1ヶ月程遅れで前クールの朝ドラを見終わった。
ドラマの最終回を見終えた後はいつも寂しい気持ちになるけれど、録画だったり再放送だったりするとなおさらだ。
みんな次のドラマをもう楽しんでいて、自分だけがロスの状態なのだ。やっぱり誰かと共感したいよな。
だからとても良い映画を1人で観たあとにこの気持ちを誰かと共有したくて、Yahooの評価の文章を読んだりする。2年前に流行した映画のレビューが2日前の日付で投稿されていたりすると、自分だけじゃないんだと嬉しい気持ちになる。
昨日見終わった朝ドラで、もう90歳を越えたじいちゃんが孫に、「わしはもうお前の一部じゃ。」と言っていた。
とても繊細な問題だけど、一生子供を持てない人はどうやってそれを受け入れるのだろう、自分がそうなったら?と考えることがある。
子孫を残すことは人間にとって自然なことで、生まれつきそのシステムがインプットされていて、だから恋愛しようとするのじゃないかと思っている。
だけど様々な問題でその自然の流れに乗れない人がいる。
それが自分の意思によることだとしても、なんらかの場面で一度は辛い気持ちになるだろう。
だけど、その人が今まで関わった人たちの中には、その人のエッセンスが溶け出て存在しているのではないか?
その人と触れ合ったことから何かを学んだり、考えたりすることでその人の成分がもう入り込んでいるんじゃないか。
例えばわたしが子孫を残せなくても、今まで話したり、触れたりした人になにか影響を与えていると思う。(全く与えていなかったら寂しい笑)
だから朝ドラのじいちゃんが言うように「わしはもうお前の一部」なのだ。
もし子孫を残せなかったとしても、ちゃんとその人は残る。そしてその人が与えた影響を受けた人が子供を産んだとすると、その子供にもその人が存在している。
だから悩む必要ないよね。
わたしも、両親や、両親が関わった人や、祖父母の知り合いの成分を含んでいるのでしょう。
面白いな。
もし自分で命を絶ってしまう人がいても、生前に関わった人たちの中にその人の個性は残っていて、無駄だったことになんてならない。
フレディマーキュリーなんて死んじゃって何年も経って若者に影響を及ぼしているのすごいよね。会ったことないのに。
わたしは何を残せるかな。たいそうなことを成し遂げる必要はないけど、好きな人には好きって伝えたい(千の夜を超えて)