ブログネタ:自殺について考える 参加中

誰彼何度かは死にたいとは思うもの。でもなかなか死ねるものじゃないし、自殺できる勇気があるひとっていうのはたいしたもんだと思う。と同時に、もう精神錯乱状態でそういう状況に陥っているひともいるんだと思う。なかなかそのひとの立場にたって考えるというのは易しくない。僕なんかは「なんで死ぬんだろう、その勇気があれば…」とか思っちゃうひとだから特に。個人的に宗教に興味持てない理由のひとつに「あの世」の感覚っていうのがわからないっていうのもある。「あの世」なんてないっていうのが僕の考え方で、いずれにしろこの世だけで勝負するしかない。生きるっていう意味では一度しかチャンスがないんだっていう。まずこれが僕の考え方。

だいたい僕らはラッキーなんだよ。そりゃ僕らが想像を絶するような不幸な状況の方はいっぱいいらっしゃるわけで、例えば日本に生まれているだけでもかなり幸運の持ち主だとも思う。四川で瓦礫の下敷きになった母体から産まれてはすぐ死に絶える命もあるわけで、そういう状況にいないだけでも幸運に感謝しなきゃいけない。けれど、そういうことひとつひとつがまったく判断できるような精神状況がなくなった際に、自らの意志を知らずのうちに絶つ状況っていうものを制止できるのか? それは難しい。自殺マニュアルでも自殺サイトでもさ、命を絶つことに救いを見いだしている連中に、いったいどんな救いの手を差し伸べることができるんだろう? 見ず知らずの自殺志願者が集まって一緒に死んで行くという様はかなり僕の理解を超えている。

とはいえ、僕にも何度かヘヴィな精神状況だったことがあって、今から振り返ると本当お恥ずかしいことばかりで振り返りたくないけれど、それでも当時は追いつめられていたから。彼らの気持ちがわかるとは言えないし、思わないけれど、そういう状況にいると冷静な判断ができないっていうのは体感しているところもあってね。で、結局そういうときに何が救いになったのかというと、凄くありがちな解答なんでしょうけれども、音楽だったり文学だったり映画だったりってことだった。僕自身がそうだったから、そういったものから救いを得られることは多分にあると思う。別にそれが宗教であってもそいつが幸せなら構わないんだろうし(他人様に迷惑をかけなければね)、もし本気に死ぬかどうかの瀬戸際にいる奴から相談を受けたならば(幸いにもそういう機会はありませんが)、それこそ死ぬほどヘヴィな音楽や文学や映画を紹介してやりたい。例えばこんなもの。

Don't trust anyone over Thirty/ムーンライダーズ
鈴木博文・作詩 E.D.MORRISON・作曲

昨日の朝 トーストを食べて/子供に言った パパは帰らないよ/外は寒く 吐く息は白いよ/いつか贈るよ小さな手袋/きみはわがままをそれで包み込め/一生今のパパの気持ちが/解らなくてもいいから/昨日の夜 ちょっとしたバーで/彼女に言った ぼくはいなくなるよ/そして冬は 瞳に流れた/彼女の夕暮れは いつでもブーツに/涙をあふれさせてやって来た/ぼくは けものみたいにやさしく/今まで抱きしめていたつもりさ/Don't trust anyone over 30 憎むよりも先に/Don't trust anyone over 30 悲しむよりも先に Don't trust anyone over 30 怒りよりも先に/Don't trust anyone over 30 嘆くよりも先に/おとといの夜 行為を終えて/女房に言った きみを愛してる マイ・ラブ/だから ぼくの好きにさせてくれ/冬の海まで車をとばして/24時間 砂を食べていたい/長い線路をひとり歩いて/そっと枕木に腰をおろしたい/Don't trust anyone over 30 憎むよりも先に/Don't trust anyone over 30 悲しむよりも先に/Don't trust anyone over 30 怒りよりも先に/Don't trust anyone over 30 嘆くよりも先に

僕がムーンライダーズを聴きだしたのは野田幹子経由で、当時は活動休止中だった。いわゆる後聴きしていったわけだけれど、当時の最新アルバムが『Don't Trust Over Thirty』。当時は今と違って情報が少ない。野田幹子のような地中海ポップ・サウンドが聴けるのかと期待して聴いてみれば、理解不能な精神破綻ロックばっかりで最初はまったく理解できなかった。何処まで本気かもわからなかった。けれど、この曲の歌詞に関しては妙なリアリティを感じたんです。当時高校生くらいで親の心情なんてわかるわけないんだけれどね。そしてそのリアリティって、あれから20年近く経ってもあんまり変わらないどころか、より鮮明さを増しているのだから恐ろしい。ほかにも「バックシート」「鬼火」「悲しいしらせ」「ただ僕がいる」etc...ムーンライダーズの曲ってそんなんばっかり(^^;)。応用編で大滝詠一「名月赤坂マンション」っていうのもありますけれど、その辺を聴きだす頃にはレコード・ジャンキーっていう生き甲斐を見いだせていることでしょう。

以前、オジー・オズボーンやマリリン・マンソンの曲が契機で自殺で云々っていう事件もありましたけれど、あんなことはとんでもない話で、結果的に彼らは命を絶ってしまったのかもしれませんが、オジー・オズボーンやマリリン・マンソンを聴いてどれだけ救いになったのかわからない。たとえ一瞬だったとしてもね。アートっていうものはそういうもんなんです。自殺を促したくて歌を作っているロッカーなんていないよ。アリス・クーパーにそんなことを言ったら怒られるぞ。アートは凶器にはなりえないし遺書にはならない。そうと見せかけるものがあるとするならば、僕らはその奥底に込められたメッセージを読み出す努力をするべきだし、そこには感動的な何かがある。どうでしょうか? 死んでしまう前にそういうメッセージを読み解いてみませんか? 死ぬのはいつだって死ねるんだからさ、急ぐことはないでしょう。

遺書ではないけれど、死に直面したがゆえの壮絶な作品で浮かぶのは正岡子規の「仰臥漫録」。生きたくても生きられなかったひとの苦しみ、痛み、恨み、真摯さに触れる勇気があるならばご一読オススメします。