子育てで気をつけてきたことを
 
ひとつあげるとすれば。
 
 
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こんにちは。
 
柄沢由理(リー)です。
 
※5年前の記事の再稿です
 
 
 
 
子育ての相談をうけるときに
チラホラ聞くことがあります。
 
 
 
それは
『わたしが変われば、子どもも変わりますか?』
というもの。
 
 
 
子育てて悩んでいる時って
こうしたらこうなる、みたいな明確な答えが欲しい。
 
 
方程式のような
絶対的な成功法則が欲しい。
 
 
わたしもそう思っていた時期があったから
そう思う気持ちはよくわかる。
 
 
 
子どもがかわいそうだと思うもんね。
 
そして、自分が苦しいもんね。
 
 
 
 
 
でも
わたしは心のことを知れば知るほど
そんな絶対的な方程式はないとわかりました。
 
 
こう関われば、こうなる。
 
それがわかっているのなら
世の中に、こんなに子育て本は出ていないし
 
 
そもそも
みんなをひとくくりにできるほど
子どもひとりひとりの可能性って小さくない。
 
 
 
 
 
でも
 
『わたしが変われば子どもが変わる』
 
これは間違いではなくて
 
 
 
自分の『見方』や『捉え方』が変われば
目の前の子は何も変わらなくても
問題のある子 → 問題のない子 に変わり
 
 
子どもを問題視しなければ
見張られるエネルギーから解放された子どもは
どんどん自分らしさを発揮する。
 
 
結果
『わたしが変われば、子どもが変わる』になります。
 
 
こういうことって、山ほどある。
 
 
 
 
あ、でも
ちょっと注意なのは
子どもを自分の思うように変えたいから、自分が変わらなきゃ』
と思うこと。
 
 
これはうまくいかない。
何故なら 『子どもを変えること』 が目的で
しかも別物にしようとしているからすっごく大変。
 
 
ちょっと反発心のある子だったら
そんな空気を敏感に感じて拒否反応を起こします。
 
 
 
 
 
 
誰かを変えようとするエネルギーって相当で。
 
 
かすみ草に対して
バラみたいな大輪の花を咲かせようと
あれこれやるのって
すごく大変じゃない?
 
 
想像を絶する時間と努力が必要です。
 
 
そして
かすみ草をバラにするのも大変だけど
バラにさせられるかすみ草は、もっと大変
 
 
それは、自分の良さを殺すということだから。
 
 
 
 
それでも
大好きな人にバラになれと言われたら
なろうと頑張る健気なかすみ草もいると思うんです。
 
 
それで喜んでもらえるのなら
それで褒めてもらえるのなら
それで可愛がってもらえるのなら
それで大好きな人の笑顔がみれるのなら
 
そして、バラになったらここにいてもいいのなら
 
 
きっと頑張って、自分ではないものになろうとする。
すんごく苦しい頑張りだよね。
 
 
 
 
じゃあそんな頑張りを経て
仮にかすみ草がバラになった時、すべてうまくいくの???
 
 
 
 
わたしはね
自分を殺した分だけ
きっとそこからは
死んだように生きて行くのではないのかなと思ってる。
 
 
 
自分ではないもので在り続けるために頑張りながら
生きているけど死んでいる。
そんな状態になると思ってる。
 
 
 
そしてもし、頑張っても
望まれるようになれなかった時は
できない自分を責めて
やっぱり死んだように生きていくんだろうね。
 
 
 
かすみ草でもバラでもない状態で
『自分は一体何者なんだろう』と、悩みながら生きて行く。
 
 
 
 
 
自分ではないのもになるのって、不幸の始まりなので
『わたしが変われば、子どもも変わりますか?』
そう質問をもらう時は
 
 
子どもを変えようとしていないか
変えたいのならそれは何故か
変わらない子どもを見ていたらどんな気持ちになるのか
 
変わってほしいと願っている気持ちの方に、目を向けてもらいます。
 
 
 
 
ま、だいたいのところ
 
『ダメ扱いしている子どものことを不安で見ていられなくて、素晴らしい子に変えたいから、わたしのやりかたを変えようと思っているんですけど、てっとり早くて確実で失敗しない方法があるならやってみたいです』
 
というゲスい思いがあぶり出されます。
(経験者は語る、です笑)
 
 
 
 
 
そしてここからが本題なんだけど(笑)
わたしもそんな時期を経て
 
 
『子育てで気をつけてきたことをひとつあげるとすれば』
 
 
冒頭に書いたこれなんだけど。
 
今までのわたしは
 
・口出ししない
・話を聞く
・放っておく(放牧のイメージ)
 
この3つあたりを心にとめていました。
 
『この子は何があっても大丈夫』だと信頼するとしたら
わたしが日々やることは何かな、って思った時の行動3つ。
 
 
 
 
でも昨日ようやく
『あ、気をつけてきたことってコレだ』としっくりくるものが降りてきた。
 
ひとつになった。
 
 
 
昨日、FBにこんな投稿をしたんです。
 
 
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【わたしの望む子にしようとしないこと】
 
 
これが
子育てで気をつけてきたことの
総まとめじゃん、て思った。
 
 
あんな子になってほしい
こんな子になってほしい
 
 
そう思って
口を出したくなること
アドバイスしたくなること
やってみたらと勧めること
わたしのレールに乗せようとすること
 
 
それを、気づくたびにやめた。
 
 
 
 
そうしたら
当然のごとく
わたしの望むような子にはなりませんでした。
 
 
でもならないかわりに
息子が元々持っている良さで
社会や、周りから望まれるようになった。
 
 
母から望まれる、なんて
そんなちっぽけな世界に閉じ込めなくて良かったと思ったよ。
 
 
わたしから望まれる子にならない代わりに
自分の持っている良さを惜しみなく発揮して
そして周りから望まれるようになったのなら
 
 
そんなに幸せなことってないと思う。
 
 
 
 
もし【子どもを望むような子】にしたくて
あれこれやっていることがあったら
 
そしてそんな自分にもう疲れていたら
 
やっていること、ひとつずつやめてみたらいい。
 
 
 
そしたら当然
親の望む子にはならないよ。
 
 
 
だけどそのかわり
親が思ってもみなかった可能性を
その子自身が発揮するようになる。
 
 
 
本来の自分の良さを全部なくして
別のものになってしまったら、とても苦しい。
 
 
 
【親の望む子にしようとしない】
【親の望む子になろうとしない】
 
 
 
これってやっぱり
その人の持つ魅力や能力を最大限に発揮する最短ルートだと、わたしは思う。
 
 
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サングラスを欲しがって
手当たりしだいかけてみて
イケテル
コレいいじゃん
マジ似合う、と
自画自賛で気分良さげな1枚。
 
 
 
 
ちなみに
家に戻ってから
『どうやったらこんなお子さんに育つんですか?って先生に褒められたよー』と言ったら
 
 
 
 
は?
 
育て方関係なくねぇ?
 
それは俺だからじゃん(゚Д゚)ノ
 
俺が神ってるからじゃん(゚Д゚)ノ
 
 
 
と、言われました(笑)
 
う、うん・・・。
 
ホント、そうだと思う(笑)
 
それでいいと思う(笑)
 
 
だから
これからもこちらのことは気にせず、どんどん外で羽ばたいておくれー(笑)