こんにちは😊


前回の記事をUPした3月20日に
これまでの御礼報告をしようと思って
長崎原爆資料館のファットマンに
逢いに行ってきました🥰

(ファットマンとは、長崎に投下された原子爆弾のコードネームです。
長崎原爆資料館には、その原寸大模型が展示されています。)



本日は、その御礼報告のときの展開を中心に
綴ってまいりますので、
よろしくお願いします〜♪




ファットマンに御礼報告をしに
逢いに行こうと思ったキッカケは
バイト先で欠勤が出て
勤務日が追加された事から始まりました


新たに追加された
3月14日・香焼公民館の場所を確認してみると、、


去年の4月12日に
香焼捕虜収容所跡を参拝した際、
駐車させてもらった場所だと気がついて
ギクっとしました🙄


去年の4月12日に香焼捕虜収容所跡を訪ねたときの事を
以下の記事に書いていますので
よろしかったら、ご参照下さい♪




ギクっとした時の真意はわかりませんでしたが
ひとまず、香焼捕虜収容所跡を再訪してみようと思って
3月14日の昼休みに参拝して来ました


また、香焼と言えば
長崎に住む私達にとっては三菱の街のような
イメージがあります


三菱の造船所をはじめ
三菱グループの会社が点在している場所です





三菱のロゴマークは
こんな風に、3つの♦️が組み合わさった形です


車を走らせ、三菱グループの建物を通って
この3つ♦️のマークに囲まれながら

8/6の広島への原子爆弾の投下
8/9の長崎への原子爆弾の投下
8/12の原子爆弾の実験成功の3つを受け入れて
あの問の自分なりの答えも受け入れたさちこ隊長として♡


(”あの問”については、前記事を参照ください♪)




あいに来てほしい🦅


そんなメッセージに感じて


3月20日に、美容室を予約していたので
長崎原爆資料館や、爆心地まわりを
訪ねる計画を立てました



少し余談になりますが
去年の4月12日に香焼捕虜収容所跡を訪ねた後に
長崎原爆資料館に寄って、近くの「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」などを
訪ねたことや



同じく去年の4月26日に
幸町捕虜収容所跡を訪ねたのは
美容室に行った日だったと思い出して


もう一度、同じようなことが
リピート再生しているような、逆回転しているような

そんな感覚になって


あっ、呼ばれてる。と感づきましたw





ここからは、私の個人的な感情にそって
あの日の気持ちを綴っていきます😊



3月20日に長崎原爆資料館を訪ねてみると
これまでと印象が違いました、、


形容しがたいのですが
いろんな写真や資料を見ても

これまでよりも(以前よりも)、
気持ちが楽になっていたと言いますか
私にとっての自然な眼差しで見れたような気がして


私の中の原爆に対する感覚が
以前よりも軽やかになっている事を実感したのと


一方で、以前はどうして重たい気持ちに
なっていたのかが少し見えて来た気がしました


それを表す、こんな象徴的な出来事がありました



館内の展示物の中には
”手を触れることが出来ます”と書かれた
ものが幾つかあります





こちらは、その1つの
原爆によって発生した火炎のため変形したサイダー瓶
の写真です


以前の私は、
これらのものに触れられませんでした

今にして思うと
近づきたくない、遠くから見ていたい
我が子だと気がついていない、、😅
そんな深層心理だったように思います


その日の私は、
あんな熱線でガラスはどんな風に形を変えたのかな
実際に触って確認してみたいと好奇心が湧いてきて
手を差し伸べていました


こんな風になるのかーと、サイダー瓶に触れたときから、、
そう言えば、どうして触れられたんだろう?
と、何となく考えていました


そうしたら
あの感覚は「オマージュ」だったのかもしれない。
そんな気がしてきました


それで、あの感覚をオマージュと表現して
自分で納得できるかどうか
きちんと確認したいと思って
3月27日に長崎原爆資料館を、もう一度訪ねてみました


自分の心の中を確認しながら
資料館の中を歩いていると
それでいいような気がしてきて、安心して帰りました


これらの事を経験して
私自身の検証結果として見えて来たのは


自分が見ている対象に対して
恩恵や、有り難さに気がついていない領域では
なぜか”可愛いそう”で終わってしまっていた😅 
ここへのガチな!気づきでした



あっ。念のために書きますと
可愛いそうだなぁ、悔しいなぁ、あんまりじゃないか、
と沢山思って来たことを

私は、全く後悔していません♪


私の道のりでは必要だった感情で、
大切な我が子です

私は、こんな沢山の感情を抱えながら
それらの感情から沢山のことを教えてもらいました
ありがとうね(o^^o)


こんなこともあって、
原爆に対して恩恵を感じるまでの道筋が
固まって来たのだと感じています


ここで、今回の内容の日付に関することを
「13の月の暦」をはじめ、いくつか検証してみましたので
宜しくおつきあい下さい♪




まず、

香焼捕虜収容所跡を再訪した2024/03/14が
最初に訪ねた2023/04/12から何日後か計算してみると
初日を含めて11ヶ月3日


そして、2024/03/20に長崎原爆資料館を訪ねたときに
原爆投下の時刻:11時2分が、
これまで以上にアピールして来たのと


2024/03/20の現代キンはkin151
孝明天皇 生誕日のサイ時間キン
明治天皇 公式命日(1912/07/30)の古代キン

と出て、



やっぱり。。

11月3日が生誕日で、11月2日が生誕前日になる明治天皇と
お父さんの孝明天皇が協力してくれているーと思いました


また、オマージュの感覚を確認しに出かけた
2024/03/27の現代キンの神秘のパートナーはkin103だったので

私にとってのトーサンは、
私が感じた原爆に対するオマージュの想いの中に
閉じこめられていたんだなぁと
今は思っています


今回は、番外編のような内容になりましたが

次回からは、ここで書きました
私が原爆に対するオマージュの想いを実感するまでに
とても大きな影響を受けた
昭和天皇の玉音放送について触れながら
”私の中の77と61の統合まで”を綴っていきたいと思います


今回は、4月1日スタート(新年度)の
時間を外した日とも言える3月31日に記事をUPしたいと思って
夜遅くになってしまって、ごめんなさい


最後まで、ありがとうございました〜🕊️


🌈高橋幸子