
本文はここから
絞首刑というと思い浮かべるのは映画「Dancer in the dark」のラストシーン。
ビョークの演技は凄いと思った。
あと、階段を上がって行くところで終わる「私は貝になりたい」。
いずれにしろ、死刑って僕にとっては現実的なイメージではない。
死刑については賛成論者じゃない。
何故なら死罪という罰則があったところで犯罪抑制になると思えないから。
最近だと「死刑になりたかったから」とかいって他殺している凶悪犯までいる。
いろんな価値観が狂ってきて、従来の刑法だったり罰則規定で
どうにかなるなんてラインはとっくに見失っているしね。
とはいえ、刑務所は収容限界を超えているという現実もあるんです。
6人収容制の監獄に8人も9人も入れられたりね。
また今後高齢化が進み、受刑者の高齢化が進むっていう流れもあります。
彼らは重犯罪者ではなくて、彼ら自身にも問題があるけれど
釈放されても職も何もなく、結局また再犯に走るという悪循環だったり。
刑務所で一生を終えるひとってこれから増えるでしょう。
最近僕が思う死刑囚っていうのは、単に罪が重たいっていうだけじゃなくて、
僕らの捕らえている現実を遥かに超越した犯罪を起こしていたりします。
そして片っ端から精神鑑定なんて言葉が飛び交う。
重罪を起こして精神鑑定っていうのは科学的/データ的に意味があっても、
罪を償う以前にはなんの意味もないと僕は思うけれどね。
そしてこういう重罪者と、例えば先述の受刑者っていうのは
同じ犯罪者でも一緒には絶対できないでしょう。
かといって、僕はひとの手でひとを殺めるっていうのは
どんな極限化でも許されないっていう風に思う。思い続けたい。
ヒカリゴケ事件とか、ああいうのを観ると考えちゃうことではあるけれど。
死刑者の場合、絞首刑が日本ではほとんどのはずですが、
僕はこれには異論を唱えたい。
彼らは自らの肉体で償うべきだと思う。
内蔵でも身体の部位でも角膜でも…そうして違う誰かを救うとかさ、
そういう考えになれば、死刑の捉え方も違うと思うんだ。
これも過激な考えなんだろうけれどね。
被害者心理で考えればさ、絞首刑でも生温いんだよ。
ただ絞首刑を行なっても誰も救われない。
被害者に直接償える術というのは、別途賠償問題として考えるとして、
「無駄死」にさせないことも論議すべきだと思う。