みんなの笑顔を作る石井諒のブログ

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本日2012年3月11日


2011年3月11日
東日本大震災



あの未曾有の大災害から
一年が経ちました。

今からちょっと
石井諒の3.11を
小説チックに語りたいと思います。


自分があの日を忘れないために
自己満足の為に書くだけなので
皆さんにとってはどうでもいい内容と思うので
読みたくなければ読まなくていいです!
読みたい人だけ
読んでください!







あの日僕は仮免の試験の為
9時くらいに家を出た。

ごく普通に、今まで通りに。


そして福島県にある教習所で
仮免の試験を終え



ホッと一息、友輔の迎えを待つため
バイパス沿いのファミリーマートで
飯を買い
外のベンチで一人で食べていた。


やけに寒かったような気がする。
天気も良くない。

風でコーヒーを足にこぼした記憶があるなー。


そして食べ終え、店内に戻り
うんこ座りで本を読んでいた。

なんの本か忘れたけど
うんこ座りってお前、、、



読み始めて
ほんの2~3分だったと思う。




















14時46分




東日本大震災発生

















僕は最初、うんこ座りしている自分の
バランスが悪いだけだと思った。



すると後方から


バリン!バリン!



と、酒の瓶が落ちる音と同時に
棚がこちらに動いてくる。





なんだコレ?






すると店全体が揺れ始め
これは地震だと、初めて確信した。




立つことさえできずにただ
そこから動けなかった。




店内には僕と店員のおばちゃんの二人





僕は動揺しながらも

逃げなきゃ!


これだけは即座に思いつき
店の商品を直そうとするおばちゃんに



『逃げるよ!』


ガシャガシャと音を立てて揺れ、
こぼれた酒のきつい臭いが立ち込める店内から
ふらふらになりながらおばちゃんと脱出した。



すると友輔がちょうど到着した。







友輔も何が起きたか分からないような
そんな感じだったが
揺れは収まらない。


約一分半後、一回目の揺れは収まる。





僕たちは少しフリーズした後



とりあえず家族に連絡!








『あヤベ、電池ねえ』


すかさず店内に戻り、
電池式の充電器をおばちゃんに言って購入した。





この充電器が後々、石井家にとって
とても大きく役立つなんて
この時は全く考えてなかった!



とりあえず充電しながら親に電話








通じない









仕方ないので

『無事ですか?
 こっちはなんとか無事です』

メールを送信すると
すぐメールが来る。



『こっちは大丈夫
 無事け?』





ほぼ同時に、
しかも同じ内容のメール!


とにかく両親は無事。


詢は?
怜は?
じいちゃんばあちゃんは?
友達のみんなは?


みんなにも一通り連絡取ろう。


その瞬間








バーーーン!!!!





あんな音初めて聞いたっていう
破裂音というかなんというか
ものすごい音がして、振り返る


どうやら病院のタンクが爆発したらしい。


とりあえず連絡は後にして
まずは自分たちが逃げることにした。






国道を恐る恐るゆっくり帰る


道は派手に割れて、家の瓦は落ち、
崩れた壁が道を塞ぐ。
そしてなぜか川の水位が減っている。

この時は津波なんて頭になかった


そして勿来の海沿いにさしかかると
津波の第一波が押し寄せていた。








空も薄暗く、不気味だった




狭くなった砂浜を横目に車を走らせ、

国道沿いのつぼ八を通りすぎると



目の前の交差点が水没している。









なんで?




車が一台水没していた

慌てて神岡の方へ進路変更




津波と余震にビビりながら
市役所の下を通過すると
線路と北浜が見えてくる





だけど線路はない






国道沿いの堤防は決壊し
線路を飲み込み
線路の内側にあるアパートの一階まで
飲み込んでいた


こえー!


なんて言いながら帰宅


母ちゃんは半べそかきながら
父ちゃんと車に荷物を積んでいた



『友輔ありがとう!
 気をつけて!』


怜は授業中に被災し
親の迎えで帰ってこれたらしい


僕んちは海から約3キロだが
川沿いということもあり

急いで高台のじいちゃんちに避難









みんな無事だった!




とりあえずホッとしたが


夜を迎えると

電気もつかない
水も出ない

ガスコンロと石油ストーブで
おかゆを作って夕飯を済ませた


事の深刻さには、夜になって気付いた





この生活が一週間続く




一応家族は全員無事が確認できた




そして夜中は、
みんなでリビングで固まって就寝






激動の一日が終わり
激動の日々が始まろうとしていた








とまあ石井諒の3.11はこんな感じ。

この後原発が爆発し
北茨城市も被害を受ける








実際東北の被災された方々は
今も苦しんでいるわけで

こんなの被災したうちに入るのかよ?

って感じかもしれません。

まあ、苦しみの大きさの問題では
ないと思うけど、

っておれが言うことじゃないけど



でもあまり報道されてないのは事実






言ったら

忘れられてる?

と思うこともある




ただ一番おれがラッキーなのは
大切な人達が今も








生きていること










普段の日常を
普段通りに過ごせることが
どれだけ幸せか


それはおれでも分かる





自分の愛する人を
ありがとうも言えずに
さよならも言えずに
失ってしまったら



そんな経験をしてないおれに

震災を語る権利あるのか?



悲しみを理解しようとしてるなんて
言っても、知らないだろ?








そう思うこともあったけど


やっぱ伝えなきゃいけないよね!




そして忘れない



常に思い続ける



これに尽きるよやっぱり!








小峯先生もおっしゃっていた






『犠牲者二万人』


と言っても、それは統計でしかない




その二万人にはその分だけの


家族
友人
恋人
恩師

が居るんだ

それを忘れるな







忘れないことこそが
今自分にできること





一日一日、感謝して、
一年経ってまたこの日が来たとき



こんな事があったと
またちゃんと思い出せるように


ここからまた一年
大事に生きていこう!





日本は世界唯一の『核被曝国』


戦争にも負けた


毎年台風が来る


地震も来る


津波も来る


それでも小さな島国『日本』は
その度に立ち上がってきた





日本ならやれる


やれないことないさ!



この出来事を風化させることなく

復興に向かって歩みを進めよう!





見せつけろJAPANパワー!!!











このへんでおやすみなさい






最後に
この震災で亡くなられた方々の
ご冥福を心より祈っています。









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