by 南野陽子
初回のEP盤はたしかピクチャー・レコードでしたよね。この曲は名曲だよ~。

「楽園のDoor」(作詞: 小倉めぐみ/作曲: 来生たかお)
陽だまりの窓辺から 凍える街並み見下ろすの/寂しさも憎しみも ガラスの向うの物語/そうね 世界中が他人事なら 傷つかずに過ごせるけど/心ごと 生きてゆきたくて 楽園のドアから…ひとり/冷ややかな階段を ざわめきの海へ降りていく/憧れと哀しみが ぶつかってもつれる街角/そうね 人の波に巻き込まれて 遠回りでも構わないわ/一歩ずつ 強い優しさに 近づいてゆきたい…いつも/青空が眩しくて 私はこんなに小さくて/だけど 人の波に流されないで真っ直ぐ前に歩けたなら/いつの日か 陽だまりのような あなたを抱きしめたい/新しい靴は少しぎこちなくて かすかな痛み引きずるけど/一歩ずつ 履き慣らしてくわ あなたに近くなるために

何が良いって、最後のヴァースの「新しい靴は~」で転調するんだけれどそこが良い。それまでの歌詞はダイアローグ的というか心情を描いているだけなんだけれど、最後のヴァースで行動に移るんだよね。その展開を音楽的にも見事フォローしている。この時代のアイドル・ポップスって作り手に凄く愛があるし、よくできているのが多いです。
ブログネタ:どこでもドアを一回だけ使えるとしたらどこへ行く? 参加中
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難しいテーマだよね。誰もが憧れるどこでもドア。しかし一回しか使えない。一回だよ? つまりは片道切符。一度行ったら戻ってくれないわけだよね(^^;)。ドアにつっかえ棒でもしておけばいいのかな? 何にせよ、一度でパッと行ける、もしくは「片道の手間がもの凄く省ける」、「往復できたらなおもラッキー!」という意味ではやっぱりマチュピチュだなぁ。誰もが一度は憧れるだろう空中都市。でも実際行くのは凄い大変だよね。出不精の僕が行けるチャンスが余生であるかどうか?

だいたい世界遺産とかああいうのはみんな好きなんですけれど、中でもマチュピチュは憧れますね。あとマヤ文明とかさ。「太陽の子エステバン」とかああいうのの影響もあるのかな?

どこでもドアの発想ってようはタイムマシンだよね。結局、人間っていうのは時間さえあればたいていのことができるんだと思う。でも時間は有限であり、それもひとりひとり違うという絶望をそれぞれが背負っている。各々の限られた時間の中で何ができるか?というのが人生の勝負だと思うんだ。いかにより経験するか? 感動するか? その数が多ければ多いほど有利だよね。マチュピチュの空中都市を目の当たりにしたら僕は何を思うのか? 非常に興味があるなぁ。