。
緊張しながら乗った体重計。
体重はしっかりと増えていた。
病室からトイレと2日に1回のお風呂に入れる体重になっていた!
やっと病室から出られるようになる。
しかし、未だに家族との面会謝絶。
電話もできない状況。
親は3時間かけて病院に着替えをもってきて、私と会うことはできずに洗濯物を持って帰る。
私も辛かったが、両親はもっと辛かっただろう。
着替えの中には新しい服やパジャマ、タオルやコップなども入っている。
姉からの手紙やプレゼントもある。
それを見るといつも涙が出てきた。
たくさん迷惑かけてごめん。
いっぱい心配かけてごめん。
お金と時間をかけてもらってごめん。
こんな遠くで入院しなければいけなくなってごめん。
病気になってごめん。
弱い私でごめん。
自分で自分がわからなくてごめん。
こんな私でごめん。
伝えることができない謝罪の気持ちでいっぱいだった。