今日はちょっと急用があって、奥さんの実家の方にドライブしてきました。
いろいろ用を済ませて、帰る途中、姉から連絡があってゆっくりしてきていいよとのこと。
なので、帰りにいつも通るたび行きたかった公園に寄ってきました。
一組親子がいたけど、あとは全く人が公園にはいなくて、遊具使いまくってきました。
息子もだいぶはしゃいで、一人で歩き始めたのは最近なのに、これでもかと今までに無いくらい一人で歩き回っていました。
何気に大人の僕らの方が、すべり台やターザンロープなどの遊具で遊びまくってたっていう。
小さなアマガエルも何匹かピョンピョン跳ね回っていて、ほのぼのとした時間を過ごしました。
今日はなんだか、パパの自分を感じることが出来たような気がします。
さて、あるテレビで、「鼻を触ると嘘をついている」なんてことを言っていました。
これは、心理学などを勉強している人なら分かると思うんですが、自分の本意では無いときにこういう仕草が出るらしいです。
こんなことをテレビで見ると、テレビは未だに結構影響力はあると思うので、誰かと話をしているときに、例えば相手がこっちの話途中で鼻を触る仕草をした。
それを見て、キミは「あ、もう俺の話はつまらないって感じてるな」なんて思ったとする。
でも答えは、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、だ。
結局どちらなのか、それだけでは分からないんです。
テクニックが好きな人はそういう罠にハマってしまう。
このテクニックに当てはまっていれば正解なんだと。
そう思い込んでしまって、ひたすら同じ失敗を繰り返してしまうんだ。
僕の大好きな英国の超一級メンタリスト、ダレン・ブラウンはこういったテクニックについて常に懐疑的だ。
例えば、鼻を触る仕草は、単にその人が鼻が痒いだけかもしれない、単にニキビが出来てしまっていてなるべく隠そうと思っているのかもしれない、それともキミの鼻に何かついてるよと暗に教えてくれているのかもしれない。
つまり、いろんな可能性があるわけです。
ここで、ダレン・ブラウンは「ベースの仕草」を観察しろと言っています。
その人の普段の仕草を見ておくと、いざ嘘をつくと明らかに違う仕草をしたりするようです。
それで、ダレンはパフォーマンスにそういった嘘を見破るものも取り込んでいる。
テクニックについて常に懐疑的なのは、本当にテクニックを自分のものにしたいからに他ならない。
テクニックは時と場合によって変化すべきもので、固定されたものではない。
だからこそ、本当に自分のものになっていなければ、シチュエーションが違えば使い物にならなくなる。
これはいろんなことに言えて、例えば人間関係にも言える。
あの人はこういう人だと決め付けてしまうから、どうも上手くいかない。
キミだって今まで成長してきて、いろんなものが変化してきたじゃないか。
小学生だった自分は多分、今の自分とは全く違う人間だったはずなんだよ。
だったら、相手だって小学生まで遡らなくたって、昨日の相手とは全く別な人間になっているかもしれないんだ。
だから周りのものは毎日変化していくもんだと、それを前提にするべきなんじゃないか。
昨日声をかけてもブスっとしていた人も、今日声をかければニッコリ挨拶を返してくれるかもしれない。
昨日出来なかったことは、もしかすると今日あっさり出来てしまうかもしれない。
昨日まで悩んでた悩みが、今日は何でもない問題になっているかもしれない。
ただ、僕は人生何が起こるかわからないんだから、思考停止はもったいないんじゃないかと、そう思うんだ。
順風満帆な人生が一気にどん底まで転落することだってある。
でも、どん底だった人生が、突然七色に輝き始めるかもしれないんだぜ?
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