2012年1月11日の伴奏あわせ | 音楽すること・生きること

音楽すること・生きること

フランスに住んでいます。結婚、出産、国を超えての度重なる引っ越しを経てフランスに在住、長男が小学校5年生の時から仕事を
再開。その1年後にジャズピアノを始めました。
音楽・その他、日々の出来事を綴っています。

バイオリンのレッスンの後で、長男はピアニストと伴奏あわせが
あった。もうすぐクラスコンサートがあるので、その準備だ。

ピアニストは、伴奏者であるだけでなく、ピアノの先生だ。
体の大きな人で、エネルギーと言うか、オーラというか
たくましい感じがみなぎったパワフルな女性だった。

たまたま、チェンバロの部屋が空いているということで、チェンバロで
伴奏をしてみましょうと言うことになった。

チェンバロの調律は今の調律より低めの設定なので、長男の
バイオリンを調律しなおすように言われた。予想外のことになり、
はじめて、チェンバロで調弦することになった。いつもわたしが
ピアノの鍵盤を鳴らして調弦するのだけれど、そこには伴奏者が
陣取っていた。彼女はビーンビーンとラの音を何度でも鳴らす。
もうこれでいいと思うのに、まだちょっと低いとか言われて、
せかされるような気がしたのをよく覚えている。微調節ねじを
結局ミ以外はつけないままになっているのでちょっと手間取った。

ただ伴奏が合うかどうかのあわせだと思ったら、室内楽のレッスンの
ようになった。ピアニストは、わたしは妊娠中だから、ジャンプしたり
できないのだけれど言いながら、ヴィヴァルディのジーグでは、
これは、エネルギーみなぎるダンスだと言って、足のつま先を
外側に開いたかと思うと、がっと そのふくよかな片足を持ち上げた
時にすごく迫力があったので びっくりした。
しゃべり方がものすごく確信を持ったしゃべり方で、わたしと見方の違う
ところも何箇所かあったのだけれど、長男は、とても素直に楽しそうに
ピアニストの話をきいていた。こども達が この先生になら、ピアノを
習いたいなと思わせるような話し方だ。自分の意見を確信を持って
バンッと打ち出す。生徒の演奏をを修正すると言っていい。ことばは
手短に、でも口調が厳しく、どこか有無をいわせないものがある。
でも、ちょっと生徒が演奏を変えると、super! 「とってもいいわよ!」
と言って、すごくうれしそうにほめる。

わたしもいろんな先生に習ったことがあるが、ある期間 日本で
習った先生は、ぼそぼそっと、こういうものの言い方をした。
「悪くないんじゃないか?」
いいのか悪いのか、判断しかねた。はっきりどういう風にしたらいいか
もっと具体的に言って欲しかった。

教育にはよくあめと鞭と言うことばが使われるけれど、この人
だけでなく、フランス人の先生達は、この鞭の部分がものすごく
きつく、はっきりしているように感じる。そして、人それぞれ、
個性によるが、わたしのまわりには容赦なく、テキパキと話し、
行動する人が多い。

特に外国で仕事をする状況になったときは、大きい声ではっきり
ゆっくり話すように 自分の話したいことを繰り返して練習すると
いいと思う。母国語ではないのだから、失敗するのは当たり前
くらいに思って、気負わないで。
伝えたいことがはっきりしていれば、口数が少なくても伝わるはず。
別の言い換えも用意していれば準備がいいだろう。

持って生まれた性格は変えられないけれど、印象的な
ピアニストに出会って、生徒とのコミュニケーションについて
考える機会があった。