小さい印刷された楽譜の音が読めない | 音楽すること・生きること

音楽すること・生きること

フランスに住んでいます。結婚、出産、国を超えての度重なる引っ越しを経てフランスに在住、長男が小学校5年生の時から仕事を
再開。その1年後にジャズピアノを始めました。
音楽・その他、日々の出来事を綴っています。

グループ授業だけを担当している時はそうでもなかったが

ピアノの個人レッスンをするようになって

急に目が悪くなったような気がする。

わたしは他の先生より、じっと座って

教えることが少ないとは思うが

それでも、同じ距離の所にある楽譜を何時間も

見続けることには違いない。

 

今日は合唱の伴奏の時、本当に読みづらかった。

読まれへんって何これ?自分の内なる声がささやいた。

実際フォルテで弾くところで全然違う音を鳴らしたのが一回、

別の所でも、2・3回はやった。

 

最近、大人のピアノの生徒さんの一人が、

網膜の一部が剥離しかかっているということで

目の手術をされたし、

別の方は白内障で手術された。

是非、眼科に行ってくださいと言われている。

 

合唱指揮の同僚に、今日はいつもしないミスをしたからだろう、

大丈夫かと聞かれ、

「実は目があまり見えなくて。

メガネがあっていないのかもしれない。

6・7年眼科に行っていないから。」

と言うと、なにか、問題があるのが分かったと彼女は言った。

 

一緒に歩いていた人がメガネをかけていたので尋ねてみた。

あなたはメガネをかけているけど、目医者には毎年行くの?

彼女は悪気なく言った。「2年に一度行くわ。

それは義務よ。」

彼女は全く悪気なく言ったが、

最後の言葉がわたしには厳しかった。忙しさにかまけて

自分の健康のことをかえり見ない奴なのかわたしは、

と言うような気持ちがふっと沸いて消えた。

 

わたしはコーラスの伴奏が好きだ。

コーラスのハーモニーに包まれて音楽をするのが好きなのだ。

でも、体が動かなくなってピアノ伴奏ができなくなる前に

視力の問題で伴奏ができなくなる可能性も十分

あり得ると予感する。

目医者に行こう。手術など、大事になりませんように。

今のところは、時間がかかるが、小さすぎる楽譜は

大きく浄書して楽譜を作れば見えるので、

そうやって、読もう。

その前に覚えるくらい練習もしたい。

 

それから、人には好奇心とか知識欲とかがあるが、

それを簡単にかなえてくれるのがインターネットであり、

道具としての携帯電話がある。

いったいどれくらいわたしは毎日、携帯を見続けているの

だろうか。目の健康のことを考え始めなければいけない。