自分がこどもを持つまで、歩いていて、景色の中にこどもがいても、
それは単なる「景色」でしかなかった。
自分がこどもを生み、育てていくうちに、道を歩いている時でさえ、
こどもが「特別な存在」に感じられるようになった。
こどものことに限らず、日々出会う人や出来事によって、
それまでとは物事の見え方が変わることがある。
今日、ひとつ振り返ることがあった。
「もしかして、わたしは本当のジャズのやり方を見せてくれる人に、
出会っていたのではないか?」
この頃、アメブロから過去記事が連絡事項として上がってくることがある。
昨日、ある記事がよく読まれているというので開いてみた。
タイトルを見ても、「?」という感じだった。
どんな内容だったのだろうと思って読んでみたら、衝撃だった。
同じ出来事でも、それに出会う時期によって、受け取り方は変わるものだ。
その記事を今のわたしが読むと、
「このジャズピアニストは、自分が通ってきて強くなったやり方を、
つまり、おそらくジャズ本来の学び方を、わたしにもやれと言っていたのだ」
そう感じた。
そのやり方を、今すぐできるかと言われたら、正直わからない。
でも、「できない」「わからない」と思った瞬間に、わたしはそこで止まってしまう。
実際、そうだった。
そのジャズピアニストに無茶な要求をされたと感じて、腹を立てたこともあった。
でも、いきなり100%正しくできなくてもいいのだ。
ベースラインは合っていても、メジャー7のところをドミナント7で
弾いてしまうかもしれない。
それでもいい。
弾いてみれば、「なんだか違う」と感じる。その違和感があれば、
2コーラス目では変えて弾こうとするだろう。
最初から完璧にできなければいけないと思うから、
「そんなことはできない」と思ってしまう。
ベースラインを覚えただけで変な音が鳴ったからといって、
ショックを受ける必要もない。
途中まではできても、そこから先を見失うこともある。
先生がいつも笑顔で、手取り足取り教えてくれるわけでもない。
むしろ、ジャズを学ぶということは、
そういうやり方で発展してきたものなのではないか。
最近のわたしは、「Stella by Starlight」のコード進行を分析できるようになって、
ちょっと得意になっていた。
物事がクリアになったのだから、もちろん気持ちがいい。
でも、実際に弾いてみると、一か所、音が途切れるところがある。
そこはバックドア・プログレッションだから、
キーFメジャーにおけるバックドアIIm7–V7のドミナントを探す。
キーFメジャーの♭VIIがすぐ前に来るから、それはEb7。
その前にはEb7のリレイテッドIIが来るから、Bbm7。
そうやって頭の中で考えているうちに、間があいてしまう。
それを実感していた時に、昨日の記事を読んだ。
『Simone Frank Foster』
「やんぱっぱ、基本を忘れるな。頭でっかちになるなよ。」
そんなふうに言われているような気がした。
いや、あなたの言っていることは、正しかった。
彼は、楽譜なしメモなし、それにとても価値を置いているように感じた。
ところが、このジャズマンのレッスンは、わたしが伴奏をしていた
クラシック音楽の道を主に歩んできた素晴らしいフランス人の合唱指揮者と
まるで正反対だ。
どちらも、その専門ではすばらしい音楽家たちだが
このアプローチの差が面白い。
さて、私は・・・臨機応変に、音楽のジャンルによって必要なアプローチを
身に着けたいと思っている。
