ユニクロ・毛糸のパンツ | 音楽すること・生きること

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フランスに住んでいます。結婚、出産、国を超えての度重なる引っ越しを経てフランスに在住、長男が小学校5年生の時から仕事を
再開。その1年後にジャズピアノを始めました。
音楽・その他、日々の出来事を綴っています。

母は高齢出産でわたしを生んだ。

だから、姉や兄とは かなり年が離れている。

わたしは小さい時から、女の子は体を冷やしてはいけないと

繰り返し言われたことを覚えている。

 

小さい時にもはかされたような

僅かな記憶があるが、物心ついた後に勧められた

毛糸のパンツは、強烈に印象に残っている。

それは、今思うと、アクリルか何かで模様編みされた

ニット製で、下着のパンツ型で、母は2色買ってきていた。

色はわたしが大好きな紫に近いピンクと白のものだった。

たまたま母が市場で見かけて買ってきたのか、

知り合いと話していて、女の子は体を冷やしては

いけないと思ったのか、店の人にすすめられたか

どうかは知らないが、とにかく、物心がついてから

その時、初めて毛糸のパンツを見た。小学校の3年生だったか

4年生だったか、もしかしたら5年生くらいだったかも

しれない。

『これ、わたしがはくの?誰も はいているの見たことない

けど。かっこ悪くないかな?』

はくと、おしりがすごく大きくなったような気がしたのを

なんとなく覚えている。

もう一つ覚えているのは、同じころ、

母がわたしにバルキータイツを買ってきたことだ。

当時、厚手で模様の入ったタイツは

妊婦さんがよくはいていたような記憶がある。

どうしてバルキータイツのことをよく覚えているかと言えば、

男の子に冷やかされたからだ。冬の寒い寒い日に、

スカートをはいてバルキータイツをはいて、近くの三角公園

とみんなが呼んでいたところで女の子の友達と遊んでいた。

すると複数の顔見知りの男子がいて、

なんと冷やかされたかまでは覚えていないが、

妊婦みたいなタイツをはいていると言われたのかもしれない、

年よりくさいと言われた可能性もある、

わたしのはいていたバルキータイツをひやかされたことだけは

はっきり覚えている。たしか、ムッとしたか、恥ずかしかったか

強い感情が動いた事だけは覚えている。

今、思えばたわいもないこと。女の子のタイツをはやしたてる

ような馬鹿な小さい男の子達のことなんて、全然、

気にしなくてもよかったのにと思う。帰ってから、

うちで話したように思う。

おぼろげにだが、母や年の離れた姉が、わたしの話を聞いて

なだめてくれたような記憶がある。ただ、バルキータイツの

温かさが普通じゃなかったことは何よりも覚えている。

 

フランスのわたしの住んでいる街には毛糸のパンツも

バルキータイツも買う店が無い。フランスの寒い冬を

しのぐため、実は日本の毛糸のパンツをネットで

購入したことがある。その後、ユニクロでおしゃれなデザイナー

mame kurogouchiとのコラボで、何年か前に

ニットのハーフパンツが売り出されたことがあった。

おしゃれなデザイナーさんのものだ。

ショートパンツみたいに部屋着にできたりする。

ただ値段が毛糸のパンツにしては高かった。

その年は気がついたら、商品として表示がなくなった。

完売したのかもしれない。今回も、ニットのショートパンツが

売り出された。毛糸のパンツだと思うと高いが、

マメコラボのものはファッション性もある。いや、ピンクの

毛糸のパンツだって、編模様が入っていてきれいだった。

ただ、パンツのゴムが白いゴムだったのは、やはり昭和の

毛糸のパンツだった。値下がりされた現在は、狙い時だ。

ただ、サイズ欠けで買えない人もいるかもしれないが、

サイズがあった人は、ラッキーだ。

わたしはラッキーなグループに入る。

感想は、はくと、ほっこりする。

「お母さん」のことを思いだす。